『Silence』
1
ルシファーとの闘いの後。
雨流を現実の死から救うために、その「儀式」は取り行われた。
その結果、雨流は無事に命を繋ぎ、オレたちはその「儀式」の成功と奪還の仕事もなんとか
うまく行ったことだしと、マリーアさんの邸で盛大に祝杯をあげた。
だけど。
その夜。
蛮ちゃんは突然倒れ、それきり意識が戻らなくなった――
戦いに消耗していた身体で、生命を吹き込むような重い儀式を行ったのだから、
疲労が大きいのよ。大丈夫・・・。
そうマリーアさんは言った。
そうだね、蛮ちゃんは、とにかく1人でルシファーに立ち向かってくれたんだから。
しかも、初めての「生還の儀式」までつとめ上げたんだし。
疲れたんだよね。
うん、オレ、そばにいるから大丈夫。
ゆっくり休んでね・・・。
けれども、蛮ちゃんの眠りは殊の外、深く。
それから一週間が過ぎたけれど、一向に目を覚ます気配はなかった。
身体の機能自体には何ら問題はなく、まるで冬眠してるかのように、ただ眠っているだけだと
マリーアさんは言った。
確かに、特に原因となる外傷もなかったし、心臓の動きや脳波にも異常は見られなかった。
本当に、眠っているだけなのだ。
ただ、それが、
いつ目覚めるともわからない、
深い眠りであるというだけで――。
眠ったままの蛮ちゃんを車で眠らせておくわけにもいかず、かといって部屋を借りるお金も
なかったオレたちは、結局ここにいてもいいという波児さんの言葉に甘えて、HONKY TONK
の奥の部屋に間借りさせてもらうことにした。
ほとんど物置と化していた小さな部屋にベッドだけ置いて、蛮ちゃんをそこに寝かせた。
マリーアさんのとこに置いてもらってもよかったんだけど、いつも店から漂うコーヒーの香りのする
その部屋の方が、蛮ちゃんが、
「おーい、波児。ブルマンいれてくれやー」
とか言いながら、起きてきてくれるような気がしたから。
それに仕事の依頼が来ても、すぐに話が聞けるしね。
オレは、まるで何事もなかったような顔をして、昼間は夏実ちゃんが学校に行っている間に
部屋代の代わりにとHONKY TONKで皿洗いやらを手伝って、夕方になるとビラ捲きに街に
出た。
奪還の仕事が来たら、オレひとりでヤルのかな・・なんて、ちょっと戸惑ったりもしながら。
「奪還成功率、ほぼ100%の奪還屋ゲットバッカーズ!
あなたの奪られたものを奪り還しますよー! 成功率はほぼ100%、ほぼです、
ほぼ! ・・・・・・・・ほぼ・・・・・」
ほぼ、ほぼ抜かすんじゃねえ、このアホ!
だってー、失敗したこともあったじゃないー。ほら、山村理香さんの時とか〜
うっせ! あれだって、別に失敗したわけじゃねえ!
そうかなあ、だってねー、蛮ちゃん。
まだ抜かすか、このボケがぁ! このこの!!
わたたた、痛いよ、蛮ちゃんー!!
「・・・・・・・・・・・」
プラカードをもって、黄色のカラーコーンをかぶって1人落ち込むオレに、道行く人たちが
「アイツ、バカじゃねー?」とか罵りつつ、冷たい視線を投げつけていく。
蛮ちゃんと二人でやってる時は、そんな言葉に蛮ちゃんが「んだと、このヤロー!」とキレて、
オレが慌ててそれを止めに入って、ひきつり笑いでその場を収めるというのが常だった。
どんなバカなことをやってても、二人だったら楽しかった。
こんなビラ撒きで、そうそう奪還の仕事が入ってくるなんてことは実際はほとんど稀で有り得な
くて、仲介屋のヘブンさんの持ってきてくれる、報酬と危険の大きい仕事が主だったから、
こんな宣伝活動は、いわば蛮ちゃんの遊びというかシュミみたいなもんだったんだけど。
変な格好をさせられて、「おら、客引きやってきな、銀次」とか言われて、けげんそうな主婦や
サラリーマンにビラを配る。
ヤクザやさんにシャバ荒らしとボコられることもあったけど、それすら蛮ちゃんは楽しんでいたし、
オレもボロボロに殴られたりしつつも、そんなことをバカみたいに二人で笑って心から楽しかった。
けど・・。
1人でやると身にしみるね。
なんだか、世の中の人が、みんな冷たい人に思えるよ・・。
夕日が沈んでいくのを、淋しくてつらいと思うのは、本当に久しぶりのような気がしていた。
* * *
「ねえ、波児。銀ちゃん・・・ どう?」
カウンターのスツールに腰掛けて、ヘブンが店の窓から入ってくる夕日に横顔を染めて、
沈んだ声で波児に言った。
波児が新聞を開いたまま、黙って首を横に振る。
それを見て、ヘブンが、さっきからまったく口をつけていないコーヒーカップに、つらそうに視線を
落とした。
「そう・・。あ、ここに来る前にね。実は、駅のとこでビラ配ってる銀ちゃんを見かけたんだけど・・・。声、かけられなかった・・。なんだか思いつめてるって感じで、ぼーっと立ったまま、心ここにあらず
ってカオして・・」
「ああ・・」
「何かしてあげられることはないのかな・・・って思うんだけど」
「オレもな。なんかアイツが喜ぶようなコトがあったらしてやりてぇって思うんだけどな・・」
「・・波児」
「たっだいまー!」
店の扉が元気よく開いて、銀次が笑顔で入ってくる。
「あ、ヘブンさん」
いつもの笑顔につられて、ヘブンも思わず笑みを浮かべる。
「あら、銀ちゃん。元気そうね」
「うん! いつもソレだけが取り柄だかんね! あ、仕事?」
「あ・・・じゃなくて、蛮クン、どうかなあって」
「ああ、蛮ちゃんは相変わらず、よく眠ってるよ。寝る子は育つ!っていうけど、蛮ちゃん、あれ
以上大きくなっちゃうと、ベッドから足はみ出しちゃうから困るけどね。あはは」
「銀ちゃん・・」
「あ、じゃあ、オレ、ちょっと蛮ちゃんにただいま言いに行って来るから!」
ばたばたと奥に入っていく後ろ姿に、ヘブンと波児が顔を見合わせる。
波児がつらそうに、目をそらした。
「ああやって、から元気出してるあたり、痛々しくってな・・」
「そうね・・。無理して笑ってるのがわかるだけに・・。どうしてあげることもできないなんて・・」
「蛮が目を覚ますまでに、アイツの方が倒れちまわないといいんだがな・・」
「・・・・・蛮クンが眠りに入って、もう・・・2週間になるのね・・」
「ああ・・・」
店の中に差し込んでいる夕日の赤が、次第に弱まっていき、色褪せていく。
ヘブンは、それを沈んだ面もちで見送りながら、「ごちそうさま・・」と静かに立ち上がった。
「蛮ちゃあん、今帰ったよー。ただいまあ」
部屋のドアを元気に開けて、眠ったままの蛮のベッドの横にぱたぱたと駆け寄り、銀次が
坐り込む。
「あのね、あのね」
学校から帰った子が母親に今日あったことを報告するかのように、いろいろ今日の出来事を
その枕元で話してきかせるのが、いつのまにか日課になっていた。
今日、駅でこんな人見かけてさーとか、学校帰りの子にアメもらっちゃってさあとか、子犬を
つれたおばあさんがねーとか。
それを眠ったまま聞かされている蛮は、今にも、「ああ、ヒトの枕もとでうっせえ!」と怒鳴って
起きそうだ。
・・・そうだったら、どんなにかいいのに・・・。
思いながらも、銀次は笑みを浮かべつつ、話し続ける。
「あ、それから・・。ちょっとね、ドジやっちゃって」
ポケットにつっこんだままだった左手を、そろそろと出し、いた・・と顔を歪ませる。
無惨にも、手の甲には靴の底で踏みつけられた傷痕があった。
「ちょっと絡まれちゃってね・・。やりすごそうと思ったんだけど、失敗しちゃって、このザマ・・。
まだまだスキがあんだよね、オレって」
蛮がいたなら、その辺りうまくやりすごして、チンピラならば逆にからかって追っ払うくらいの事は
造作もないだろう。
ヤクザが相手の時は、さすがに後々目をつけられると面倒なので、大人しく殴られてやることに
しているが。
まあ普通の人間の力で殴られるくらいの程度のことなら、闘い慣れている蛮や銀次にとっては
痛みの範疇には入らないから、好きに殴らせてやっててもどうということはないのだ。
・・そう、普段なら。
そんなことすら、笑い話だ。
だけども、今日のはさすがにちょっとイタかった。
心の方に痛かったというべきか。
からかわれて、足を蹴り飛ばされて、笑ってやり過ごすはずだったのに、いつもならそれもそんなに
難しいことでもないのに、余程ぼんやりとしていたのだろう。
ダメージが大きいと見ると、そういう類の奴らは増長する。
拾えよ、ホラ!とばらまかれたビラに屈んで手を伸ばしたところで、思いきり靴の底で手の甲を
踏みつけられた。
それでも力なく笑っていた自分に浴びせられる罵声に、心が大きく沈んでいくのを感じた。
「蛮ちゃん・・」
呼んで、横たわるその肩の辺りにとんと伏せるように頭を落とした。
「大丈夫・・。明日から、また頑張るよ。蛮ちゃん」
甘えるように肩に頬を擦り寄せて、あたたかい手を自分の両手の中に包み込む。
そして、自分の頭の上にのせた。
「えへへ。頭撫でてもらって、慰めてもらってるみたいだね? 本当なら、アホ、このドジが!って
殴られるとこだけど。こういう場合、ちょっとトクかな?なんて・・」
頭の上に置かれた蛮の手は、もちろんその意志で動いたりすることはなく、ずっとそこにのっかった
ままだ。
あたたかい、それが余計に銀次には哀しい。
普通に眠っているのとまったく同じはずなのに、大好きな人は、目を開いて自分を見て、自分を
呼んでくれることも、笑いかけてくれることもなければ、叱ってくれることもない。
いつ目覚めるともわからない、深い眠りの中にいる。
いつか目覚めの時は来るだろうけれど、それがいつかは誰にもわからない。
そう、マリーアは静かに言った。
明日かもしれない。
一ヶ月後かも、一年後かも。
いや、それよりも、もっとずっと先かもしれない。
それとも、もう。
ずっと、永久に目覚めないままなのかもしれない。
「もしも、蛮ちゃんが目を覚ますのが50年後とかだったら、オレ、おじいちゃんになってるなあ・・。
蛮ちゃん、オレのこと、それでもわかっかな・・?」
言って、ゆっくりと顔を上げ、頭から落ちてきた蛮の手を受けとめて、静かに布団の上に戻す。
そのままベッドの端に腰掛けて、蛮の頭を愛おしむように自分の膝の上に乗せた。
「・・・いいよ、蛮ちゃん・・・。心配しないで・・。目覚めるのがずっとずっと先でも、
オレはちゃんとそばにいて、蛮ちゃんが目を覚ますのをじっと待ってるから・・・。
ずっと、ここにこうしているからね・・・。どこにも行ったりしないよ・・。
蛮ちゃんは、ずっと闘ってて、自分とも闘っていて、疲れてたんだよね・・・。
だから、ゆっくり眠ってていいんだ。ずっとつらかったんでしょ・・?
いろんなことがあって、色んな言葉に傷ついて・・。
だから、オレが守るよ。オレが、ここにいて、蛮ちゃんをずっと守っているから。
安心していて・・・ ね・・・?」
言いながら、ストレートに戻った蛮の髪を指先で梳くようにしながら、やさしく微笑む。
そして、銀次はそっと、眠る蛮の額にキスを落とした。
銀次は、それからも毎日をHONKY TONKでのバイトとビラ配りに費やして、懸命に日々を明るく
過ごそうとしていた。
マリーアは、5日おきくらいに蛮の元に通ってきては何やら儀式めいたことを行って、ひどく疲労
して帰っていった。
おそらく、蛮の生命を維持するために必要なことだったのだろうが、それはまるで彼女自身の
命を削っているかのようにも見え、銀次にはそれがとても哀しかった。
時折、卑弥呼も様子を見に来、ヘブンや花月や士度も見舞いに訪れた。
そして、皆一様に、蛮の様態以上に、銀次の今までと変わらない明るさに言い様のない不安を
覚えるのだった。
「あんたさ・・」
「ん? 何? 卑弥呼ちゃん?」
「ちゃんと寝てんの?」
「寝てるよ? 蛮ちゃん、スバルで寝てた時とちがって、寝言とか言わないし寝相もいいからよく
眠れてさ。車で寝てる時は、いきなり寝てても”ボカッ!”とかってゲンコがとんでくることあったし、
”このボケがぁ!”とかって突然寝言言うしさー。しょっちゅう起こされてたんだよねー。今はそんな
こともなくて。あ、誤解しないでよ、ちゃんとオレはベッドの隣に布団敷いて寝てっからね」
「わ、わかってるわよ! だいたい、何でそんなこと、私が心配しなくちゃいけないのよ!」
「あ、そっか。でも、気になるんでしょ? 蛮ちゃんのコト」
「なんないわよ! 蛮は寝てるだけだし、命にどうこういうことはないって話だし、そのうち目が覚
めるでしょうけど。私が言ってんのはアンタのことよ! なんか顔色悪いし、ちょっと痩せたんじゃ
ない? 本当にちゃんと食べて寝てるのかって・・」
「わ、心配してくれてるんだあ、オレの事v」
「だーからー! わかんないヤツね!」
「でも、卑弥呼ちゃんがオレのこと、心配してくれるなんて初めてじゃない? なんか、オレ嬉しい
な」
「・・・もう、いいわよ。相手にしてらんない。帰るわ」
「え? もう帰っちゃうのー」
「何甘えてんのよ、アタシもこれでも運び屋の仕事で忙しいの!」
「そっかー・・。卑弥呼ちゃん、仕事順調なんだね。オレ、最近全然仕事してないから・・」
言い捨てて、部屋を出ていこうとしたところで、ふいに銀次の少し淋しげな笑みが目に入り、
卑弥呼が思わず立ち止まる。
「あ・・ わ、悪かったわ。そういう意味じゃなくて・・」
「あ、こっちこそ、そういうイミじゃないよ、ゴメン! ありがとう、心配してくれて」
さっきの表情が目の錯覚だったのかと思うほど、すぐにぱっと明るい笑みに戻った銀次に、
卑弥呼はちょっとひっかかりつつも、フイ!と素っ気なく顔をそらした。
「・・・だから、心配してないってば!」
「蛮ちゃんー、今日さ、卑弥呼ちゃんが来てくれたよ。彼女、最近よく来てくれるよね。なんか
前は色々誤解もあったみたいだけど、やっぱ蛮ちゃんのコト・・。きっと好きなんだよね?
蛮ちゃんも、卑弥呼ちゃんが来てくれて嬉しいでしょ?」
ベッドの、蛮の顔の横に頬杖をついて、銀次が笑いながら言う。
「あ、もしかして、オレがこうしてべったりいるより、女のコがそばにいた方がいいのかなあ。卑弥呼
ちゃんとか、ヘブンさんとか、蛮ちゃんの好きな胸のおっきい女のヒトとか。・・・ねえ、オレじゃない
方がいい・・?」
問いかけて、その問いに自分でふいにつらくなって、笑みが消える。
「でも、オレはこうしてると蛮ちゃんをずっと独り占めしてるみたいで、ちょっと嬉しいかな?
・・・なーんてコト、もしも聞かれてたら怒られちゃうよね、蛮ちゃんに。・・・でもね、本当に・・・」
言葉が途切れた。
確かにこうしている限り、蛮は銀次のそばから離れていくことはない。
二人で毎日一緒にいて、とにかく日々が眩しいくらいに楽しくて、それを考えることもそうはなか
ったけど。
永遠にそんな時間が続いていくはずのないことぐらい、それまで生きてきた年月で嫌と言うほど
思い知ってきた。
だからこそ、今現在がこうも愛おしいのだと、そう思っていたのかもしれない。
そして、蛮も本当のところはそうだったのかもしれない。
けれど。
身体はこんなに近くにあるのに、蛮の心はいったい今どこにあるのだろう。
深い夢の中で、いったい誰とともにいるのだろう。
眠りの中で誰かと幸せにしているかもしれない蛮を、こうして1人、永遠に想って待つことは、
ひどく苦しい事のように想われる。
「蛮ちゃん・・。蛮ちゃんは今、どんな夢を見てるの? 誰の夢見てるの・・? オレも、少しは
その中に出てきたりもすんのかな・・? それとも、もっと、オレの知らない頃の蛮ちゃん・・・の夢
かな。卑弥呼ちゃんたちと暮らしてた頃の・・」
もしも蛮が、夢の中で自分ではない誰かと幸せな時間をもっているのだとしたら、
今、ここで蛮の身体に寄り添うようにしている自分は何なのだろう。
この上なく、孤独だとは言えないだろうか。
「淋しいよ・・・」
「オレ、すごく淋しいよ・・。蛮ちゃん」
消え入るように呟いて、銀次はそっと蛮の胸に甘えるように頬を置いた。
窓の外を降り出した雨の音が、部屋の中にも聞こえている。
冷たくガラスを流れ落ちる雨粒をぼんやり見つめ、銀次は、
自分の心にも、またこんな風に冷たい雨は降るのだろうか・・
と、哀しくそう思っていた。
つづく
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