20.心の卵 (GetBackers=蛮×銀次) |
首を捕まれ押し込められるように、暗い水底へと沈められた。 続くのは、ただ混沌とした闇。 苦しい息。藻掻く手足。 そんな中でさえ、何とか意識を保とうとすれば。 それを嘲笑うかのように、自分の中に雪崩れ込んでくる他人の負の感情。 悲しみ、怒り、絶望。 心の中が、再び誰かの乱暴な手で掻き回されたようにぐちゃぐちゃになり、頭が割れるように痛んだ。 掻き回され混ぜ合わされた感情は、どれが自分のものかももうわからない。 この強い怒りは、自分のものなのか。 この深い悲しみは。果たして誰のものなのか。 混乱したまま、だが、"それでいい"と声がし、意識は唐突に覚醒へと向かう。 腕を取られ導かれる。何者かの強い意志に、水底から引き上げられる。 そして、本格的な覚醒と同時に。 さあ、その怒りのままに。 悪魔を倒せと、頭の中で声が響いた。 ――俺は守るんだ。 この悲しみから、絶望から、皆を守って、守って。 この身が熱量を使い果たし消失するまで、すべての悪魔を薙ぎ払うまで、ただ戦い続ける。 怒りを雷に変え、すべての敵を灼き尽くすんだ。残らず全部―。 そうして、やっと我に返り、ゆっくりと瞳を開けば。 目の前に広がるのは、まさに地獄のような光景だった。 破壊の限りを尽くされ、焼け落ちた町。 異臭を放ち、折り重なり山となった灼け爛れた無数の骸。 足下を、見覚えのある花柄のワンピースの切れ端が舞う。 "これ、いっちょうらなの"と、慕ってくれていた小さな少女が、以前自慢げにその裾を摘んで広げ、嬉しそうに話してくれた――。 それも、その笑顔も、今は。 無惨に、黒く焼け焦げてしまっている。 あの闇と同じ色に。 「ウ、ワ、アアァァアア――――ッ!!」 そうだ。 気がつけば、いつもそうして。 俺の足下は、血にぬかるんでいた。 それでも、戦わなくちゃ。 まだ、俺は倒れちゃいけない。 皆を守って。 戦うんだ――。 頭が割れそうに傷み、その気がおかしくなりそうな痛みの中、心は堅い殻の中に隠した。胸の奥深くで、瞑らせた。 そうしないと、いつか自分で自分の心を殺す。 そう思ったから。 俺の真実(ほんとう)のココロは、俺の肉体が朽ち果てた時。いったい何処に行くんだろう。 ただ、消えてなくなってしまうのだろうか。 誰にも気づかれず、見つけられず。 孵化出来なかった卵のカタチのまま。 「ひとりぼっちで淋しいんだ」と、すすり泣きながら。 「………う」 「銀次…。銀次!」 「シート、ちょいと起こすぞ」 「………っ…」 「息、しっかり吐け」 「…………は…ぁ…っ」 「おうよ、もっと。吐いた後は、嫌でも吸うしかねぇだろ。続けろ」 「…………蛮ちゃ…」 「いいから」 「……う……はぁ、俺…っ」 「喋んなくていいから、っつってんだよ。おら、息止めんじゃねえ」 「あ……はぁ…っ…」 琥珀の瞳をうっすらと開くと、素っ気ない言葉とは裏腹に、心配げに自分を見下ろす紫紺がそこに在った。 努めて息を整えようとしながらそれを見つめると、額から落ちてきた汗が目に入って、視界がぼやける。 それに不快そうに顔を歪めれば、大きな掌が寄せられ、頬を包むようにしてそれを拭ってくれた。 そのあたたかな感触に、やっと少しほっとしたように、銀次の全身が緊張から解ける。 時刻は、丑三つ時あたり。 いつもの塒である新宿公園の駐車場にいるんだと、僅かに開いた瞼の隙間から銀次が確認する。 大丈夫。 ここは違う。 あの中じゃない。 もう、あの中じゃない。 いつも眠っているてんとう虫くんのシートで、隣にはちゃんと蛮ちゃんがいる。 "蛮ちゃんがいる。" 胸で反復した言葉に、心が瞬く間に反応を示した。 ざわついていた胸の内側が、急速に落ち着きを取り戻していく。 まるで、魔法のように。 そして、言われるままに大きく息を吸い込もうとして、いきなり肺に流れ込んできたいっぱいの酸素に、銀次はむせて強く咳き込んだ。 「むせるほど吸うバカがいるか。意地汚ねぇ!」 「だ、だって……! 蛮ちゃんが、げほっ、ごほっ! 息、しろって、ゴホッ」 「あぁ、ったく、世話のやけるヤロウだ」 上体を折り曲げ、苦しげな銀次の背を撫でてやりつつ、蛮が微かに溜息を漏らす。 けれど。それは、多分に安堵の色も含んでいて。 銀次がそれを敏感に感じ取り、涙目の視線を上げ、蛮を見る。 それに安心させるように瞳を細め見下ろして、まだむせつつもかなり意識のしっかりしてきた銀次の様子に、蛮は運転席のドアを開き、ふいに車を降りた。 「蛮ちゃん…?」 「ちっと待ってろ。すぐ戻る」 その言葉通りに、僅かな時間で戻ってきた蛮の手には、冷たい緑茶の缶があった。 どうやら、車内に銀次を一人にしておくのが不安だったらしく、急いで買ってきたのだろう。 「おら」 「え」 差し出され、銀次が瞳を丸くする。 「飲めや」 「あ… ありがと」 「おう」 隣でブラックコーヒーを開ける蛮を横目で見ながら、銀次も渡された缶のプルトップを開く。 起こされたシートに背をもたらせ、膝を抱えるようにして身を丸め、コクコクと喉に流し込むと、お茶の味にまた少しほっとした。 なるほどこういう時、日本茶って落ち着くんだなーと妙に感心し、全部飲み干して、はあっと大きく息をつく。 「なんか。はぁ、すっきりした」 「…落ち着いたか?」 「うん」 笑みの戻った顔を見つめ、蛮が目を細めて、ぐいっと残りのコーヒーを飲み干す。 それを見つめ、何やら言いたげな銀次の顔に気づくと、口に出される前に遮った。 「しかし、まあ」 「ん?」 「すげえ汗だな」 「え、そう?」 「おら、これで拭けや」 「あ、うん、ありがとー。って、蛮ちゃん! これゾーキンですけど!」 「気にすんな」 「き、気にするよっ!」 「んだよ。ぐだぐた文句抜かすな! テメエで出来ねぇなら、俺様がやってやろうか。あ?」 「って、え゛え゛っ! うわっ、も、ちょっ、蛮ちゃんって、ばっ! んああっ」 「おーら、だいぶきれいになったぜ」 「ぶわっ! ひどいなぁ、もお! あぁ、なんかコレ。ワックスの臭いがするー」 「あー。そういや、この前てんとう虫掃除してそのままか」 「そ、そのままかって! 俺って、てんとう虫くんと同じ扱いなのっ」 「おう、光栄に思え」 「何それ! ひどいよー、蛮ちゃん!」 「うるせえ」 半笑いになりつつ、蛮が銀次の頭を押さえつけ、雑巾でごしごしとその顔を拭けば、銀次が"ぎゃー"と悲鳴を上げつつ、それでも笑いながら、その腕の中で手足をじたばたさせる。 いつものじゃれ合い。 スキンシップ。 まったく仲が良すぎだと、ヘヴンあたりがよく呆れてこぼすが、それでも子供みたいにじゃれ合う時間は、二人にとって大切な時間だ。 そうやってふれあって、互いの存在がそこにある事を実感する。 何より、単純に心から楽しいということもあるけれど。 さんざんじゃれ合った後で、すっかりその腕の中でくつろいだ表情に戻っている銀次を確かめ、蛮が安堵したように身体を運転席のシートに戻す。 「それにしても今夜はよ。特別蒸し暑ぃよな」 「え? うん」 だから、そのせいで嫌な夢でも見たんだろう。 ぶっきらぼうな言い方だが、そんな慰めの意味合いが込められているのが銀次にはわかった。 「うん。風も全然ないしね」 「あぁ」 答えながら、蛮が胸ポケットから煙草を取り出す。 ジッポがその先に火を点し、暗がりの車内でジ…と微かな音をたてた。 全開の窓から、しかし入ってくる風はなく、紫煙はただ、蛮と銀次の目前を漂うばかりで。 それをしばしぼんやり見つめていた蛮は、やがて小さくチッと舌打つと、黙って車のキーを回した。 突然のエンジンの音に、銀次が驚いたように隣を見る。 「蛮ちゃん?」 「何だ」 「どっか、行くの?」 「あぁ」 「…こんな時間に。どこに?」 「いいから、テメエは寝てろ」 「え、でも」 「別に行くアテなんぞねぇよ」 「そうなの? でも、だったらどうして」 「ああ、うっせえな、テメーは!」 「だ、だってさ」 「走りゃ、少しは風も入んだろ」 「…蛮ちゃん」 走り出したスバルのハンドルを握る蛮の横顔は、なぜか少しばかり不機嫌そうにも見えて。 でも、それを隣で見つめながら、これは照れ隠しなんだと銀次が思う。 寝苦しい夜に、悪夢に魘される相棒を心配して、蛮は気遣ってくれているのだ。 僅かでもいいから、安らかな眠りを与えてやろうと、気遣ってくれている。 そういえば、出逢った頃もこんなカンジだった。と銀次が思い返す。 あの頃は、もっと魘される夜も頻繁で。 それでも蛮は文句の一つも言わずに、夜泣きしてむずがる赤ん坊をあやすかのように、銀次が眠りにつくまでこんな風に夜の街を走ってくれた。 (もっとも深夜のドライブは、お金がある時限定だったけれど) 無限城の近くから、少しでも銀次を遠ざけたい。 そんな想いもあったかもしれない。 街灯のオレンジの光と、対抗車のライト。 それがなんだか、妙に瞼にあたたかく感じる。 車内は無言。 それでもそれは、決して重い沈黙じゃなく、むしろ、やさしい沈黙のような。 どこを走っているんだろう。 いいから寝てろと言われ、再び倒したシートからは、窓の外がよく見えない。 それでも、ハンドルを握っているのは蛮だ。 だから、目的地がどこであれ、銀次は安心して目を閉じていられる。 風も、さすがに走っていれば、窓からそよぐように入ってくる。 車の振動と、その心地よい風と、蛮の煙草の匂いからもたらされる安堵感に包まれて、銀次はいつのまにか、少しだけ眠っていたらしい。 気がつけば思いのほか、時間は進んでいた。 銀次が、眠そうに目を擦りながら、まだトロンとした瞳で蛮を呼ぶ。 「蛮ちゃん」 「ん?」 「風、気持ちいい」 「…そっか」 「俺、ウトウトしてた?」 「ウトウトじゃなくて。寝てろつったろ?」 「うん。でも、運転してるってことは、蛮ちゃんだって眠れないってことだし。俺一人寝てるの悪いなぁって」 「関係ねぇよ。好きで転がしてんだ。テメエは、気にせず寝てりゃいい」 「うん。あ、でも」 「あ?」 「…スピード出しすぎだよ。安全運転でね」 「あぁ?」 「だってさ。スピード違反で捕まっちゃったら、もともこもないし」 「んな時間に、おまわりも張っちゃいねえよ」 「そんなの、わかんないじゃん」 「うるせえ。いいから、テメエは黙って寝てろっての!」 「痛っ! もうっ、すぐ殴るー。…あれ?」 「ん? 何だ」 「波の音がする…?」 「海岸線走ってっからな」 「そっかー。海の近くなんだ」 「おう。朝、目が覚めたら、なかなかにいい眺めかもな、ここらは」 「この辺で停める?」 「もうちょい高台まで行くか。まぁ、気のもんかもしれねぇが、多少は涼しいだろうぜ」 「そっか。うん。そうだね」 蛮が車を停めたのは、確かに高台らしかった。 道沿いにぽつりぽつりと街灯があるだけで、暗くて何があるのかもよくわからないけれど。 遠くで、チカチカしているのは、もしかすると灯台の明かりなんだろうか。 だとすると、この場所は。 まもなく夜が明ければ、目前にはかなりな絶景が広がっているかもしれない。 「風。潮の匂いがするねー」 「へえ。わかんのか、テメェに」 「失礼だなぁ。わかるよ俺だって、そんくらい」 「どーだか」 揶揄するような口調に、口を尖らせて銀次が反論する。 続く言葉には、少々切なさも混じっていたが。 「無限城にいた頃は、知らなかったけどさ」 「…ぁあ。そりゃあな」 頷いて、蛮が煙草を取り出す。 火が点され、今度は紫煙はきれいに風に流れた。 銀次が倒したシートから、その煙と空を仰ぐ。星がきれいだ。 「俺、そういえば、蛮ちゃんと一緒にいるようになってからの方が、初めて知った事たくさんあんだよねー。海の広さとか山の高さとか。街とか、世界ってどんななのか、とか」 「あぁ」 「そんな大っきな事じゃなくてもさ。蛮ちゃんにしたらどうでもいい些細なことでも、俺には本当にビックリの連続の毎日だった」 ぽつりぽつりと話す銀次に、蛮がそのころを思い出して、少し遠くを見るようにサングラスの奥で目を細めた。 「そういや、まだ奪還屋始めたばっかりの頃。公園で飯食ってたら、アリが落とした飯粒運んでったって、テメエ、地面に腹這いになって、珍しそうにソレ見てたっけか」 「だって、あんなに小さいのに! 自分の身体ほどのごはん粒運んじゃうんだよー」 「いや、そーだけどよ。それにしたって、でけえ図体して、公園のベンチの前であんな格好されてみろ」 「蛮ちゃん、そういや他人のフリしてたっけねー」 「あったり前だ! 格好悪いだろうが! ガキ連れじゃあるめぇしよ」 「ちぇー」 思い起こせば、他にもそんなことの連続の毎日だったと蛮が思う。 1つ1つ珍しがって感動している銀次を見て、時折同じように「そりゃ確かにな」と納得しているうち、いつのまにか、自分の視点や価値観も変わっていった気がする。 人に対する想いだとかも。 暗闇の中の遠くの光を見つめるように、銀次が言う。 「俺、あの中で。本当に何も知らないで生きてきたんだね…」 とりあえず。生き延びてきた。 そのために、かなりな代償も払って。 「……」 その重さを思うと、返してやる言葉が見つからない。 今がこうだからとか、仕方がなかったとか、そんな簡単なことじゃ到底ない。 生き抜くということ自体が、あの中では戦うということだったのだから。 「蛮ちゃん?」 「ん?」 「俺、すごく魘されてた?」 暗がりの中で静かに笑んで、銀次が尋ねる。 意味を察して、蛮が、その問いにやや睫を下ろした。 切迫した気配を感じて慌てて目を覚ました時には、隣のシートで、銀次は汗をびっしょりかいて苦しそうに顔を歪ませていた。 見れば、両手の指を自分の首に喰い込ませ締め付けているようで、一瞬血の気が引き、背中が凍りつく想いがしたが、その手を離させてみれば、どうやら自分で自分の首を絞めようとしていたわけではなく、悪夢の中で誰かに喉を押さえられた手を懸命に外そうとしているようだった。 それでも呻き声一つ立てずに、汗をびっしょりかいて堪えている銀次に、胸が痛んだ。 「いや―。テメエ寝相悪くてよ。運転席まで足伸ばしてきやがるからムカついて、一発殴ってやろうと思ってサイドシート覗き込んだらよ。息してやがらねぇもんで、ちっと焦った」 「え…」 「自分で、止めてたぜ」 「…そうなの?」 「あぁ」 「そっか、だから。どうりで」 「あ?」 「苦しいと思った」 「…ま、どうせテメエのこった。夢ん中で素潜りでもして、海中の生きたマグロやエビ食うべしで格闘してやがったんだろ」 「え、ひどいなぁソレ! 俺、そこまで食い意地張ってないよ〜?」 「さて、どうだかな」 「だってさ、生でそのまま食べるより、やっぱお寿司で食べる方が断然好きだし!」 「はぁ? 何だそりゃ。そういう問題か?」 「そういう問題なのです! だって、おいしいもんをおいしく食べるってさ、やっぱ大事な事だもんね〜?」 「へいへい。お気楽なヤロウだぜ、まったく」 思いもよらない答えに、蛮が片眉を下げ、やれやれという顔をする。 そして、銀次の髪をくしゃくしゃと乱暴に掻き回せば、銀次が肩を窄めて笑い声をたてた。 その笑顔を慈しむように見つめながら。 蛮が思う。 いつからだろう。 こんな風に。 重い過去も、つらい記憶も、二人で笑いとばせるようになったのは。 それで忘れたりできる筈は勿論ないけれど、抱えている荷物がそんなに軽いものではないとよく知ってもいるけれど。 そうやって、笑っていればなんとなく。 逃げずに立ち向かっていける気がするから。 全ての事に。 そうやって、強くなれる気がする。 強くなってきた気がする。二人一緒に。 「さて、と。いい加減寝るぞ。テメエも寝ろ」 「うん…」 短くなった煙草を灰皿に揉み消し、蛮が銀次と同じ位置までシートを倒す。 夜明けまで、あと少し。 つらい夜は、間もなく明けるだろう。 それでも、どこか不安げな銀次の様子に、蛮が笑んで、腕を伸ばした。 「来るか」 「え?」 「…来てぇか? こっちによ」 「うん!!」 蛮の声に、心底嬉しそうな笑顔になって、銀次がその腕の中に飛び込んでくる。 「おわっ、犬かテメエは! 飛びかかってくんな!」 「だってー。へへーv」 狭いシートで、足元のレバーも邪魔で、くっつくと言っても上体を寄せるだけがせいぜいなのだが、それでも銀次はこうして眠るのが好きだ。 蛮の腕に包まれるようにして眠ることが。 もっとも、夏になってからは熱帯夜続きで、さすがにくっついて眠れば身体中の水分が汗になって奪われてしまいそうで、しかも時折、全開の窓から車内を覗いていくホームレスもいたりするので、オチオチそんなこともしてはいられなかったのだ。 もしかすると、それがための深夜ドライブだったのだろうか。 銀次が、こそりと思う。 「ねえ、蛮ちゃん」 「何だ」 「いつも思うんだけどさ。不思議なんだよ?」 「あ? 何がだ?」 「蛮ちゃんの腕にこうやって包まれてたらさ。不安な事や怖いこととかさ、そういうのが、何でもないことみたいに思えてくんだよねー」 言って、蛮の胸の上に顎を置いて、その顔を見上げる。 甘えた目つき。 どうしたって、それを可愛いとか思ってしまう自分に、蛮がいつものことだが辟易とする。 それでも、甘えてくる身体を愛おしげに、そっと両腕の中に包み込んだ。 これで安心を与えてやれるなら、容易い。 「俺さ。蛮ちゃん。タマゴの夢見てた」 「あ? 卵だ?」 「うん…」 "どういう夢だ、そりゃあ"と蛮が尋ねると、銀次が少し伏し目がちになる。 「俺…。下層階のみんなを守るために戦い続ける事が、俺が生きるってことなんだろうって、昔は漠然と思ってた。それを不幸とか、そんな風に考えたこともなかったけど、でも――。時々ね、息をするのも苦痛なほど苦しくて。身体中が軋むほど孤独で…。そのうち、だんだん自分が誰なのかも、何を考えてるのかもわからなくなる時が増えてきて…。正直、怖かった」 「銀次…」 「だから、まだ意識がはっきりしてるうちにって。心と記憶をタマゴに詰め込んで、胸の奥底に沈めたんだ。でも、そのことさえも、俺はすっかり忘れてて、思い出せなくなっていて…。俺の本当の心は、いったいどこにあるんだろうって、戦いの合間に時々考えてた」 悲痛な言葉。 銀次の背を抱く蛮の手に、そっと力が込められる。 それでも、見つめる紫紺の瞳は静かだ。 それを見つめ返して、銀次がふいに微笑む。 「でも、蛮ちゃんと出逢って、やっとわかった。思い出せた」 「銀次…」 「蛮ちゃんが、そんな俺の腕を取って、その腕の中に抱き包んで温めてくれたから。だから俺、やっとそのタマゴの在処を思い出して。そして、その殻を内側から破ることが出来たんだよね」 さも嬉しいことを話してきかせているように、銀次がやや頬を染めて、にっこりと蛮に告げる。 「本当の俺を、蛮ちゃんが見つけてくれた。蛮ちゃんの腕の中で、今の俺は生まれたんだよ」 蛮が、瞠目する。 屈託無い笑みでそう告げられ、胸の奥が熱くなった。 なんてことを、言い出しやがるんだか。 まったく、コイツだけは。 けどまぁ、刷り込みという点では、納得できなくもない。 なんせ、出逢ったばかりのヤツに、あんなに好かれ慕われるなんて、そうそうある事じゃない。 ましてや、こちとら、憎まれてなんぼの邪眼の男・美堂蛮様だぞ。 「…なんつーか。シュールというか、テメエらしいメルヘンな話だがよ」 「って、これ。真面目なお話なんですけど!」 「へいへい」 「って、ちゃんと聞いてた?」 「おうよ」 「本当かなぁ」 「聞いてるっつーの。まぁ、言われてみりゃ確かにな。出逢ってしばらくの頃のオメーときたら。嘴の黄色い、まだケツに卵の殻くっつけてるような生まれたての雛みてぇに、俺の後ろピヨピヨピヨピヨくっつき回ってやがったな」 「うん、うんっ」 「って、嬉しそうに納得してんじゃねえ、アホ」 「いたっ! んで殴るのっ」 だけどもよ。 お前が生まれたっていう、俺のこの腕はよ。 お前も知ってんだろ。呪われてんだぞ?と、蛮が一応言ってみる。 初邂逅の時に、既に銀次は目にしている。 凶々しい異形の腕(かいな)。 だが、予想通り。 事も無げに、銀次は笑顔で答えた。 "でも、俺、蛮ちゃんの腕にくるまれてる時が一番安心するよ ここが世界中で一番、俺が安心できるとこなんだよ!" そして、極めつけ。 "それにあの腕、カッコいいし!" はあ? カッコいいだぁ? あのなぁ…。 呆れて返す言葉を失って、蛮がもういいから寝ろと、銀次の頭を自分の胸の上に押しつける。 銀次はそこで、にたぁ〜とさも嬉しそうに笑むと、"うん、おやすみー"と幸せそうに蛮に告げ、びっくりするほど瞬く間に、くうくうと寝息をたてて寝入ってしまった。 確かに。 親鳥の羽の中は、余程安心感があるらしく、この腕の中で眠る時、銀次の寝付きはいつもこんな風だ。 すうすうと安らかな寝息をたてる銀次の後頭部を、手の中に包むようにして撫でてやりながら、蛮もまた深い安堵感を味わっている自分を感じていた。 抱き締められる安堵感も心地よさも、抱き締めるそれも、実はたぶん同じなんだと、蛮が最近になって気がついた。 この腕の中で、無防備に眠る銀次の身体を抱いていると、自らの心もまた解放されていくようで。 ひどく心地よい。 そして、安堵する。 強くもなれる。 コイツは、果たして気がついてるんだろうか? 蛮が思う。 与えられているのは、むしろ自分の方で。 どうやってそれに報いてやればいいのか、いつも戸惑い探しているのは、自分で。 それなのに、何かしてやればしてやるほど、銀次はまだお釣りがくるほどの、笑顔とコトバとありったけの想いで返してくる。 そうして、蛮の心をいっぱいに充たしていく。 人は、一人じゃ強くなれねぇ。 それは、俺もテメエと出逢って、初めて知った。 俺が無敵でいられるのは、いったい誰のチカラだと思ってやがんだか。 守られているのは、むしろコッチだ。 プライド(銀次の前では、それもなけなしのものとなるが)が邪魔をして、口に出して言うことはないが。 出逢いの時に、固い殻を壊したのは、何もテメエばかりじゃねえってことだ。 ったくよー。 俺の腕の中で生まれた、たかが2年半のヒヨっ子が、生意気なんだよ。 蛮が、くっくっと喉元で笑う。 そして、やわらかな金の髪に指を潜り込ませると、その頭をもう一度懐深く抱き寄せた。 まもなく、陽が昇るだろう。 それまで、少し眠るか。 銀次と同じく、あたたかでやわらかな羽毛でタマゴを包む、そんなやさしい夢でも見ながら。 END ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 書きたいことを詰め込みすぎちゃいました(笑) 久しぶりだったもんで。 マガジンで銀次を腕に抱き包んだ蛮ちゃんが、まるで親鳥(ペンギンではないぞ/笑)のように見えて。そして、すごく安らいだやさしい表情をしていたから、精神的に寄りかかってるのは、むしろ蛮ちゃんの方なのかなあって思いました。 で、反して銀次は、無限城を出て解き放たれて、まだやっと自分というものがわかり始めて二年くらいで。だから、まだ蛮ちゃんに追いつけなくても、そんな焦らなくていいんだよって気持ちも込めてみました。 でも、充分キミは蛮ちゃんを助けてるし、守れてもいるし、強くもなったと思う。そして、それを自分でも知っててほしい。 (きっと、絆編のころとは違って、それはわかってくれてるんじゃなかって思うのですが) だから、今は力を蓄えててほしいと思います。蛮ちゃんと一緒に立ち上がって、一緒にもっと強くなっていくためにも。 ちなみに、タマゴの話は昔、「雷帝はタマゴの夢を見る」ってお話を書いてまして。「SugarSpot」でちらりと出てきたんで、もう随分前なんですねー。あぁでも、ファイルが今はないの。ペルソナ銀ちゃんが記憶喪失になって時に全部忘れてしまったから(涙) また機会があったら書いてみたいですね。 |