06



警護という名の見張りをする為に四条の屋敷を訪れた頼忠は、物陰からしっかりと下ろされた格子を見つめていた。
明日、院を呪う怨霊と戦う。怨霊を祓う事が出来れば、りんという名の童が真の龍神の神子だと証明される。
「証明、か。」
呟いた声が、暗闇の中でやけに響いた。
頼忠はりんが怨霊を祓う事に疑問を抱いてはいなかった。朱雀だけでなく、青龍もりんを龍神の神子と認めたのだ。聖獣の二神が同じく騙されるとは思えないのだから。
いや、そうではない。
りんの言動を見ていてそう思ったのだ。


『ぅわあぁぁぁ!!』
悲鳴が聞こえ、散策からの帰宅途中だった頼忠はりん、幸鷹達と共に駆け付けた。
『怨霊!?』
牛車が襲われたようだ。地面を這いつくばっている貴族の男に怨霊が攻撃しようとしている。だが、一人の牛飼い童が木の棒を振り回していた。
『中将様。早くお逃げ下さい!』
『ひぃぃぃ。助けてくれ〜!』
しかし武官の割には度胸など無いようだ。腰を抜かし、頭を抱えて地面に額をくっ付けている。
『行くよ!』
『はい!』
『はっ!』

牛飼い童に抵抗されるような怨霊だ。弱い力しか無く、頼忠と幸鷹の攻撃であっという間に消滅した。
そう、怨霊自体は何の問題も無かったのだが。

『穢れを受けている。早く祓わないと。』
幸鷹に支えるように言うと、りんは牛飼い童の側に膝を付いた。すると。
『おい、そんな奴ではなく、我の方を助けろ!』
真っ蒼な顔で貴族が喚いた。しかしりんはチラリと見ただけですぐに牛飼い童に視線を戻した。貴族の男は泥だらけで、掌には血が滲んでいる。だが、それだけだ。それに対して牛飼い童は貴族の男を庇って怨霊の攻撃を受けていた。じわじわと穢れが広がり、熱が上がり始めている。
『私は大丈夫です。それよりも中将様を・・・・・・。』
立ち上がろうと身体を起こそうとする。だが、息を吸うのも苦しそうで、言葉をはっきり話せない。
『我は中将だぞ。そして父は大納言だ。その我よりもそいつを優先するのか!?』
怒鳴り散らしながら近寄り、りんの肩に手を掛けようと腕を伸ばした。
バシっ!
『それが何だ!?』
『っ!』
りんが中将の手を払い除け、怒鳴った。今眼の前で起こった光景が信じられない。全員が上級貴族に歯向かう小さな童を凝視した。
『瀕死の重傷者を眼の前にして貴族も何もあるものか。それもお前を庇って受けた穢れだ。この者に対してありがとうとも大丈夫かとも言えないのか!?』
『な、何だと―――。』
『煩い。口を閉じて待ってろ。』
言いたい事だけ言うと、りんは背中を向けた。怒りで顔を真っ赤にして拳を振り上げる。
『っ。』
気を集中しているりんの邪魔をさせぬよう、頼忠はりんと貴族の男の間に強引に身体を入れた。
『な、何だと?武士の分際で我の邪魔をするのか?』
『・・・・・・・・・。』
『う・・・・・・。』
黙って睨み付けると、男は怖気づいたのか一歩二歩と下がった。その間にりんは穢れを祓う。黒っぽい痣が煙のようになって身体から蒸発するように出て行った。
『―――はい、終了。』
『あ、ありがとう御座います。楽になりました。』
苦しさから解放されるとは思っていなかったらしく、牛飼い童は瞬きを繰り返しながら身体中を触っている。
『穢れは祓ったけど、負担が掛かった事に変わりはありません。数日安静にして仕事は休ませて下さい。』
雇い主である貴族の男に言った。だが、男は唇を歪めて意地の悪い笑みを浮かべた。
『いや、もうそいつの仕事は無い。永久に休んでいろ。』
穢れは受けておらず、怪我も見た目どおり大した事は無かったようだ。くるりと向きを変えると、しっかりとした足取りで歩き出した。
『中将様、お待ち下さい!』立ち上がろうとするが、消耗は激しい。よろけ、頼忠に支えられる。『あぁぁぁ、明日からどうすれば・・・・・・っ!』
主が消えた暗闇を見つめたまま動けない。
『・・・・・・・・・。』
頼忠も掛ける言葉が無い。仕事を失うという事は大変な事だ。気の毒だと思うが、どうする事も出来ない。りんが貴族の男の治療を優先していたら、この牛飼い童は手遅れだったかもしれないのだから。
人を救ったのに空しい気分。しかしそんな重苦しい空気を破るようにりんの明るい声が響いた。
『幸鷹さん、この人を雇いませんか?お買い得だと思いますけど。』
『え?』
『武士なら兎も角、生命を賭けてまで主人を守ろうとする従者なんていませんよ。ほらその証拠に、他の人は逃げてしまって誰一人としていないじゃありませんか。』
『っ!』
『ね?』
『えぇ、そうですね。』
幸鷹もこの男の行く末を心配していたのだろう、眉間の皺が消え、代わりに満面の笑みが浮かんだ。
『え?あ、あの・・・私を雇って下さるのですか?』
急激な変化に頭も気持ちも付いていかない。幸鷹とりんの顔を交互に見ながら恐る恐る尋ねる。
『はい。ぜひとも私の屋敷で働いて下さい。こちらからお願いしますよ。』
『あ、ありがとう御座いますっ!』
深深と頭を下げた。
『体調が戻ったら私の屋敷を訪ねていらっしゃい。』

『・・・・・・・・・。』
『・・・・・・・・・。』
一人では歩けない牛飼い童を家まで送る頼忠を残して、幸鷹がりんを屋敷まで送る事になった。
『あの幼い方があなたの主ですか?』
二人の姿が見えなくなった時、頼忠に尋ねた。
『はい。』
考えるまでも無く、そう口にしていた。
『そうですか。羨ましいですね。』


「主、か・・・・・・。」
頼忠が本当に八葉なら、龍神の神子が主だ。そしてそれがりんであったなら、こんな嬉しい事は無い。―――その時、心からそう思ったのだ。従者は主に対して見返りを期待してはいけない。だが、虫けら以下の扱いを受けて何も感じない訳ではないのだから。


ふっと笑みが浮かんだその時。
バンっっ!!
勢いよく妻戸が開き、りんが飛び出して来た。突然の事で頼忠は隠れる事が出来ない。だが、人がいる事にも気付かぬまま、りんは裸足で庭に駆け下りて行く。そして木の陰に蹲(うずくま)った。
『どうしたと言うのだ?』
そっと近寄る。と。
「うぇっ!おぇっ!!ぐっ。」
『・・・・・・・・・。』
吐き戻す声音に、足が止まった。
「うっ!うぇっ!―――ぐぇっ!・・・・・・・・・。」
しばらくすると吐き気は止まったが、胸を押さえている。
『・・・・・・・・・。』
「・・・・・・ふぅ。・・・・・・・・・。」
顔を上げると、深呼吸。それから汚物に土を掛けて隠した。
『・・・・・・・・・。』
ふらりと立ち上がり、木に寄り掛かる。二度三度胸を擦ると着ている袿の袖で口元を押さえながら歩き出した。
そんなりんの背中を見つめる。
階の下から履物を取り、そのまま離れて行く。と、井戸の側に寄った。水を桶に汲み、手を洗う。水を取り換え、口をゆすぐ。そして桶を持って側の大きな石に腰掛けた。
ピチャ。ピチャ。
背中を丸め、足を洗っている。洗い終わると丁寧に手ぬぐいで拭き、靴を履いた。

『小さな背中だ・・・・・・・・・。』
すぐに室に戻るだろうという頼忠の予想とは違って、りんは石に足を乗せると身体を丸めて膝を抱えた。その背中は裳着前の女童のように細く小さい。それが、小刻みに震えている。
『りん殿・・・・・・。』

―――龍神の神子は孤独―――

どこかの書物に書かれていたという言葉、その言葉を思い出した。今現在のりんの置かれた状況は違うのかもしれない。ただ、明日の事を考えると不安と緊張で眠れないだけかもしれない。だが、誰かが支えていなければぽっきりと折れてしまいそうな危うさがある。あまりの儚げなその様子に、抱き締めて慰めたい衝動に駆られた。

「大丈夫、大丈夫だよ、りん。大丈夫だから・・・・・・・・・。」

ぐっ。
声も身体も震えているが、差し伸べようとする手を拒絶するかのような強い瞳に、胸の前で拳を握り締めて心を抑え込んだ。

―――龍神の神子は孤独―――

側にいる者達全員が、頼忠は、りんの心の内を知らない。何を思い、何を考えているのか、一度も知ろうとはしなかった。思わなかった。
『りん殿・・・・・・・・・っ!』
りんを支えている者は誰一人としていないという事実に、今、気が付いた。






注意・・・第1章最終日前日。

気付くのおせーよ(怒)!!