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novel


43.「世界について」  
(GetBackers=蛮×銀次)



無限城を出て、一番に向かった先は、まず古着屋さん。
いくら暖冬とはいえ、蛮ちゃん上半身ハダカはまずいし。
包帯してるからいいじゃねえかとか言うけど、包帯は衣類ではないのです。
しかもぐるぐる巻きだもん、病院から脱走してきた人みたいだよ。
そう説得して、いつも行く古着屋さんで前に買ったのとそっくり同じ上着をゲットしたら、おまけにって黒いマフラーをまた付けてくれた。
これって、もしかしてセット売りなの?(笑)
サングラスは、予備が車にあるので問題なし。

身なりがまともになった俺たちは、そのまま、晩ごはんの調達にコンビニへと向かいます。
無限城を出た時は、夕暮れ真近い青空だったけど。
今はもう、真っ暗。
微かに、星がちらちら見える。





新宿の空。
無限城の上に広がっている空。

俺が見た世界は、どこだったんだろう。
あの空の向こう? 
それとも、全然別の場所にあるのかな。






…ねえ、母さん。

それでもね。
あの世界みたいな平和とは、少しちがうのかもしれないけど。



今、俺が見上げている空は。
あそこで見た空よりも。
ずっとあったかいと、そう感じるよ。









「ねえ、蛮ちゃん。晩ごはん、おにぎりにする、それともおべんとにする? どっちにしても、そんなにお金ないけどさ」
「あぁ、あんま腹減ってねえな。握り飯にするか」
「ええ、おなか減ってないの?! 俺なんかもう、ぺこぺこなのに!」
「テメエは、いつだってペコペコだろうがよ、こンの大飯食らいが!」
「むっ、ひどいなあ! だーって、今日はさ。仕方ないじゃん、ほんっとに全然何も食べてなかったんだしさ! なのに、色々ハードで。あ、俺、おにぎりにしよっと」
「俺は、ひとまずビールだな」
「おつまみどうする? ちーかまでいい?」
「おう」
「あ、おにぎり、シーチキンあったっ! あと何にしよーかな。焼きたらこにしよっかな。お赤飯も美味しそー。 蛮ちゃんは、いつもの梅とおかかでいいよね」
「あぁ。お、揚げシュウマイあるじゃねえか」
「それも買う? あ、蛮ちゃん! 俺、肉まん食べたい!」
「まだ食うのかよ」
「だって、おなかすいたんだもん!」
「あぁ、わかった。食え食え」
「あ、ピザまんもあるよ!?  どっちにしよう?」
「どっちでも、好きな方にすりゃいいだろうが。つーか、両方食っとけ」
「わーい! ねえ。蛮ちゃん食べない?」
「俺ぁ、いらねえよ」
「んじゃあ、これで、お金払っちゃうよ」
「おう」


いつものコンビニでのやりとり。
笑っちゃうくらい、いつもと同じ。
あんなことがあったなんて、嘘みたいに。
以前と、何にも変わらない。


蛮ちゃんから投げ渡されたお財布を受け取り、レジのお兄さんにお金を払う。
「あ、すみません。あと、肉まんとー、それから一緒にピザま…」





本当に変わらない。
何も。





…ぽとっ。







「あ、あの」
お財布からお金を出そうとした俺の手の上に、突然落ちてきたものに、レジのお兄さんがぎょっと固まる。
「あ、あれ? 俺、どうしちゃったのかな? ご、ごめんなさ……」






…ぽた、ぽた。





「…銀次?」





うわあっ。
どうしよう。
あ、あのね。
これはね。
別に、お金がなくて、かなしいとか、そういうのじゃないからっ!
本当だよ、ほらほら、お金なら(あんましないけど)ちゃんと持ってるんだからっ。


見当はずれの言い訳を心の中でいっぱいして、焦りながら財布の中をごそごそやる俺の後で、さっきまで雑誌を見ていた筈の蛮ちゃんが、まだ固まってるお兄さんに言った。
「悪ぃ、とりあえず、肉まんとピザまん一個ずつくれ」
「あっ、は、はい…!」
「ば、蛮ちゃん…?」
「なーに、ピザまんごときで感傷に浸ってるんだかよ」
言われて、白い袋に詰められてく肉まんとピザまんをぼんやりと見つめていたら、またぽろりと俺の目から涙が溢れた。
そんな俺の手から財布を取り上げ、やれやれと呆れたように蛮ちゃんが低く笑う。
「べ、別に俺、ピザまん食べられるのが嬉しくて泣いてるんじゃないよ…っ」
「あぁ、わあってるっての」
「あ! でも嬉しくないとかじゃなくて、やっぱりピザまんも肉まんも食べられるのは、すっごい嬉しいんだけど!」
「へいへい。それもわかってるって」
俺の言葉に苦笑しながら、お金を払ってお釣りを受け取り、それを面倒臭そうにじゃらりと上着のポケットに入れて、蛮ちゃんが食料の入った袋を受け取り、持ってくれる。
「おら、行くぞ」
言って、空いてる方の手で、俺の頭をぽんぽんと叩いた。



そんなことが、なんだかとても嬉しくて。
胸がぎゅっと切なくなった。



「ったく、テメエは。コンビニの兄ちゃん、泣いてビビらせてどうするよ」
「で、でも、だって…! あぁ、蛮ちゃん。小銭、とにかくお財布に入れないとっ」
「後でいいだろうがよ」
「だって、ポケットだと落としちゃうし」
「テメェじゃあるめえし、誰が落とすかよ」
「ええっ、ひどいっ! って、あ、待ってよ、蛮ちゃん!」
背中でお兄さんの『ありがとうございました』の声を聞きながら、小走りに蛮ちゃんの後を追う。





前を行く背中が、車のライトにぼんやり霞む。
ああ、けど。
これは、ライトのせいじゃない。
また俺の目が、じわっと涙で潤んで…。


どうしちゃったのかな。俺。
本当に、もう。






横断歩道の手前で気付いて蛮ちゃんが立ち止まり、振り返って、俺が追いつくをの待っててくれる。
そんなことも、いつもと同じ。
『早く来い』、『遅え』とか悪態をつきながら、それでも蛮ちゃんはいつもそうやって、俺が隣に並ぶのを待っててくれるね。


追いつくなり、軽めの拳骨が頭に落ち、"イテッ"と俺が首を縮める。
すると、今度は宥めるように、背中をぽんぽんと二回。軽く叩かれた。
そのまま、掌は俺の背中に支えるように添えられて。
あったかさに、また泣けてくる。



「どうした? 涙腺ぶっ壊れたか?」
「わ、わかんないけど…っ。なんか…」
「銀次ー」
「う、うん。ごめん、大丈夫」
「大丈夫じゃねえ。赤信号だぞ」
「え…! うわっ」

下を向いたまま、歩き出そうとした俺のコートのフードをぐいっと掴んで、蛮ちゃんが笑う。
ほ、ほんとだ。赤信号。

「ご、ごめん」
「ったく。危ねえヤツ」

再び飛んでくるかと思った拳骨は、だけど、慌てて首を引っ込めた俺の頭には落ちてこないで。
代わりに、俺の目に映ったのは、包み込むようにやさしい紫の瞳。
俺の手を取り、そっと蛮ちゃんのコートの袖の辺りに掴まらせてくれる。


信号が青になり、皆が一斉に歩き出す。
俺も蛮ちゃんにひっぱられるように、ゆっくりと歩き出した。


「あのさ」
「あ?」
「蛮ちゃんが、俺の…。俺のね、えっと何て言ったらいいのかなぁ」
「は?」
「俺ねぇ、えっとねぇ、だから、つまりさ…」


蛮ちゃんのコートにしがみついて、べそべそ泣きながら歩く俺は、きっと周囲の人から見たら、泣き上戸の酔っぱらいが絡んでるみたいに見えるんだろうなあ。
まだ、そんな酔っ払う時間でもないけど。
でも俺って、いかにも弱そうに見えるらしいから。お酒。
…なんて。
そんなどうでも良い事ばっかり、頭の中をぐるぐるしてる。
言いたいことは、そんなことじゃないんだけど。


身体がまだ、ゆらゆらしてる。
船酔いの後みたい。






そんなこんなで、どうにか新宿公園に停めてあったてんとう虫くんまで戻り、サイドシートへと滑り込む。
ずっとほったらかしだった車内からは、それでも、あったかいお日様の匂いと、埃の匂いと、微かに煙草の匂いがした。



狭いけど、それでも、ここが俺たちの一番落ちつく場所。
住み慣れた我が家。
(住み慣れてる場合じゃないケド)
肩をこすり合うくらいの距離が、俺たちの日常の距離。
手を伸ばさなくても、触れ合える近さ。

またまた帰ってきたなあって感じがして、鼻の奥がつんとなる。



「おーら、ひとまず、食え。食って、ちったぁ落ち着け」
「う、うん」


って。べ、別にあの。
おなかが空き過ぎて、情緒不安定になってるワケじゃないよ? 俺。
ねえ、蛮ちゃん?
誤解されてんじゃないかなあとか思いながらも、差し出された白い袋から取り出した肉まんに、かぶっとかじりつく。

もぐもぐ。
あぁ、おいしい…。
あったかくて。
ふわふわしてて。
肉汁がじゅわっと。(っていうほどでもないけど。そう感じた)


「う、ううう…っ、おいしい…」
「肉まんで感動してんじゃねえよ。またがっぽり稼いだら、寿司でも焼肉でも食いに連れてってやるじゃねえか」
「うん、うんっ」


ウレシイ。

あ、でも。
いや、だから。
蛮ちゃん、俺はね。
肉まんのおいしさに感動して、泣いてるワケでもないのです。
ホントだよ。
いや、涙が出るくらいオイシイのも、ホントだけど。







ただ。
この空間があったかくて。

蛮ちゃんのいるこの世界が、
俺に、とってもやさしくて。


――だから。







「鼻水で、肉まんがふやけちまうぞ。おら」
ぐしぐしやりながら、蛮ちゃんが差し出してくれたティッシュケースから、ニ、三枚ティッシュまとめて取って鼻水を拭う。
うう、情けない。
そんな蛮ちゃんは、俺の隣で缶ビールをぐびぐびやって、"あぁ、生き返るぜ"とか言ってる。

俺。
蛮ちゃんのそういう"男っぽいしぐさ"っていうの? 
そういうの、なんか好き。
うん、すごく好き。
鼻水ちーん!とかやりながら思ってみても、ちょっと説得力ない気もすっけど。


「あぁ、まったく。テメエはよぉ」
鼻を真っ赤にしてる俺に呆れながらも、蛮ちゃんが目を細めて笑ってくれてる。

それだけで、ほっとする。
心がほぐされてく。


「ごめん。なんか、色々無事終わって。なんか、ほっとしちゃったみたいで…」
「あぁ、しようがねえよ」
「うん?」
「今回は、テメェ一人に、全部しょい込ませちまったからよ」
唐突に、それでも静かに言われ、どきっとした。
フロントガラスから見える空を見上げ、呟くようにそう言って、蛮ちゃんが瞳を細める。


ぐっと胸がつまる感じ。


「そ、そんなことない、よ…! だって、俺、なんも、してない…し…っ」
「んなこたぁねえだろうが」
「で、でも、でも…!俺、ほんとに、何も…。なんか、だって」
「あぁ、わかった。とにかく、食うか泣くかどっちかにしろ」
「うう、た、食べる…っ! ぐすっ」
「食い意地だけは変わんねえな、どんな時もよ」
「うう〜っ、うるさいっ」


笑われて、でも、俺のもっと深くを見ていてくれるような眼差しに、やっぱり涙は止められなくて。




ふいに。
無限城の屋上で目が覚めたとき。
そばにいてくれたのが蛮ちゃんで、本当によかった。
そう思った。




「…なあ?」
「うん」
「別によ」
「んー?」
「全部、無理矢理"夢"にしちまうこたぁねえぞ?」
「…え?」
「思い出した順でいいからよ。また、ぽつぽつ話してきかせろや」
「…蛮ちゃん?」
「オメエが上で何を見て、何を聞いたか知らねぇが」
「うん…」


「一人で抱えてるにゃ、重えだろ?」






…もう。

蛮ちゃん。







蛮ちゃんは、どうして、もう……。










なんで、そんなに、俺のコト。
何も言わないのに、ワカっちゃうの……?









「……う…っ」


「ばーか。足りねぇ脳ミソで、一人でいろいろ考え過ぎなんだよ、テメェは。ったく、なーんも考えてねえノーテンキに見えて、変に聡いからよ。始末が悪いっての」
「…蛮ちゃぁ…ん」
涙声で呼ぶと、あたたかい掌が俺の頭に置かれて、くしゃくしゃと髪を撫でてくれる。
そのまま、頭が胸へと抱き寄せられて、両方の腕が背中へと回された。





あたたかな胸。
あたたかな腕。





あったかいなあ…。
蛮ちゃんは…。





だから、余計に泣けちゃうんじゃん…。
俺。





泣き虫なの、俺のせいじゃないよ。
蛮ちゃんのせいだよ。きっと。






思いながら、その胸に頬を押し当てじっとしている間、ただ静かに涙は頬を流れ落ちた。
声をたてて泣くには、まだ俺の中で、何もかもが混乱してて。
うまく、考えもまとめられなくて。

でもまだ消化しきれてないそれを、今、蛮ちゃんに聞いて欲しくて。


「…今は、まだ、ね」
「ん?」
「本当に、何もかもよくワカんなくて…。自分でも、どこからどこまでがゲンジツで、どこからどこまでが夢だったのか、その境界線すら、よくワカんなくて…」
「あぁ、そうだろうな」
涙声に答えてくれる蛮ちゃんの声は、少し笑っていて。
また、ぽんぽんと背を叩かれて、肩の力が抜けていく。
「だからよ。別に一度に話せとか言う気もねえし、それも、今すぐにとか無理強いする気もねえ。ただ、テメエが自分で、夢か現かわからねぇ、そんな話でもいい。話したくなったり、ふいに思い出した時によ、俺にぼちぼち話してきかせろや」
「蛮ちゃん…」
「一人で抱え込むなってな。そう言ってんだ、俺は」
「ん…」


すべては、俺の"よくわからない夢"。
そんな風に終わらせてしまおうと、咄嗟に思ったのは、本当のこと。

実際、よくわかんないし。
自分でも、自信がないし。


でも。
あたたかい言葉に勇気づけられて、やっと微笑む。

蛮ちゃんがわかってくれてるんなら。
俺は、それでいいよ。
そんで充分。




「ありがと、蛮ちゃん」
「…おう」



へへっと、なんだか急に恥ずかしくなって、蛮ちゃんの胸から身を起こした。


聞いてほしいことは、たくさんあるんだ。
蛮ちゃんには。
けど。まだそれも、頭の中がとっちからってる状態で。
何から話したらいいかも、ワカんないけど。


「あ!」
「あ? どうした?」
「思い出したっ」
「は? 何をだ」
「バビロンシティで見たこと…!」
「いきなりだな」
「だって、思い出した順に言えって!」
「あぁ、そう言ったがよ。…で? 何だっての」




「カヅッちゃんが女の子で、十兵衛とラブラブだった――!!」




ブ――ッ!

「うわあ、蛮ちゃん! ビール吹かないでよっ!」
「アホか、テメエ! ゲホッゲホッ!」
「だだだだ大丈夫、蛮ちゃん! はい、タオルっ」
「つーか、脳ミソ、虫でもわいてんじゃねえのか、テメエ!!」
「うわん、ひどいっ! でも、本当にそうだったんだもん! 女の子だって、赤屍さんも言ってたし!」
「クソ屍の言うことなんぞアテになるか! ていうかよ、絃巻きカマ子が本当に女だったら、洒落になんねえだろうが!」
「ええ!? そんなこと言ったって! だってだって、本当に女の子だったよっ!!!」
「あぁ、気色悪ィ! どんなトチ狂ったパラレルワールドに行ってきたんだ、テメエはっ!」
「えー? じゃあ、あれは本当に俺の夢だったのかなぁ」
「夢にしても、気持ち悪過ぎだっての!」
「うーん」

というか。
蛮ちゃん、そこまで言わなくても。
まあ確かに、言われてみたらそうだけど。

うーん、うーん。

「ったく、これだからテメエはよ」
ビールが飛んだズボンをタオルで拭いながら、心底呆れたように言われて苦笑する。
「でも、そういえば、それで俺。他の人と会うの、やめちゃったんだよね」
「他の?」
「うん。赤屍さんが、"他に誰に会いたいですか?"って俺に聞いたんだけど。…なんか、俺の知ってるみんなと違い過ぎて。会うの、こわくなっちゃって」
「……へぇ」
「だって。たとえば、蛮ちゃんがさ」
言うなり、ギロリと殺気を含んだ目がこっちを見る。
「…俺が?」
「に、睨まないでよっ! た、たとえば、もし、蛮ちゃんが女の子とかで、そんで、えーと、たとえば波児さ…」
「気持ち悪い想像すんなっ! ブッ殺されてえか――!!!」
「痛あっ! まだ全部言ってないじゃんかっ」

思いきり殴られて、頭を押さえて、えーんと涙ぐむ。

蛮ちゃん、今、目から星が出ました!
俺、マジでお星さまが見えちゃったよっ!?

「充分だ、このぼけなす! どんなおぞましい妄想しやがんだ、テメエはよ!!」
「も、妄想って! いだだだだ〜〜!! 痛いよ、蛮ちゃん! 頭もげちゃいますっ」
「つーか! それで、テメエはどうだったんだよ?」
「え? 俺? 俺はこのまま、ふつーに男で」
「アホ! んなこと聞いてんじゃねえ!」
「いたぁっ!」
「だーから!」
「だから、何っ?」
「オフクロさんのことは、そんで良かったのかって聞いてんだよ!」


――え?


良かったのかって。
それ、どういう意味?


「良かったって…?」
「帰ってきちまって、良かったのか?」


蛮ちゃんの言葉に、俺は、素できょとんとなる。
それって、どういう…?


「ん? なんで?」
「何でって」


「もしかして、蛮ちゃん。俺が、母さんと会ったら、もう帰ってこないと思ってたの?」


蛮ちゃんの顔が、なんだかバツが悪そうになる。
…まさか、ほんとに?

そんな心配、してくれてたの?


「…別にそうは思っちゃねえが。ずっと会いたがってただろが、お前」
「うん。実際、会えたのはすごく嬉しかったし。でも…。会えたら、そんでいいって、最初から思ってたから。それだけで充分だって」



そして。
それは本当のこと。
会ってどうしようとか、俺、本気で全然考えてなかった。
蛮ちゃんとこに帰ってくることしか、頭になかった。
もしかすると、俺って、案外薄情なのかな…?



「…そっか」
「うん。それにね。"母さんの息子"の天野銀次は…」


――もう、いないから。


「…銀次?」
「ううん、なんでもない」
「何かあったのか?」
「ううん、そうじゃなくて。けど俺、やっぱり会えてよかったと思うよ。どんな人かなって、ずっと考えてたから」
「あぁ」
「きれいで、やさしそうな人だったよ」
「そっか」
「うん! 俺と違って、すんごく頭良さそうだったけど!」
「あぁ、ま、そりゃ仕方ねえな」
「むー。何それ、あっさり」
「まあ、いいじゃねえか。バカな子ほど可愛いっていうしよ」
「…蛮ちゃん、それフォローになってないよ…」



それにしても。
あの世界の俺は、どんな風だったのかな。
もっと、頭良くて、親思いのいい子だったのかな…?



でも。
もう、いないんだって。
そのことは。


今は、蛮ちゃんには、やっぱり言えない。
俺よりずっと、蛮ちゃんのが傷つきそうで。



「それでさ。会った後で、なんか難しい話になって。そんで…。俺、そこんとこは、どうもよくワカんなくて…」
「何の話だよ」
「うーん。世界について?」
「世界?」

話しながら、すっかり肉まんもピザまんも制覇した俺は、今、2個めのおにぎり。
焼きたらこ、大好き!
蛮ちゃんも2本目のビールと、2個めのおにぎりをもぐもぐ。ぐびぐび。

「あ、ちーかま、全部かじっちゃった? 俺のは?」
「テメエの分、一本置いてやってるじゃねえか」
「わ、ほんとだ。ありがとー。あ、シュウマイも半分こにしてね!」
「つーか、テメエの世界は、食いモン中心に回ってるって話か?」
「そ、そうじゃないよっ」

焼きたらこのおにぎりをほおばりながら、黒ウーロン茶をぐびっと飲んで、俺が考える。
それは、ホントに、よくわからない話で。
だから余計に説明も難しくて。

「うーんと。今、俺たちのいる『無限城のあるセカイ』と、母さんたちが住む『無限城のない世界』が、なんか、ええっと……。確か、バック…ネット?? が、どうとかって?」
「…は? バックネットだ??」
「うーん。バックネットじゃないか。ええっと。バック…ドロップ??」
「はあ?」

うーん。
やっぱ、違う?
確か、バックなんとかだったと思ったんだけど。

「うーんうーん、何だっけ?」
「俺が知るかよ」



それでも覚えている範囲で、科学者さんとかいろんな人たちが集まって、『ブレイントラスト』が出来て、今、ある世界をどうにかしようと(どうしたかったんだっけ?)、やってみたんだけど、なんかね、俺たちのセカイが勝手にどんどん違う方向に動き出しちゃってね。
などと、わからないなりに話しているうち。


眉を顰めてビールをぐいっと仰いだ蛮ちゃんが、ふと、その動きを止めた。
どうやら、俺の言葉を適当に頭の中でパズルみたいに入れ替えて、繋ぎ合わせてくれたらしく。
何か、はっとしたような顔になる。



「蛮ちゃん?」
「…まぁ、それはそれで有り得ねえ話だがよ」


ぽつりと一言落とした後。
じゃあよ、と、俺の言葉を切って、続けた。


「…いるのかもしれねぇな。こっちにもよ」
「え?」
「お前の母親が、この世界の何処かによ」



言われてみて。
あ、そうかな、と思った。


俺と同じセカイにいて、俺と同じ空を見ている。
俺の、母さん。
それはそれで。
何だか、すごく嬉しい気がする。



「そっか…。そういうことになるのかなぁ。だったら、また逢えることもあるかな」
「かもしれねえな」
「うん。そうだね、きっと」
「ああ」
「じゃあ、そん時はさ! 今度は、蛮ちゃんも一緒に会ってね」
「あ?」
「紹介したいんだ。母さんに! 俺の、蛮ちゃんを」
「――銀次…」


蛮ちゃんは、俺の言葉に何だかとっても驚いたような顔をして。
だけど、ちょっと考えてから。
俺の髪をくしゃくしゃって掻き混ぜるみたいに撫でて、瞳をやさしく細めて頷いてくれた。
「…あぁ」
深く、あたたかい、紫の瞳。


――ああ、帰ってきたんだ…。


蛮ちゃんの瞳を見つめ、また、しみじみと思う。







そして、この色が。
これこそが。
俺のセカイを司る色。
俺の世界を根本から支え、そこに彩りと温もりを与える。
『俺』を構築する、すべて。




そっか…。
この色が、彼処にはなかったから。
あんなに空虚に思えたんだ。
なにもかもが、色褪せて見えた。
輝きを失くして見えた。




何を見ても、
どんなことを知っても。
誰に会っても。





心は動かされなかった。






「あのね、蛮ちゃん」
「ん?」
「俺はさ。たとえば母さんの住むそこが、どれだけ平和で戦いのない理想世界だとしても」
「あぁ?」
「俺は、やっぱりこの世界が好きだよ。蛮ちゃんがいて、蛮ちゃんと生きて、一緒に奪還屋やってけるこの世界が、一番大事で、一番好きだ」
「…銀次」



頭の中に思い浮かんだまま、言っちゃった後。
言葉に、あとから気持ちがついてくるみたいに、胸がぎゅっと切なくなった。
目許が赤くなってるのが、自分でもわかる。


堪えようとしたけれど。
やっぱり、それは、どうしても止められなくて。



再び、俺は、蛮ちゃんの胸に抱き寄せられた。



今度は、強く。
ぎゅって音がしそうなくらい。
抱き竦められる。



耳元に寄せられた唇が、甘い低音で俺に囁く。



「なら、よぉ」
「…うん?」
「もう、どっこも行ったりすんじゃねえぞ?」
「…え?」





「ずっと、俺の隣で生きろ。それ以外は赦さねえ」





俺の背中に回された腕に、ぐっと力が込められた。

「うん…。うんっ、蛮ちゃん!」

応えて、俺も回した腕で、蛮ちゃんの身体をぎゅっと強く抱きしめる。














ねえ、母さん。


このセカイには確かに、母さんの世界よりも、
『平和』は、足りないのかもしれないけど。
しあわせは、むしろ、たくさんある気がします。


探せば、きっとそれは。
どんなところにもあるものなんだ。
そう思うよ。



そして、俺は今。
こんな風に、しあわせです。
誰よりも。
胸を張って、しあわせって言える。







いつか、この世界にすむ母さんに、もし出会えることがあったら。
紹介するね。



この人がね。
俺の蛮ちゃんです。
俺に、しあわせって何かを教えてくれた人です。





俺の世界の、ぜんぶ、なのです。











――なんちゃって(照)。



















今夜は、月がとてもきれいだよ。
…母さん。











END