『Silence』
   2






空が青い。
抜けるような青さだ。
ビラ配りもそこそこに、公園のベンチに腰掛けて、真っ直ぐ上の空を仰ぐ。
(蛮ちゃんの瞳の色に似てる・・・)
ふとそう思って、そのままその青さの中に飛び込んでいきたい気分になって、銀次は唇を噛み
締めた。
(何、考えてるんだ、オレ・・。蛮ちゃんは、ちゃんと、いるのに・・。眠っているだけで、すぐそばに
いるのに)
死んでしまったわけではないのに。
なのに、心の中に、ぽっかりと空いてしまったこの空洞はなんだろう。
耐えきれないつらさが、心にあるのはどうしてだろう。
現実を受けとめきれない自分がいるのはなぜだろう。


「銀次・・」
背後から声をかけられて、はっとして振り向く。
「士度・・」
ベンチの隣に腰掛けてくる士度に、銀次がいつもの笑顔になってそれを見上げる。
「あ、なんか、久しぶりだよね、士度。マドカちゃんは元気?」
銀次の言葉に返事を濁しつつ、士度がぶっきらぼうに言う。
「ああ・・。それより、美堂は?」
「蛮ちゃん? 相変わらず、よく眠ってるよ」
「そ・・っか・・。オメエ、仕事は?」
「ん? ああ、さっぱり! このままじゃヤバイなあって思うんだけど、どうもオレ1人じゃ頼りなくて
まかせられないって思われてんのか、ヘブンさんからの仕事もなくてさ。そっちは順調?」
笑顔で答える銀次に、士度がそれを、見てはいられないというような沈痛な面持ちで目線を
そらし、足元に戯れる鳩たちをじっと見つめる。
「・・・・その話だけどよ」
「ん?」
「オマエ、オレと組まねえか?」
「・・・・え?」
「美堂が目覚めるまででいいからよ。オレも、1人じゃこなせねー仕事が回ってきて困ることがあ
んだよ。今まで、そういう時ぁ、笑師とかひっぱってたんだけどよ。オマエなら気心も知れてるし、
笑師よか頼りになるし。オマエが、もし構わないってえのなら、同じ奪還屋なんだしよ。一緒に、
その、やってもいいんじゃねーかって・・」
士度の言葉の終わりを待たずして、銀次がさっと立ち上がった。
少し歩いて、そのまますっと前を見つめて言う。
「気持ちは嬉しいけど」
「銀次」
「ありがとう士度・・。けど、オレは。ゲットバッカーズの天野銀次なんだ・・。蛮ちゃんが、昔オレに
言ってくれた。ゲットバッカーズのSは、1人じゃないってイミなんだって。他の誰でもない、オレと
蛮ちゃんでゲットバッカーズなんだって。だから、オレは今も1人じゃないんだ」
言って、ゆっくりと士度を振り返る。
「だから、オレ、蛮ちゃん以外の誰とも組む気はないよ。ごめん、士度」
「銀次・・」
強い決意が見える言葉に、士度が僅かに顔を歪ませて、それからフッと笑みを浮かべる。
「そっか・・・。いや、そういうと思ったぜ、オマエならな」
「うん。ごめん。ありがとう」
「いいや」
「じゃあ、オレ、もう行くね! 心配かけてゴメン! 士度」
走り出していく銀次の背中が、それでも今まで見た中で一番小さく見えた。
『雷帝』だったころの銀次の背中からは、いつもオーラが出ていた。と士度が思う。
付き従ってさえいれば、決して間違いは無いという力強いオーラが。
そして、蛮と並んで歩く背中からは、力強さよりもやさしさが感じられた。
蛮の手に背中をはたかれ、後ろから頭を押さえ込まれたりしつつ、覗く横顔はいつも眩しいくらい
の笑顔だった。
それが、今は・・・。
消え入りそうに小さく見える。
こんな銀次は、今までに見たことがない。
このままには、させておけない。
見ているコッチまで、なんだかおかしくなってしまうくらい、張りつめたものがある。
士度は、得も言われぬ不安と焦燥感に苛まれながら、苦い想いを噛み締めて、駆けていく銀
次の背中を見送った。




士度の申し出に、少し心が動いていた。
奪還の仕事を受けることで、何かを変えることができるような気がしたのかもしれない。
というより、自分の命を危険に晒すことで、少しこの行き場のない気持ちも鎮まるかもしれない
と思ったかもしれなかった。
けど、自分のパートナーはあくまでも蛮だ。
隣にいてほしいのは、蛮だけだ。
他の誰でもない。
蛮が欲しくて、その隣に行きたくて、それで無限城も何もかもすべて捨てて追ってきたのだから。


「ただいまあ、波児さぁん。何か食わせてー。オレ、もう腹ぺこ・・・」
HONKY TONKの50メートルくらい手前から、ちょっと助走をつけて走り出し、元気に店の扉
を開いて中に入った途端。
はっとしたように、一瞬、銀次の顔から笑みが消えた。
カウンターのスツールに腰掛ける3つの人影のうち、1人を見つめて立ちつくす。
(雨流・・・!)
こちらを見たその目を射抜くように見返して、銀次は無意識にその男を険しい瞳で見つめていた。
「銀次さん」
聞き慣れたやわらかい声に呼ばれて、やっとはっとなる。
「カヅッちゃん。それに十兵衛も・・」
「お元気そうで・・。銀次さん」
「あ、う、うん。雨流も。もう元気になったみたいだね」
「ああ。色々迷惑をかけた。雷帝」
「オレは、もう雷帝じゃないよ。十兵衛」
十兵衛にためらいがちに笑みを返して、銀次はもう一度雨流を見た。

無限城で、自分の傘下には入らず、風雅解散後行方をくらませていた男。
ルシファーの手先となって、花月を取り込み操って、十兵衛とも闘わせた男。
その和解の果てに、悪魔の契約のために心臓を奪い取られて、仮想現実の中で一度は死んだ男。
そして、生還の儀式の後、蛮の接吻で息を吹き返した男。

・・・・すべてを狂わせた男。

あの日、病院で治療を受け、現実世界の中で一命を取り留めたという連絡を受けた直後、
蛮は倒れたのだ。
あれから、ずっと・・。
もう2ヶ月近く眠り続けている。

もしも・・・。
もしも、仮にこの男が、再び・・・。
再び、死んでくれたなら。
蛮は、目を覚ますのだろうか。
引き替えに、深い眠りから目覚めるだろうか。

考えて、その自分の思いにぞっとした。
(何を考えてるんだ・・。オレは・・・)


「今、彼は無限城にいるのですよ。マクベスの元に」
「そう・・。マクベスは元気かい?」
花月の言葉を受けて、雨流に向けて、努めておだやかに微笑む。
そんなことを考えちゃいけない。
別に、この男のせいじゃない。とそう自分に言い聞かせる。
「ああ、あんたのことを気にかけていた。雷帝」
「・・オレのことは、別に心配してもらうようなことはないよ」
言葉尻が、きつくなる。
自分でも気がついているのに、うまく笑えない。
「・・・美堂蛮が」
その名前に、銀次の肩がぴくりと上がった。
「・・・・!」
「あれから、眠ったままだと知って・・・先ほど会ってきた」
「うん・・。ずっとあのままなんだけど。でも何も食べたり飲んだりしてないのに、変わりはないんだ。
不思議だね。冬眠しているようなものだって、士度もそう言ってたけど・・・」
「すまなかったな・・・」
「・・雨流」
「オレが、ルシファーの手先となったばかりに・・。あんたや美堂蛮や、花月や筧にも迷惑をかけた」
「別に、雨流のせいじゃないよ。それに、オレたちは、奪還の仕事をしただけだから。ルシファーと
闘うことも、オレたちが選んだことだ。迷惑だなんて、思ってない」
「だが・・・・。結果的に、こんなことになった」
「結果は、あくまで結果だよ。原因がどうとか、それは関係ない」
「雷帝」
「オレは、もう雷帝じゃない」
糸が張りつめたような、緊迫したやりとりに、花月と十兵衛がちらりと視線を合わせる。
「俊樹、そろそろ行こう・・ 十兵衛」
「ああ、邪魔をした。雷帝、また近いうちに手合わせを」
十兵衛や花月の言葉も耳に入らないように、見合ったまま動かない雨流と銀次に、花月が割り
入るように二人の間に立った。
銀次が、はっと視線を動かす。
「銀次さん、では、また改めて美堂くんのお見舞いに伺います」
「あ、ああ、カヅッちゃん。わざわざ、ありがとう」
「いいえ、では・・。行くよ、俊樹」
「雷帝」
「・・・・俊樹?」
店を出ようと扉に向かう花月と十兵衛の後ろで、雨流がゆっくりと銀次に右手を差し出す。
銀次はそれを瞳を見開くようにして見ると、一瞬ためらった後、何事もなかったようにその手を
握り返した。
「何かあった時は、今度はオレがアンタの力になる」
「ああ・・。ありがとう」
「今度は、オレがアンタのために命を賭けよう」
「雨流・・」
「それとも」
「・・・・それとも?」
「それとも、もう一度、オレに死んでほしいか? 雷帝」

「・・・・・・!!」

「あのマリーアとかいう魔女を呼んで、もう一度儀式をすれば、或いはオレの命と引き替えに
あの男は・・」

「ふざけるな!!!」

銀次の言葉と同時に、ピシィッ!!と強い電流が雨流の腕を弾き、その全身から青白い炎
のように雷光が放たれる。
琥珀の瞳が揺れて、微かに金色が混じった。

「死ぬとか言うな! 誰に助けられた命だと思っている?! そんな安い言葉のために、オレ
たちはルシファーと闘ったんじゃない!!」

「銀次さん・・!」
「奪還の仕事は、ジグソーパズルのように最後の1ピースまで結果なんかはわからない。オレ
たちはその言葉を、いつも胸に刻んでこの仕事をやってきた。・・・まだ最後の1ピースははまって
いない。絵は出来上がったわけじゃない、完成なんかしていないんだ!」
言葉とともに、取り巻くように銀次の身体の周りでピシッ、ピシッと電流が弾けた。
「オマエは、マクベスの元で、オマエの仕事をすればいい。オレたちのことは・・オマエが口出しして
いいことじゃない!」
恐ろしいまでの威圧感を持って発せられる言葉に、雨流が思わず無意識に後ずさる。
「・・・・・・銀次」
カウンターから、波児がたしなめるように静かに声をかけた。
口出しせずには、おれなくなってきたのだろう。
夏実が少し震えた瞳で、銀次を見上げている。
「・・・・・・・・」
シュウウ・・・・と、その声と瞳に諭されるようにして、銀次の身体から雷光が消えていく。
「銀次さん・・」
「・・ごめん、カヅッちゃん・・・」
つらそうに眉を寄せる銀次に、瞳を伏せて花月が静かに首を横に振り、「では・・」と軽く会釈して、店をゆっくりと後にする。
十兵衛が、雨流の肩を促し、その後に続いた。



「俊樹・・・。どうして、あんなコトを・・」
「花月。あの男は、潔すぎる・・。あれでは、今に壊れて朽ち果てる」
「雷帝は、そんな弱い男ではない」
「筧・・。人は、少し誰かを憎んだ方が、楽に生きられることもある・・。 雷帝は、オレを憎んだ
方がいい」
「・・・でもね、俊樹。銀次さんは自分がそれでラクになるとわかっていても。そうは出来ない人
なんだ・・。だからこそ、僕は、あの人を誰よりも信じて付き従った。今も、それは変わらない」
「オレも、あの人を信じているのだ。雨流よ。そして、あの人が心から信じたあの男の事も、な」
「筧・・・」
「では、僕は行くよ。マクベスに計画通りに動くと伝えてくれ」
「わかった・・」



「メシ食うか? 銀次?」
トレーに簡単な食事をのせ、波児が奥の部屋を訪れると、銀次が蛮のベッドに凭れるように
して膝を抱えて坐っていた。
波児の声に、ゆっくりと顔を上げて弱々しく微笑む。
さっき雨流たちの前で見せた、あの威圧感と鋭い目をした男の顔とは、まるで別人のようだ。
「あ・・・うん。ありがとう波児さん・・」
「・・・・あまり、無理するな」
銀次のそばにトレーを置いて、屈み込むようにして波児がぽんと銀次の頭に手を置いた。
「うん・・?」
「ちったぁ、泣きたい時には泣くようにしろよ。おまえがそんなじゃ、蛮が心配すっじゃねーか・・。
ん?」
小さい子供をあやすような声色に、銀次が驚いたような顔で波児を見上げる。
「波児さん・・」
「我慢強えのはいい事だがな。そればっかりじゃもたねぇよ。泣いて、心の中に溜まっていく冷たい
雨粒を放り出しておかねえとな。いつか、大洪水になってエライことになっちまう。蛮の目が覚めた
時に、おまえがそんなになってたら、オレがコイツに何言われるかわかんねーからな。あんまり1人
で抱え込むなよ、な。いつでも聞いてやるからな・・・?」
「うん・・・」
波児の言葉に、少しほっとしたように銀次が微笑む。
波児の手が、いつも蛮がそうしてくれたように、くしゃくしゃと銀次の髪を掻き混ぜるようにして撫で
た。
「マスター、お客さんで〜す」と夏実の呼ぶ声がして、じゃあなと波児が部屋を出ていく。
「ありがと、波児さん」
笑う銀次に、波児が笑みを返し、ドアがぱたんと閉じられた。


確かに。
泣くまいと、ずっと涙は堪えてきた。
一度、涙を流してしまったら、もう立ち上がれないんじゃないかとそんな気もしていたから。
いつも、あれほど素直に涙を流せていたのは、崩れ落ちて立ち上がれなくなっても、必ず腕を
取って「そら、いつまでも落ち込んでやがらねぇで立つんだよ!」と自分を起き上がらせてくれる、
あの力強い腕がそこにあったからなのだ。

「だめだ・・・。強くなんなくちゃ。オレは、強くなくちゃ、駄目なんだ・・ 
頑張らないと・・ オレは・・・」

自分に暗示をかけるようにそう呟いて、そばに置かれていたトレーを見る。
サンドイッチと、あったかいシチュー。
二人だった頃なら、大喜びして食べただろう。
取り合って、奪い取られて、喚いて叫んで、大笑いして。


ああ!? 蛮ちゃん、ズルイ!! トロは2個ずつって言ったのに!
テメエ、さっき食ったじゃねーか!
オレ、まだ一個しか食ってないもん!
あーもう、いいじゃねえか、トロの一個や二個! ケチくせえこと言うなっての!
ひどい〜! よおし、オレだって!
あ、てめ! ウニを三個も一度に口に入れやがってええ! 出せ、この!
もごごご、ぐるじ〜!
意地汚くほおばるからだっての!
あ、蛮ちゃん、ソレ、オレのだよ! オレのイクラぁ!
うっせえ、テメエのもんはオレのもんだ!
あああ、エビまでえ! 蛮ちゃああん! ・・・・・・ビリビリビリ・・!!
だああ、寿司ごときでヒトを感電死させる気か、アホがぁ!!


食べることが楽しかった。
二人で食べるものは何だって美味しいと思ったし、そんな食欲なんてものも無限城にいた頃は
ほとんど知らなかったから、食べることがあんなに楽しくて嬉しいことだったなんて意外だった。



・・・でも。
ここ1ケ月くらいで。
また、それも元に戻ってしまった。
食べることが苦痛だ。
噛み砕いて飲み込もうとするその瞬間に、喉をかけ上るようにして吐き気が襲ってくる。
食べないと持たないと頭ではわかっているのに、身体がそれを受け付けない。

「でも、食べないと・・。パワーでないもんね・・」

サンドイッチを1つ手に取り、それをゆっくりと口に放り込む。
まるで砂でもかじっているかのように口の中に不快感が広がり、それでもそれに堪えて、なんとか
飲み込もうとする。

「う・・・・っ」

その途端、胃からこみ上げてきたものに、銀次は部屋から飛び出すようにしてトイレに駆け込んだ。
ぐう・・っと喉の奥が鳴って、食べたものが逆流してくる。
何か食べる度にこうして吐いてしまうのだから、吐くものなどもう胃液ぐらいのものなのに、嘔吐感
はなかなか収まらず、銀次は胸を掻きむしるようにして吐き続けた。
やっと収まり、よろけながら、トイレの壁に凭れて口の中に広がる苦みに顔を歪ませる。
鈍い痛みが、喉と胃の奥にあった。


心と身体がバラバラになろうとしている。
蛮の身体がそこにあるのに、心がどこか深く遠くにあるのと同じように。
頭の中ではすべて色んな事が理解できて、この現実を受け入れようとしているのにも関わらず、
身体がもう、生きることを拒否している。
蛮のいないこの世界で、生きていくことを拒絶している。
できることなら、もう休ませてくれと。
蛮と同じ深い眠りの中で、もうただ静かに横たわっていたいのだと、そう言っているかのように。


フラフラと壁伝いに部屋へと戻り、後ろ手にドアを閉めた途端、両の膝から力が抜けた。
どっと倒れ込むように前のめりになり、そのまま狭い部屋の中をベッドまで膝で這うように移動する。

「蛮ちゃん・・・」

自然と涙がこぼれた。
ベッドまで辿りつき、その端から眠っている蛮の顔を見つめる。
端正できれいな顔立ちで、眠っていると、なんだかひどく繊細に見えて、まるで違う人のようだ。
前髪がいつのまにか少し伸びて、さらさらと額にかかっている。

自分を見つめてくれるあの蒼い包み込むような瞳と、口は悪いけれども、いつも自分の名を呼
んでくれる低い声と、愛情たっぷりにこづいたり殴ったりしてくれる手と・・・。
時には、その肩を抱きしめてくれた、やさしい腕と胸と。
懐かしむほど、そんなに前のことではないのに、それがもらえなくなった途端、全部が錯覚だった
かのように遙か昔のことのように思えてしまう。
本当に、自分はこの人にそんな風に必要とされ、愛してやまない相棒だと、大事にしてもらえて
いたのか。

1人、夢を見ていたのかもしれない・・。

蛮の手を取り、自分の両手の中に包み込む。
その手はあたたかいけれど、銀次の手を強く握り返してくれることはない。
握手を求められた、雨流の手を思い出した。
あの手は、確かに生きた人の手で、自分の意志で動いて銀次の手を握った。
だのに、蛮の手は、蛮のこの手は、こんなにこんなに切望しているのに、銀次の手を強く握り返
してくれはしない。

「蛮ちゃん・・・・・ばんちゃ・・・・ん・・・ばんちゃん・・蛮ちゃん・・・・・・・」

愛おしげにその名を呼ぶ、銀次の瞳からぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。
ずっと堪えていた涙は、予想通り、一度溢れ出したらもうどうやって止めたらいいのかわからなく
なるくらい、とめどなく流れ続ける。

「蛮ちゃん・・・。オレって、ひどいヤツなんだ・・・。あんなこと言ってても、本当は、本当は、
雨流が憎いんだ・・・・。カヅッちゃんや十兵衛を裏切ってルシファーについた男のために、
どうして蛮ちゃんがこんなことになるんだって、オレは本当はそう思ってるんだ・・・ 
代わりができるっていうのなら、オマエが死んで蛮ちゃんが目覚めるっていうんなら、だったら
そうしてくれたらいいって、そうしてみせろよって、オレはあの時、本気でそう思ってたんだ・・・・!」

絞り出すようにそう言って、眉間に皺を寄せて苦しげに唇を噛む。

「どうして・・・どうして・・・・。そんなことしたってどうなるわけでもないのに、雨流を恨むなんて
筋違いだって、頭ではちゃんとわかってんのに・・・・ 悔しくて。アイツが生きてそうして立っている
のが苦しくて、蛮ちゃんが、いてくれないのが、苦しくて悔しくて・・・・。 
雨流が悪いんじゃない、オレだって、オレだって、蛮ちゃんを1人でルシファーと闘わせたんだし、
何の手助けも出来なかった・・・! 
蛮ちゃんが闘いで消耗してんの知ってたのに、儀式で生き返るんなら、雨流を助けてやって
ほしいって、そう思った。
何もかも、いつだって、オレが蛮ちゃんに甘えてばかりいたから、だから、だから蛮ちゃんがこんなことに・・・・・・!」

すすり泣く声が、次第に嗚咽になっていく。


「オレのせいなんだ、オレが悪いんだ・・・!
 オレの力が足んなくて、蛮ちゃんを・・・・
 蛮ちゃんを・・・・!!」

髪を両手で掻き毟るようにして苦しげにそう叫んで、それから何かを思いたったように顔を上げ
ると、ぐっと自分の唇に歯をたてた。
そのまま、やわらかい唇の肉を、自分で噛みちぎるように歯を喰いこませる。
口を開いた途端、その傷口から、血がどくどくと溢れ出した。


「オレの血をあげるよ、蛮ちゃん・・。オレのじゃ、だめかな・・・。ねえ、魔女の血じゃないと、
だめなの・・・? 
それで蛮ちゃんが目がさめてくれんなら、身体中の血を、蛮ちゃんにあげるよ・・・。
ねぇ、いくらでも、あげるよ・・・」

言いながら、蛮の唇に、血まみれの唇でキスをする。
何度も何度も、命を吹き込むように、蛮が雨流にそうしたように。
それで、この深い眠りがさめるものならば、と。
特別な魔女でも何でもない自分の血などでは、何も起こりはしないとわかっているのに、
それでもどうしてもあきらめきれずに、銀次は何度も何度も唇を噛んで傷を広げては、
蛮の頭を抱くようにしてその唇に口づけをした。


「・・・・・・蛮ちゃん・・・・ お願いだから、目をあけてよ・・・・・オレを見てよ・・・
オレの名前・・・・呼んでよ・・・・・・ねぇ・・・・いつもみたく・・・・何やってんだ、ボケ・・って、
オレを殴って・・・・・よ・・・ぉ・・・ 蛮ちゃん、ばんちゃん・・・・・ねえ、蛮ちゃん・・・てば・・ぁ・・・
1人は・・・・もう・・・いやだ・・・よ・・・・・オレを・・・ひとりにしないで・・・よ・・・ 
お願いだから・・・・オレ、おいてかないで・・・よ・・・・・・さびしいのは・・・・・もう、嫌だよ・・・・
いやだよ、蛮ちゃぁ・・・ん・・・・・!」

涙が幾筋も、銀次の頬を伝っては蛮の眠る白いシーツの上や、蛮の頬の上に落ちた。








その夜。
めずらしく深夜まで明かりのついたHONKY TONKの奥からは、
いつまでも、銀次のすすり泣く声が聞こえていた。

波児は、それをどうしてやることも出来ず、それにつきあうかのように
明け方まで、カウンターで1人グラスを磨いていた。




つづく




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