『―――2―――』 |
「・・・・・・・・・。」 自信を持つ?どうやって? 「・・・・・・・・・。」 「・・・・・・・・・。」 屋敷に近付くにつれ、足取りは重くなる。 「・・・・・・・・・。」 「・・・・・・・・・。」 門の前に着いた時、足が竦んで動けなくなってしまった。誰にも言付けを残さずに抜け出してしまった。心配しているだろう。また・・・・・・怒られる。 「・・・・・・・・・。」手を差し出した。「神子殿。」 「・・・・・・・・・。」 何時までも逃げていられない―――それは解っているけど。でも。―――頼忠の瞳を怯えた眼で見つめてしまう。しかしそこに優しい光を見つけ、一瞬躊躇った後、その手に自分の手を重ねる。そして頼忠に引かれるように屋敷の門の中に足を踏み入れた。 「―――そうさ、俺はあいつを神子とは信じちゃいない。」 勝真のその言葉で、御簾に捲ろうとした花梨の手が止まった。 「・・・・・・・・・。」 「・・・・・・・・・。」 「俺達はあいつが帝を呪っている怨霊を祓う力があるから、退治してくれるから、協力しているだけだ。正直に言えば、あいつを利用している。」 「それは随分身勝手ではありませんか?」 「ではお尋ね致しますが、別当殿は花梨が神子だと聞いてすぐに納得されたのですか?」 「それは・・・京の命運を左右する事ですから慎重に―――。」 「最初は疑っていたのでしたら、口を出さないで下さい。」 「なっ!」 「そうですね。」彰紋が同意をする。「花梨さんは神子と信じていなくても構わないと言ってくれました。」 「我らが星の一族の末裔だとご承知おきいただけていると思っていましたが。」 「それは承知しています。」 「ならば何故信じてはいただけないのですか?」 「深苑殿。龍神の神子と言えば京を守る龍神に選ばれた尊き方。厳かで威厳のある特別な方だと思っていたのです。」 「・・・・・・・・・。」 「だけど花梨さんは想像していた神子とはまるきり違ったのです。」 「確かに神子には貴族の身分はありませんが。」 「いいえ、そういう事ではありません。僕の個人的な話に耳を傾け、共に悩み考えてくれる花梨さんが神子とはとても思えないのです。京を救うという重大なお役目を背負われた神子が、そんな小さな事に気をお留めになるとは。」 「確かに花梨って奴はバカが付くほど素直でお人好しだな。利用されていると解っているのに、利用している俺達が怪我するとごめんなさいと泣きながら謝るんだからな。」 「だからこそ、そんな花梨さんが龍神の神子なら嬉しいとも思っていますよ。」 「そうだな。京という町だけでなく、そこに住む俺達の事も真剣に考えている。院が信じている神子とは違う。」 「・・・・・・・・・。」 御簾から手が離れ、だらりと下に落ちた。 「・・・・・・・・・。」 「おや、勝真も彰紋様もそう思っていらっしゃるのですか。」翡翠が口を挟んだ。「私は彼女が龍神の神子でなければ良いと願っていますよ。」 「翡翠は違うのか?」 「あんな優しくて可愛らしい姫君に、こんな重荷を背負わせたくは無いね。」 「翡翠。お主は八葉に選ばれたその立場を良く理解しておらぬようだな。」 「解っていないのは君の方ではないのかい?」冷たい声。「私は八葉とやらになった覚えは無いよ。」 「では何故、ここにいるのですか?」 「面白そうだからね。」軽い口調で話す。「折角はるばる京まで来たのだ。物見遊山のついでに、彼女がこの京をどうするのか見てみたいと思ってね。」 「力の無い神子に立場もわきまえない八葉か。お似合いだな。」 「ほう、それを君が口にするのかい?」再び冷たい口調へと戻る。「それならば君に尋ねるよ。もしも姫君の世界が滅びに向かっていて深苑殿しか救えないと言われたら、君は救ってあげるのかい?君の生命を賭けてまで、全力で立ち向かうのかい?」 「そんな例えは考えるまでも無いっ!」 「そうだろうね。義務を果たせと喚くだけで優しい言葉一つ掛けられない君は、逃げるだろうね。自分には関係ないと。」 「なっ!侮辱するのか?」 「姫君にはこの京を救う義務も義理も無いのだよ。全くの無関係なのだから。」 「しかし龍神が選んだのだ。私が押し付けたのではないっ!」 「だから何だと言うのだね?これだけボロボロになりながらも努力している彼女に対して、感謝もせずに非難するとは何様のつもりだい?」 「ちょっ―――。」 「っ!」 怒鳴り合いの喧嘩へと変わったみんなを止めようと室に入ろうとしたが、頼忠が花梨の肩を押さえて止めた。 『頼忠さん?』 眼だけで尋ねる。 「少し話をお聞き下さい。」 そして未だに繋いでいた手にほんの少し力を込める。我々の気持ちを貴女に知って欲しいとの意味を込めて。 「・・・・・・・・・。」 「滅びに向かっている事には変わりない。これでも神子の役目を果たしていると言えるのか?」 「おい、いい加減にしろよ!?」イサトが怒鳴った。「さっきから言いたい事言っているけどよ、あいつは頑張っているだろう?それは認めてやれよ!」 「力が無いから無いと言っただけだ。それは―――。」 「最初の頃は確かに戸惑う事の方が多かったのですが。」泉水が口を挟んだ。「しかし、院を呪っていた怨霊を退治致しました。少しずつですが、確実に力は強くなっています。」 「それでは遅い。」 「花梨もオレ達も何をしたら良いのか、さっぱり解らなかったんだ!」イサトが再び怒鳴った。「それを一つ一つ自分達で動いて覚えていったんだ。遅くて当然だろう!?」 「そうですね。」幸鷹が頷いた。「神子殿がこの京に降り立ったばかりで右も左も解らない時に助言一つ出来なかったのですから、それは星の一族の責任でもありますよ。」 「っ!」 「何をそんなに焦っているのでしょうか?」泉水が尋ねる。「四神を取り戻すのも院を呪うほどの強い怨霊を退治するのも、占いに出た日にきちんと出来ましたよ。」 「しかし封印は出来ないではないか?これでは怨霊は復活する。」 「龍神の神子が持つと言う封印の力、か。」ずっと黙っていた泰継が口を開いた。「あの者が真の龍神の神子ならば、時期が来れば自然と出来るようになる。出来ないのはまだその時期ではないという事だ。」 「力が無いからという事だってあるやもしれぬ。しかし、院の元にいる神子は巨大な力を持っている。」 「えぇ、それは認めますよ。一瞬で怨霊を消したその力は。」幸鷹が言葉を遮った。「しかし、その後はどうなのです?御所の奥で祈っておられるその側で、院は苦しんでおられました。その院を救ったのはこちらの神子殿です。彼女ではありません。」 「幸鷹殿は院が信じておられる神子を疑うのですか?」 「・・・・・・・・・。」 「僕は疑問に思っていたのです。」黙ってしまった幸鷹に代わり、彰紋が答えた。「龍神は京の守り神です。その神子が院側の人間だけを守っているのは何故だろうと。」 「彰紋様?何をおっしゃっておられるのです?」 「何故、院と同じく怨霊に呪われて苦しんでいる帝は助けて下さらないのだろうと。」 「助けを求めなかったからでは有りませんか?」 「えぇ、求めてはいません。いませんが、求められる状況ではありませんでした。神子は院御所の奥に籠もっているのですから。」 「千歳には兄である俺だって会えないんだ。だからこっちの花梨に頼んだんだ。力があるなら貸してくれってな。」 「二つ返事で承諾してくれたね。心清らかな優しい姫君だよ。」 翡翠がにっこり微笑んだ。 「・・・・・・・・・。」 「・・・・・・・・・。」 「深苑殿。しかし何故、そこまで厳しく接するのですか?神子の頑張りようには文句の付けようがありません。玄武も認めて下さったではありませんか、神子の御心を。」 泉水が顔を曇らせると、幸鷹が言い足した。 「そうですね。朱雀も青龍も認めて下さいましたね。」 「あいつが、手を抜いた事あるか?」イサトが悔しそうに言う。「物忌み以外、一日だって休んだ事は無いんだ。それだって紫姫が泣いて頼まなきゃ、町に飛び出して行く気だったんだ。」 「しかし、倒れてばかりいる。紫に負担を強いている。」 「お前が休ませないんだろう?顔色が悪いから休めって紫姫もオレ達も言っているのに、お前が嫌味ばっかり言って追い出しているんじゃねぇか!」 「それぐらいで己の自己管理も出来ないようでは、先が思い知られる。」 「だが花梨は女だ。朝から晩まで町中を走り回っていたら疲れて当然だろうが。」勝真もイサトに同調した。「怨霊と戦っているんだ。遊び回っているのとは訳が違う。」 「怨霊との戦いがどれほど辛いものなのか、深苑殿はお解りではないのですか?」彰紋までが花梨の苦労を言う。「僕だって怖くて逃げ出したい気持ちに襲われる事もあるんです。まして女人である花梨さんでは・・・・・・。」 「怨霊を祓わねば、何時までも力は弱いままです。」 「何だと!?」 「そうであろう。ただでさえ力が弱いのだ。これでは星の一族の力も発揮出来ずに、紫が苦労するだけだ!」 「それでしたら、深苑殿も一緒に戦って頂けませんか?」勝真が嫌味っぽく丁寧に言った。「さぞかし見事な戦い振りを見せて下さるでしょう。」 「星の一族にはそのような力は無い!」 「だったら大人しく屋敷で待ってな。」途端口調が変わった。「出来もしないくせに、一人前の口を叩きやがって。」 「何っ?」 「兄様!神子様のお力が弱いのは、神子様の責任では御座いません。怨霊がその土地土地の力を奪い取っているのです。龍神様の力が削がれているからです。」 「だが、それを何とかして救うのが神子の役目であろう!」 「深苑殿。」泉水が咎める。「京がこのような状況に陥ったのは、京に住む私達の責任です。己の事は棚に上げて、神子に全ての責任を押し付けるなど許されません。」 「しかし、それが神子に選ばれた者の務めです。」 「それをおっしゃるのでしたら、深苑殿は星の一族としての役目を果たしていると言えるのですか?」幸鷹が強い口調で非難する。「神子を責め続けて精神的に追い詰めるなど、星の一族に有るまじき振る舞いではありませんか。」 「力があったなら、こんなにも我々が苦労する事も無い!」 「じゃあ訊くが、千歳には力があると言うが、それを何に使っているんだ?町に怨霊が蔓延っていて俺達は苦しんでいるのに、あいつが何をしてくれたと言うんだ?」 「千歳殿は今浄土を―――。」 「それは何時なのです?明日ですか?明後日でしょうか?」 「幸鷹殿。そんな簡単な事ではないのです。」 「今、この瞬間にも怨霊に襲われて死んでいく人間がいるのですよ。叶うかどうかも解らない今浄土を願うより、出来る事をやる方が重要なのではありませんか?」 「そうだ。苦しいのは『今』なんだ!助けて欲しいのも『今』なんだ!」 「今浄土など、人間一人の祈りでどうこう出来るものではない。」 「でしたら余計、私には院の神子のやり方は納得出来ません。」 「お主達が理解出来ないだけだ。今浄土ならば、紫もこんな運命から解放される。」 「紫の願いは星の一族としての役目を立派に果たす事です。神子様と一緒に頑張りたいのです。逃げたいと思った事など、一度もありません。」 「紫!お主は貴族の姫なのだぞ?貴族の姫としての幸せを―――。」 「兄様が紫の心配をしてくれているのは解っています。だからと言って、神子様お一人に辛い思いをさせて紫は楽をしようなどとは思っていません。」 「お主がわざわざ苦労を背負い込む事も無いのだ。」 「では花梨さんなら良いのですか?妹姫の負担を軽くする為とはいえ、それはあまりにも身勝手ですよ。」 「彰紋様。しかしあの者が神子なのです。」 「お前は先ほどから何を言っているのだ?」無表情のまま泰継が口を開いた。「結局、院の元にいる神子とこちらの神子を名乗る者のどちらを信じているのだ?」 「(びくっ!)」 「こちらの者を拒絶しているのはお前自身ではないのか?その怒りがあの者に伝わり、気を乱している。倒れるのは力が弱いからではない。」 「無礼な!私のせいだと言っておるのか?」 「事実を言ったまでだ。気が安定しなければ、力は発揮出来まい。当然、穢れにも弱くなる。」 泰継のその言葉に、翡翠と勝真が納得したように頷いた。 「ほう?では結局のところ、姫君のお役目を邪魔しているのはこの若君という事かい。」 「何だ。紫姫に負担を掛けているのは花梨じゃなくて兄である深苑殿という訳か。」 「っ!」室の中で人が動く気配。「これ以上、お前達と話しても無駄だ。」 「っ!」頼忠が御簾の側で立ち尽くしている花梨を抱えるように物陰へと連れて行く。「お静かに。」 「・・・・・・・・・。」 隠れた瞬間。 バサっと御簾を跳ね上げるようにして深苑が飛び出して来た。そして花梨達には気付かず、足早に立ち去る。 「・・・・・・・・・。」完全に見えなくなると腕の中の花梨に謝罪をする。「ご無礼、申し訳ありませ―――。」 「・・・・・・・・・。」 紫姫も天の八葉も私を信じている、それは知っていた。だけど地の八葉が―――神子としてではなくても―――認めてくれていたとは・・・・・・・・・知らなかった。 「神子殿?」 震えながら頼忠の衣にしがみ付いている花梨に声を掛ける。 「ごめんなさい・・・・・・。」 この世界に来て初めて、苦しさ以外の理由で涙が零れ落ちた。 「逃げて行ってしまったな。子供相手に大人げ無いとも思ったんだが。」 勝真の言葉に、幸鷹と泉水が反省するように言葉を継いだ。 「そうですね。しかしこれ以上、神子殿がいわれの無い責めを受けるのは耐えられませんでした。」 「深苑殿にはお気の毒に思いますが、私はもう、神子の辛そうに微笑むお顔を見たくはありません。」 「申し訳ありません。兄は私の事を心配するあまり、神子様に対して厳しく接してしまっているのです。兄に代わって謝罪致します。」 「それは解っております。紫姫の責任ではありませんよ。勿論、深苑殿が悪いのでもありません。」 「まぁな。紫姫だってこんな重荷を背負い込んでいるのには変わりは無いからな。」幸鷹達同様、イサトも少し反省しながら言った。「深苑が妹の心配をするのは当然だと言えば当然だからな。」 「裏目になってしまっているがな。」 「手を抜く事を知らないのは、君も同じだね。」翡翠が労わるように優しく声を掛けた。「あの姫君は紫姫の事も気に掛けておいでだよ?君も少しは肩の力を抜いて、姫君の心を軽くしておあげ。」 「ありがとう御座います・・・・・・。」 しゃくり上げながらお礼を言う。 「ごめんなさい・・・。」 努力している事は認めてくれていた。やっていた事は無駄ではなかった。 「・・・・・・・・・。」 己の胸に顔を埋めて泣き続ける少女に戸惑ってしまう。腕を少女の背中に回し掛けて、止まった。 「ごめんなさい・・・・・・・・・。」 でも、無理をする事で心配を掛けてしまっていた事には気付かなかった。 「・・・・・・・・・。」 従者である己が主を抱き締める事など許される筈も無い。その場に立ち尽くし、ただ流れ落ちる涙を受け止める事しか出来なかった。 |