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落胆と怒り。その二つの感情で心が引き裂かれそうだ。花梨は大声で泣き叫びたかった。思いのまま、何かを滅茶苦茶に壊したかった。 院を呪う怨霊を退治すれば、花梨の世界に帰れると思っていた。それなのに、帝も呪われているからと、その怨霊も退治しなくていけなくなった。 天の八葉の4人は『りん』を龍神の神子と認め、協力すると約束してくれた。しかしと言うかやっぱりと言うか、地の八葉の4人は疑いの目で見ている。共に行動しているが、何かとトゲのある態度を見せる。 「これじゃ、最初からやり直すのと同じだよ。何も変わっていないじゃない。」 帝を呪う怨霊を退治したとして、今度こそ本当に帰れるのか?それとも新たな問題が出て来るのか? もう二度と帰れないのではないかと不安になる。一生この世界で、次から次へと発生する役目に追い立てられながら生きなくてはいけないのではないかと。 しかし動き始めた電車から降りられないのと同様、この役目からも逃げられない。『りん』は『龍神の神子』となってしまったのだ。この線路がどこに続いていようと、終点まで乗り続けるしか無い。途中で乗り換えの出来る駅は無いのだから。 「泣いている暇なんて無い。これを終わらせなかったら何時までも帰れないんだ。」 次の役目が出てきたらその時はその時だ。眼の前の問題を一つずつ確実に片付けて行こう。結局はそれが一番確実、早道になるだろうから。 「頑張れ、りん。」 自分を励ますと、散策に出掛ける為に立ち上がった。 「はぁはぁはぁ・・・・・・。」 りんは転びそうになりながら走っていた。 地側の二人と船岡山に出た怨霊を祓いに来た。だが、数日雨が続いたせいでぬかるんでいる。濡れた落ち葉で滑る。しかし、注意をしながら歩くと、みんなから遅れてしまう。りんは必死で走っていた。 「ちっ。」 「・・・・・・・・・。」 立ち止まり、後ろを向く。勝真が舌打ちをした。イサトのように怒鳴りはしないが、イラついているのはその眼を見れば分かる。彰紋も、東宮として大事にされていた自分よりもひ弱な人間がいる事に戸惑いを隠せない。 「ご、ごめん。」 「・・・・・・・・・。」 「・・・・・・・・・。」 りんが追いつくと、また歩き出す。先ほどと同じ速さで。 『もうっ!遅れるのが分かっているんだから、少しはペースを落としてくれたって良いじゃん。意地が悪いんだからっ!!』 口には出さないが、心の中で悪態を吐いた。 怨霊を探してかなり彷徨ってしまった。来た道では遠回りとなってしまう為、違う道から帰る。 「ここ、少し崩れていますね。」 彰紋が眉を顰めると、勝真が頷いた。 「そうだな。足場が悪い。滑るから気を付けろよ。」 大量の雨が川となって流れたのだろう。地面が崩れ、小さな崖となっていた。 トンッ。 トンッ 足の長い勝真が軽々と降りる。彰紋も問題無く降りた。だが。 「・・・・・・・・・。」 りんは躊躇った。ちょうど木の切れ目、手を置いて支えとする木が無い。 「早くしろ。」 「う、うん!」 怖い、という気持ちを抑え込み、慌てて飛び降りた。 だが、飛び降りたのは間違いだった。 「あ―――。」 落ち葉の下に少し大きい石が隠れていた。その石の上に足が乗り、その衝撃でそれが動いた為にバランスを崩した。次の瞬間には座り込んでいた。 「大丈夫ですか?」 彰紋が振り向いた。 「だ、大丈夫。」 「何してんだ。滑るって言っただろうが。」うんざりしたように言うと、勝真はさっさと歩き出した。「また雨が降りそうだ。早く帰るぞ。」 「はい。」 怪我は無いと判断した彰紋も歩き出した。 「う、うん!」 急いで立ち上がると足首と掌の状態を診る。『うん、大丈夫。捻ってもいないし血も出ていない。』 落ち葉が積もっているおかげで、びしょ濡れで泥だらけではあるがどこにも怪我は無い。手の泥を既に汚れている袴で拭い取ると急いで二人の後を追い駆けた。 「神子殿!?」 「転んだだけ。」 屋敷に戻ると、泥だらけのりんの姿にギョッと眼を剥いた頼忠の横をすり抜けて井戸に向かった。 「大丈夫ですか?お怪我は無いのですか?」 「擦り傷一つ無い。」 しつこく付き纏い質問する存在に苛立ち、素っ気無く答えた。 「私が。」 釣瓶(つるべ)に手を伸ばしたりんの横から手を伸ばし、代わりに水を汲む。 「ありがと・・・。」 その水で手と顔を洗った。身体も洗いたいが、外では無理だ。しかし顔を拭く為に持った手拭いさえ重く感じるから、人に頼むしか無い。 「悪いが、桶一杯分の水を室まで運んでくれないか?」 「あ、気付かず申し訳ありません。湯を頼んで参ります。」 頭を下げ、後ろを向いた。 「いや、湯は要らない。水で良いんだ。」 「いえ、水ではお風邪を召してしまう恐れがありますから―――。」 「濡れたままでいる方が風邪をひく。早く。」 これ以上の議論は無駄とばかりにさっさと室に戻った。 この世界では一人になるのも一苦労。水を運んできた頼忠に塗籠の中に明かりを点けて貰う。そして頼忠が立ち去ると、しっかり鍵を掛ける。一人になってようやく衣を脱いだ。 「はぁ・・・・・・・・・。」 長いため息を吐いた。 ピチャピチャピチャ。 布に水を浸し、それで身体を拭く。 『遅い。』 散策中、歩みの早い泰継は何度も言う。冷たい口調が胸に突き刺さるが、眼だけで責める他の人よりはマシか。 しかし。 『無様な戦いだったな。』 『お前のその判断、浅はかとしか言いようがない。』 『お前に心配されるいわれはない。』 この口調はどうにかならないのか。泰継が優秀なのは誰の説明を聞くまでもなくすぐに分かった。だが、本人にとっては当たり前の事でしか無く、それを他の者にまで求める。全く迷惑な話だ。いや、龍神の神子だと名乗るりんだからこそ、そういう態度になるのだろう。 『肩の力を抜きなさい。』 『もっと気楽に考えなさい。』 『楽しめば良いのだよ。』 楽しげに言う翡翠。確かに翡翠は、楽しそうだから、という理由で仲間になったのだし、楽しんでくれ、とりんも言った。だから翡翠が楽しむのは構わない。だが、こっちにはそんな余裕は無い。しかも観察するような眼差しは勘弁してくれと思う。 「この翡翠さんが女物の櫛をくれたんだっけ。」 ただ事実を口にしただけ。だが、不安が心を過ぎった。 「まさか・・・・・・・・・?」 八人の中でたった一人態度が違う人。もしかして、りんの秘密に気付いている?そういう眼で見ている? 「・・・・・・・・・。」 気付いているなら何故、私に訊こうとはしないのか。真相を確かめようとしないのか。 「どうでも良いか。」 疲れきっている花梨は考えるのを止めた。楽しんでいるなら楽しめば良い。無様に足掻くりんを見て笑えば良い。その代わり、八葉として協力してくれれば。りんを花梨の世界に帰してくれるなら、邪魔をしないんだったら、それで良い。 「クシュンッ!!」 長い時間、考え事をしていたようだ。慌てて衣に手を伸ばした。 「寒っ!」 汗と泥は落とせても、冷え切った身体はどうにもならない。綺麗な衣を何枚も重ね着したが、全く温かく感じない。 「はぁ・・・・・・・・・。」 身体を丸め自分の腕で抱き締めた。寒さが身に凍み、心まで震える。こんな時は悪い事しか頭に浮かばない。 ころんと横になると―――現実逃避―――眼を閉じた。 「珍しい・・・・・・・・・。」 頼忠は庭から格子を見上げた。それは陽が暮れた為に下ろされ、神子の室を隠している。 桶一杯の水を運ぶだけの事だが、りんが役目以外の事で頼忠に頼み事をしたのは初めてだ。 「少しは頼忠を頼りに思って下さったという事だろうか・・・・・・?」 負担を少しでも軽くしたくて、怨霊との戦いでは怪我しないように注意を払い、無駄に歩き回らないで済むように命令されなくても情報を集めたり助言をしたりするようにしている。 信頼を得られたのなら嬉しいのだが。 「しかし・・・それで神子殿の支えとなっているのだろうか・・・・・・?」 ―――龍神の神子は孤独。だから八葉は支えなくてはならない――― その言葉が忘れられない。今頼忠がやっている事は、八葉としての役目だ。神子を守っているが、支えとなっているとは言い難い。 「・・・・・・・・・。私は何故神子殿の支えとなりたいのだろうか・・・・・・・・・?」 ポツリ呟くと、腰の太刀の柄をぎゅっと握り締めた。 頼忠は武士、この太刀で主をお守りするのが役目だ。従者として主にこの身を捧げる事こそ、生きる意味。それはたった一人の主を探し求めてきた頼忠にとって当然の願いの筈。だがこの感情は、それだけでは無いようにも思えるのだ。 坂倉りんという名の龍神の神子は16歳。16歳ならば、元服して一人前の男となっているのが普通だ。 ―――ボクの世界では16歳は未成年、子供なんです――― それが理由だろうか、16歳の割には弱々しく、儚げな雰囲気がする。 「いや・・・・・・、何かが違う。」 武士団にも元服前の童はいる。一人前の武士となるべく、鍛錬に励む者達が。その者達が厳しい稽古に音をあげて愚痴や泣き言を言えば、年長者として叱咤する。だが、慰めてやりたいと思った事など無かった。 なのに神子を見ていると、抱きしめたい衝動に駆られるのだ。それは時々では無く、何時も。無茶をしないでと、無理をしなくても良いのだと言いながら髪を撫で、この腕の中でゆっくり休ませたいと、そう願ってしまう。 京に来られた頃なら兎も角、今はお役目を立派に果たしている龍神の神子を。いや、その衝動は神子の力が増す毎に強くなっていく。 「何を馬鹿な事を。」 頭を振ってそんな考えを振り払おうとする。しかし、視線を逸らしても頭から神子の顔が消えない。 「初めて出会った日の、助けを求めて来られた時の迷子の子猫のような瞳が印象深かったからだろうか?」 それとも、院を呪っている怨霊を祓う前夜、独り震えていらしたお姿を見たからだろうか? しかし、あの頃とは違って今は天の八葉の4人がりんを龍神の神子と認めている。頼忠だけでなく、他の3人も積極的に相談に乗り、助言をしている。だから一人にはしていない筈。ならば、一体りんの何がそういう気持ちにさせるのか。 閉じられた妻戸を見ながら考えていた。 |
注意・・・第2章始まった頃。 |