◆状況



1701年、「プロイセン王国」イベントにより国名がプロイセンになる。同時に北ドイツ一帯に広大な中核州を得て、北ドイツ諸侯に永久大義名分を持つことになった。
イングランドでは連合法が成立し、正式にスコットランドと合併。グレート・ブリテン王国が成立した。(このプレイレポートでは以後イギリスと呼ぶことにする)
ロシアはポーランドよりエストニア・ラトヴィアを獲得し、西方に勢力を拡大。オーストリアはトルコよりハンガリーを獲得し、バルカン方面への足掛かりを手に入れている。
一方オスマントルコは内乱と国内の保守勢力に苦しみ、技術ではヨーロッパ諸国と大きな差をあけられ、もはやウィーン包囲などは望めない状況にまで落ちぶれた。


◆戦略

最終目標は小ドイツの統一である。まずは北方のプロテスタント小諸侯を併合し、国力をつけた後に南独の親オーストリア諸邦を攻撃することにする。
収入も増加してきたこともあり、海軍の増強にも着手。30年以内に軍艦を計30艘まで増やすことを目標とする。
イギリス、オランダとはこれまで通り友好関係を維持してフランスに対抗。またポンメルン争奪戦のためスウェーデンとの仲は冷え切っているが、ロシア対策にこれを修復することにする。


プロイセン王号獲得

北ドイツ一帯が中核州に

◆北方戦争

かねてより北方戦争を戦っていたスウェーデンとロシアであるが、1703年にスウェーデンがロシアにメクレンブルクを割譲することで講和。ロシアはスウェーデン戦の疲弊が残っており、その隙を見逃さずにロシアに宣戦、北方戦争に介入することにした。
メクレンブルクで孤立していたロシア軍は簡単に撃破し、全滅させることに成功。しかしロシア方面への進軍は雪にさえぎられて思うようにいかず、戦線は両国間の唯一の陸上国境であるク−ルラント−リヴラント間で膠着していた。
ロシアは大軍をリヴラントに集結、計12万の大軍が断続的にクールラントを襲撃し、こちらは一貫して守勢に回る。技術差から多少の兵力差は跳ね返せるものの、ロシアの豊富な人的資源の前にこちらが疲弊していくばかりであった。
バルト海でも艦隊決戦が行われるが、ことごとく勝利して制海権を握る。しかしお互いに陸上国家であり、海上封鎖も役に立たないため戦況を変えるには至らない。
後にロシア側からメクレンブルク割譲の申し出があったため、受諾して戦争は終結した。


◆普瑞戦争

1707年、スヴェアランドの交易センターを独占していたプロイセン商人に対し突如スウェーデンが貿易禁止を通告し、商人が締め出されるという事件が発生。これを理由にプロイセンは同盟国のデンマークを誘ってスウェーデンに宣戦、スウェーデン領となっていたオルデンブルクを包囲。
スウェーデン海軍はデンマーク・プロイセン連合軍に敗れ、デンマーク軍はスコーネに進軍、数ヶ月の包囲の後に陥落させる。
その後プロイセンもオルデンブルクを陥落させ、ここでスウェーデンに対しオルデンブルク割譲の申し入れをしたら受諾、講和する。
こちらは1州を手に入れることができたものの、デンマークは戦果に貢献していながら得るものが無かったことが不満だったのか、プロイセンとの関係は大きく低下してしまった。


◆スペイン継承戦争

1700年にスペイン・ハプスブルク家のカルロス2世がブルボン家のフィリップを後継者に指名し死去。これを不服とするイギリス・オランダ・オーストリアがスペイン・フランス同盟に対し大義名分を獲得した。
1709年にはオーストリア・バイエルン・バーデン対スペイン・フランスの大規模な戦争に発展し、アルザス・ロレーヌ近辺では激しい戦争が繰り広げられていた。
後にフランスは賠償金を払い分離講和、戦線から離脱する。これによりスペインは内陸のオーストリアを攻撃する経路を失い、オーストリア軍によって一方的に南ネーデルラントを攻撃される。
1715年、結局南ネーデルラントをオーストリアに、ジブラルタルをイギリスに割譲し(*1)、スペイン・フランスの合同を禁止することで和平が成立した。


◆マインツ攻撃

1716年、属国プファルツとケルンを相次いで外交併合。両国の軍隊もともに接収したため、サポート上限を超える軍を所有することになってしまった。 これを減らすため、1717年、マインツとヘッセンの2州を持つマインツに宣戦布告。マインツは同盟から孤立しており、国力差からして一方的な戦いとなった。
1年後、マインツは全てを失い、ヘッセンを割譲させられてプロイセンの属国となる。


◆その後の情勢

ここで一旦攻撃の手を休め、暫く内治の充実を図ることにする。資金を貯め、国内の要塞と工場を整備。後のEU2VICコンバートを考え、工場を合計10個建てておきたいからである。 知事は既に全プロヴィンスにいきわたっており、25%までなら月収を国庫に入れてもインフレが進行しないようになったため、効果的に資金を貯めることができるようになったのが大きい(*2)。
また、1728年にはマインツを外交併合し、この頃には軍艦は32艘にまで増加した。
オスマントルコはいわゆる「チューリップ時代」であり、スルタンアフメト3世のもとで西洋化が進められていたが、1730年にクーデターでアフメト3世は廃位、西洋化は頓挫する。
ムガール帝国では内乱を抑えることができず、各地の藩王が次々と独立。これに付け込んだ西洋諸国、特にイギリスによりインドは植民地化され、沿岸諸州の多くがイギリス領となっていた。
スペイン継承戦争の最中でカナダでも英仏の衝突が発生。フランスはニューファンドランド・ケベックを失い、ルイジアナに退去させられた。



(*1)The Greatest AIのイベントの一つ。イギリスがAIの場合、18世紀以降自動的にジブラルタルがイギリスのものとなる。
(*2)英語版では知事の効果が変わっており、州に知事を置くごとに毎年(知事の置いてある州の数/全ての州の数)*0.25%のデフレが進行する。


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