そんなはじまりの夜 1 |
狭いシートの上で、銀次は寝返りをうった。 寝返りをうつと言っても、身体の位置を少々変えるぐらいのことで、ごろりと大きく身を返すことは出来ないから、どうも中途半端で終わってしまう。 結果、どうしても落ち着かず、またもぞもぞと身体を動かせることになる。 はー。 心中で落とされる溜息は、もう数え切れないくらいだ。 まったくホントに。 広くて思いきり寝返りが出来るスペースがないと寝られないとか、やわらかいベッドの上じゃないと寝られないとか。 そんな贅沢とは、ほど遠い状態で毎夜眠りについていた筈だ。 それは、固いコンクリートの上に段ボールを敷いただけだったり、ささくれた瓦礫の上だったり、酷い時には壁に寄りかかって立ったまま眠った事さえあった。 それでも。 たっぷりな深い眠りはそれこそ命取りになっただろうし、緊張感が絶えず身体中にあったため、眠いと感じることもほとんどなかった。 だから、いくら狭い車の中で眠るのが初めてだとしても。 そんなに苦痛を感じるということもないはずなのだ。本当なら。 それに。 睡魔は逆に襲ってきている。それはもう、大きな波みたいに。 瞼は重い。頭もぼんやりしている。 指先も、ほんのり温かい。 なのに、身体の位置をどう変えてもしっくり来ず、なかなか眠りに落ちていけないのだ。 ふう。 今度は心の中でなく、唇からそれはこぼれた。 「…お前なあ」 運転席から、ついに抗議の意味の不機嫌な声が上がった。 きたか、と銀次は背中を向けたまま、薄汚れたタオルケットを顔が隠れるくらいまで引き上げる。 「…ごめん」 「別に謝れとは言ってねーけど」 「オレも、別に美堂君にあやまりたいワケじゃないけど…」 「ああ?! 喧嘩売ってんのか、オメー。ったく、さっきからモゾモゾもぞもぞと、小便我慢してるガキみてぇによー」 「な…! あのねえ、別にオレはトイレに行きたいワケじゃないから!」 「だーれもそんなこたぁ言ってねえっての」 「言ったじゃない」 「ニュアンスが違うだろーが。ったく、不眠症のカミナリ小僧が」 「不眠症って。別にそういうワケじゃないけど。…なんか、うまく眠れなくて」 「うまくって何だ? まさか、やーらけぇベッドの上じゃねえと寝られないなんて、贅沢抜かす気じゃねえだろな」 「美堂君ちでは寝てたでしょ。固い床の上だったけど」 「嫌味かよ」 「そうじゃないけど。床、冷たくて気持ちよかったし」 「は? オメーなあ…」 運転席側の窓に身を向けたまま、上体だけを捻って蛮がサイドシートの銀次を振り返る。 そして、”マジ、天然だなコイツ…”とブツブツ言いつつ、肩で大きく息をついて、また背中を向けて横になった。 実は眠れないのは、蛮も同じで。 銀次のように車で寝るのが初めてだとか、そういう事情ではないのだが(もっとも銀次の方も、そればかりではないだろうが)、とにかくどうにも寝苦しい。 狭い車内でオトコ二人、シートを倒して、背中を向け合って、古いタオルケットをひっかぶって。 まあ確かに普通で考えても、あまり気分よく眠れるシチュエーションでもないだろう。 これが異性なら、また少しは違うのだろうか。 いや、そうでもねぇか。 蛮が思う。 これがオンナなら、いや、オトコでも。 とっとと自分は寝ちまってる。 サイドシートのヤツが眠れようが眠れまいが。 コイツでなければ、別段気にもならないだろう。 背中にある気配が落ち着かない。 こんな風に他人と近くに(何もせずに)寝ることも、よくよく考えてみれば初めてに近いかもしれないし。 この車とともに受け継いだ、奪還屋の名の重さも少しは互いに考えもする。 それもある。 相棒として互いにやっていけるのかとか、そういう類の不安も多少なりとも無きにしもあらず、だ。 なんといっても、つい先日までは敵同士で。 本気で相手の息の根を止めることに身体中が悦びを感じた(まさにエクスタシーとも呼べる)程の、またとない好敵手だったのだ。 闘いで、肉体と心がここまで昂揚したことはない。 それは、蛮にしても銀次にしても同じだった。 身体全部が、相手を求めた。 共に、そんな相手だったのだ。一生に一度、出逢えるかどうかの。 しかしだからと言って今、別に寝首をかくなんてことはするはずもなく。 それどころかそんな危惧は、一緒にいても、一度も考えにすら及ばなかった。 と、いうことは――。 本当に眠れない理由は、どうも別にありそうだった。 たぶん。 それも、二人して同じ理由で。 もっともまだまだ、それは自覚に至るずっと以前のことだったから、互いの胸の内など想像する余裕すらなかったんだけれど。 novelニモドル > 2 |