◆ イノセント 【4】 人気のない森の奥まできた所で、前の気配はピタリと動きをとめた。 振り返る。 瞬は、振り向きざまのリィダの、その悪魔のような笑みを見て、ぞっと身の毛がよだつのを感じた。 「どうして・・?」 反射的に、疑問符が口をついて出た。 リィダが、ニヤリ・・と不敵に笑う。 「どうして―だと? 何を今さら・・・! それとも、もう一度聞かせて欲しいのか? オマエはオレの兄を殺した”人殺し”だと!」 ねめつけるように低く言われて、ぐっと喉を詰まらせる。 哀しげな瞳が、それに答えた。 「ならば・・ なぜ、僕を殺さない・・?」 静かに問われて、リィダがかっと瞳を見開く。 「あっさり死なせてなどやるものか・・! おまえのために弱気き者が血を流し、苦しみ足掻く様を見て、おまえが嘆き哀しみ、狂い出すまではな・・!」 その呪縛の言葉に、瞬は瞳を伏せて、震える唇で哀願した。 「―お願い・・ もう、やめて・・! 僕に出来ることなら何でもする。君がそう望むなら、この場ですぐに狂ってみせるよ。死んだっていい― だから、お願い、もうこれ以上の・・」 「だまれ! 楽になどさせてやらないといったはずだぞ! おまえはこのまま、鳥や花や動物たちが、血を流して死に絶えていく姿を、自分が死ぬまで見続けていくんだ。そして、死んで魂だけになった後も、友たちや、おまえの最愛の兄までもが巻き沿いをくって死んでいくのを、おまえは為す術もなく、ただ呆然と見つめていくのさ」 「お願いだから・・ もう、無駄な血を流させないで。さもないと―」 「さもないと・・・・? 何だよ」 「僕は、君と闘わなければならなくなる―」 「何!?」 「・・闘いたくないんだ。もう、誰も傷つけたくはない。だけど、僕のせいで無抵抗なものまでもが殺されるというのなら、そしてそれを君がやめてくれないというのなら― 僕は、闘うしかない・・! だって、僕は、そのために聖闘士になったんだもの・・! 弱くて力を持たないものを守るためと、そして、それを踏みにじるものたちと闘うために・・!」 苦しげに、そして絞り出すようにそう言って、瞬はリィダを見つめ、ひどく哀しそうに言葉をつないだ。 「君は・・知らないかもしれないけれど・・・。君が焼いた温室の花たちは、気候の厳しいアンドロメダ島で生き抜いてきた花の種なんだ。芽生えたばかりの幼い葉を、灼け焦がすほどの太陽の光にさらされ、根を凍りつかせるほどの寒さにも耐え抜いて、何年もかかってやっと花を咲かせるんだよ。人が生きていくのさえ死にもの狂いにならなければならないあの島で、人よりもずっと小さくて弱い植物が生きていくことは・・・本当に大変なことなんだ・・」 「ケッ! 説教始める気かよ! 誰が、人殺しの言う説教なんか聞くかよ・・!」 「でも、聞いて欲しい― 君は聞かなきゃならないんだよ、リィダ。・・・・そう、花だけじゃない。ウサギや小鳥や魚たちや・・。どんな動物も植物も、決して楽に生きているわけじゃないんだよ。言葉や力のない分、人の気づかない、ずっとつらくて哀しいことも知っている― 君の殺した子猫たちの母親は、初産で、でももう身体が弱くて次の子供は望めないから・・。あれが最初で最後の、子供たちだったんだ。母猫は、子供たちが死んでしまったということが理解できなくて、あれかずっと毎日、子供を探している・・。どこかで鳴いてやしないかって、心配でたまらないみたいな声で、僕に「探してくれ」と言わんばかりに擦り寄って鳴くんだ・・。あの女の子だって、事故にあって大きな手術をしてやっと歩けるようになったばかりなんだ・・! 君は、君にとっては僕を苦しめるためだけの、ちっぽけな復讐の道具にしか写らなかっただろうけれど・・・! でも、君がたやすく手折った花にだって、ちゃんと命はあるんだよ! それを生きるための、心の支えにしている人だっているんだよ・・・!!」 「偉そうなことを言うな!! オレから、たった1人の兄を奪っておいて、そんなことがオレに言えるのか!? おまえが聖域に背いたりしなければ、レダは・・。 兄は死なずにすんだんだ! おまえが、おまえさえいなければ・・!」 「わかっているよ・・。わかっている。もう、どんなことをしても僕の罪は消えない― 君の兄さんに対してだけじゃなく、他にも知らずに幾つも積み重ねてきた罪は―ね。でも・・ だけど。罰を受けるのは、僕1人でいい・・! レダを、殺した・・・のは、僕、なのだから・・・! 人殺しは、僕なのだから!!」 かん高い悲鳴のようにそう叫ぶと同時に、瞬の全身から、ぶわあぁぁっと光のオーラが放たれた。 リィダがその様子に薄笑いを浮かべ拳を身構える。 「そうさ― おまえは、人殺しだ、アンドロメダ・・! 偽善者ぶったって、何も変わりはしない。だが、オレはやめないぜ。おまえが本当に狂い出すまで、オレは復讐の手を休めない。やめてほしければ、ほら― 今すぐこの場で狂ってみせろ!」 そう叫ぶなり、光の束が、瞬の頬をもの凄い勢いで掠め走った。 とっさに身を引き、素早い動きでそれをかわした瞬は、次の瞬間、背後でしたジュッ・・・という肉の焼ける不快な音に、ギクリとしたように全身を硬直させた。 恐る恐る振り返るその視界の下を、バサバサッと息絶えた小鳥が落ちていく。 (最初から・・・小鳥を狙ったのか!? 僕がよけるのも計算に入れて―!) 「どうして・・!」 呆然と、小鳥が落ちていった空間を見つめていた瞬が、リィダに向き直って、震える声で問いかけた。 「言っただろう。おまえが狂うまでやめない、とな」 その言葉に、瞬がくっと唇を噛み締め、リィダを睨み付けた。 ゆっくりと片膝をついて、枝の上に身を立たせる。 「――君が・・・ 君が憎い、よ・・・ リィダ。僕に、嫌がおうなく、憎しみの心を持たせてしまう君が・・・!」 言葉と同時に、瞬の躯から放たれていた小宇宙は、さらにゴオオォ・・・ッ!と最大限にまで膨れ上がり、瞬の全身は目を覆うほどの強い光に包まれた。 長めの髪が、逆立って舞い上がる。 両の瞳からは、涙が溢れていた。 それでもキッと、鋭い光を宿してリィダを映す。 リィダはその瞳に、何かそら恐ろしい重い畏怖を感じた。 (な、なんだ、この小宇宙は・・! 体力と精神力の限界まで追いつめていたはずなのに・・! なのに、アンドロメダのこの広大な小宇宙はいったい―!) 「君を・・・倒す―!」 凛とした声で、瞬は言った。 それでもその澄んだ声には、少年を気後れさせるのには充分なほどの威圧感があった。 もしも、これが普段の瞬だったら、それでももっと、相手がわかろうとしてくれるまで根気強く、言葉と心で説得することをしただろう。 だが、疲労しきっていた身体は、外目に見えるよりずっと、瞬が自覚するよりもまだ深く、その精神を蝕んでいたのだった。 仲間への気遣いや、失われた生命への重い責務を負う心は、もうそれに耐えきれず、それを放棄してしまいたいと、瞬に向かってうるさく訴えかけていたのだ。 ・・・・眠りたい。 甘えたい。 泣き喚いて、もう逃げてしまいたい。 本当にもう、限界だ。 身も心も。 泣きながら拳を構える瞬の形相は、見る者をゾッとさせるだけの覚悟があった。 リィダの背を駆け抜ける寒気と、脳の奥で打ち鳴らされる警鐘が、瞬のそれを最期の拳なのだと、少年に教えていた。 瞬のその全身から、まるで太陽の炎のように揺らめく光はさらに光度を増し、瞬は、両の手の中にそのみなぎる小宇宙を集中させると、それを頭上へと振りかざした。 「――ごめんね・・! リィダ・・!!」 小宇宙を最大限にまで引き出しての、自分の命をも燃焼しつくす覚悟の拳に、リィダが初めて怯えたように身を竦ませる。 それでも一度高まった小宇宙の燃焼は、その程度では止められず、瞬は瞳の奥で狙いを定めると、瞬は唇を噛み締め息を止めるようにして、まるで銃を撃つように拳を勢いよく振り下ろした。 「やめろ! 瞬!!」 叫びとともに、光を放つ寸前で、その拳は大きな手の中に封じ込められた。 見開いたままの瞬の瞳が震えながら、突然に目の前に現れたその手の主を見上げる。 「あ・・・・」 すがりつくような瞳が堪えきれずに甘えて泣き出し、瞬はそんな自分を責めるかのように、つらそうに眉を寄せると弱々しく首を振った。 掠れた声が、か細く呼ぶ。 「・・・兄・・さ・・・・・ん・・」 懐かしい声が、いたわるようにそれに答えた。 「瞬・・・ 大丈夫だ。もう・・・・大丈夫、だ――」 続く novelニモドル 3<>5 やっと、兄さん登場です・・! 自分で打ってて、ほっとした・・。 でも、諭す瞬というのはかなり好きで、闘う瞬というのもものすごく好きなので、なんかノリノリで打っていましたv 自分で書いてて、こんなこと言うのも何ですが・・・。 瞬ちゃんは、やっぱり、天使なんだなあ・・v 汚れを知らない天使ではなく、そういうものをすべて見てきて、それでも天使のココロを持ち続けているというのが、彼の強さだと思います。潔いところとか、今でも本当に大好きだなー・・。 |