◆ イノセント

【2


(・・・・確かにレダは、僕を聖域の怒りを鎮めるための生け贄にしようと、この日本にやってきた。でも・・。もちろん、僕は彼の言いなりになるわけにはいかなかったんだ。星矢たちと一緒に聖域に赴く誓いをしていたのだから・・。今、倒れてしまうわけには、負けてしまうわけにはいかなかった・・。だけど・・・! 殺してなんか・・・ない。負傷させはしたけれど、命を奪うなんて、そんな・・・! 
―ああ、だけど、わからない。つもりはなくても、軽傷が致命傷になることだってある。ましてや僕は、自分の本当の力をまだよく知らないのだから。制御しているつもりでも、そうじゃなかったのかもしれない・・。その証拠に、僕は他にも何人もの人を傷つけてきた。この身に、傷ついた兵士たちの返り血を浴びてきた。本当は、悪い人なんかじゃないとわかっていても・・・・。わかっているのに・・・・。
―怖い・・・! 怖い・・・・・こわい・・・よ・・・・。僕はこのまま知らないうちに、これから何人の人を手に掛け、幾つの罪を重ねていつのだろう・・・。そうしていつか、人を傷つけることを、殺すことさえ、平気になっていってしまうの・・・・? こわい・・・! たすけて、誰か・・・・助けて・・・! にいさん・・・・っ! 兄さん・・・!!)


悪夢にうなされ、汗にまみれて暗がりの部屋で目を覚ました時、窓の外を凄まじい音で雷鳴が駆け抜けた。
その地響きを伴った轟音に、瞬はひどく驚いて、ビクリ!と身をすくませる。
それをなだめるように、やさしい手がのびてきて、そっとその額の上に置かれた。
手のぬくもりにハッとして、瞬がふわりと視線を動かせて、枕元に腰掛ける人影に気づくと、すがるように自分の両の手を差し伸べる。
「あ・・・?」
「気がついたか、瞬? 汗、びっしょりだぜ」
「・・・・・星矢・・」
人違いに、瞬が差し伸べかけていた手をサッと毛布の中へ隠した。
こんな時だというのに、恥ずかしさに顔がカアァッと熱くなる。
部屋が暗がりでよかった。
そう思ってホッとした途端、瞬は激しい自己嫌悪に陥った。
こんな状況だというのに、自分は兄に助けを求めようとしている、甘えようとしている。
まるで、いじめっ子の手から逃れ、泣いて母の胸にすがるように。
(どこまで子供なんだろう、僕は・・・。情けない・・。あの子から、そんな風に甘える場所を奪ってしまったのは僕なのに・・・! 僕はそれでもまだ、自分だけ罪を忘れて逃れようとしている― なんて、なんて身勝手な・・・!)
黙り込んだままの瞬を案じて、星矢が汗にぐっしょり濡れた瞬の前髪を掻き上げて、その顔を覗き込んだ。
「大丈夫か・・?」
「あ・・。うん、平気・・。僕、どうしちゃったの?」
「ああ、リィダの衝撃波をまともにくらっちまったんだ。けど、たいしたことは無いってさ。もっとも、一昼夜意識が戻らなかったから、随分心配させられたけどな」
「ごめん・・。―それより、あの子は・・?」
「逃がしちまった・・」
「そう・・」
「・・瞬、おまえ、傷の方はともかく」
「うん。ちゃんと正気だよ。なんとか、だけど」
「そっか・・。事情を聞いた沙織さんが心配してさ。瞬から絶対に目を離しちゃいけないっていうもんだから」
「やだな、お嬢さんってば。僕、そんなにやわじゃないよ。事故崩壊するんじゃ、なんて思ったのかなあ。でもこんなこと・・。聖闘士になった時から、もしかしたら・・。いつかは起こるんじゃないかって、そう考えていたもの―」
「瞬・・」
「平気・・! 覚悟していたから・・。ぜんぜん平気、ってわけにはいかないけれど。闘うことを選んだ時から、既に宿命づけられていたことだもの。・・仕方のないことだものね・・」
少し震える声が、それが本心でないことを物語っていた。
泣き出してしまいたいだろうに。
それを必死で我慢しているのが、痛いほどよくわかった。
こういうことは闘っている以上、いつかは起こることだろうと、星矢自身も怯えながらずっと思ってきた。
たぶん、紫龍や氷河も。
自分が正義の名のものと殺めてしまった戦士の肉親や仲間たちから“仇”と呼ばれ、責められる日がいつかは来るかもしれないということ。
だからこそ今、瞬は耐えているのだ。
一言の弱音も吐かず、涙一つ見せずに。
一度泣き崩れてしまえば、もう闘う事が怖くなって、立ち上がる事すら出来なくなってしまうだろう。
そして、それが“いつかは自分の身に”と畏怖を抱き続けてきた友たちに、どれほどの影響を及ぼすか。
瞬はちゃんと、よく知っていた。
(でも・・。どうしてよりにもよって、“お前”なんだ・・! 誰よりも心やさしいおまえが、どうしてそんなつらい目にばかり合わなきゃなんないんだよ―!)
口惜しさにグッと両の拳を握り締め、星矢は唇を噛み締めた。
それを見上げて、瞬が哀しそうに、心配げに言う。
「星矢、そんな顔しないで。僕は、大丈夫だから」
「だ、大丈夫なわけないだろう・・! そんな真っ青な顔をして!」
「・・稲妻のせいだよ。ほらね、笑っているでしょう・・?」
そう言って、星矢の顔を覗き込むようにしてニコリと微笑む。
その笑みがあまりに無垢で、だから尚の事痛々しくて、星矢はことさらに強く唇を噛み締めた。
こんな時、慰める言葉など有りはしないとわかってはいるけれど、何も言ってやれず、してやることもできない自分が悔しかった。
一輝なら、こんな時、どんな風に慰めてやるのだろう。
せめて一輝がそばにいてやってくれれば・・・。
そう思い、星矢は瞬の髪をそっと撫で付けてやりながら、自分の無力さを責めるように嵐にざわめく窓の外をギッと強く睨みつけた。


一夜明け、また夜がきても、嵐は依然衰えることなく怒り狂うように地に雨を叩きつけ、空を雷鳴で引き裂いていた。
まるで、リィダの憎悪そのままに。
瞬の身と気落ちを心配して、青銅聖闘士たち8人は皆、その一日を瞬の部屋で過ごしていた。
それは、誰かが常にそばにいることで、瞬が余計な考えを持つ間を与えぬようにすることが目下の目的だったのだが。
瞬は、皆の話し声を心地よい子守唄とし、眠りから覚めた時に身近にある人の気配にホッと安心したような笑みを見せた。
それでも、邪武や星矢らのジョークに声をたてて笑う瞬は、その無理につくる微笑みゆえに、ただ痛々しく、眠りの浅い重い瞼は腫れぼったくて辛そうで、微熱の下がらない身体は息をするのもけだるげで可哀想だった。
少し眠っては悪夢に目覚め、そしてすがりつくような瞳をしては部屋の中を見回して、誰かの姿を捜している。
そうして、そんな自分に自分で気づいては、また自分に嫌悪してしまうのだった。

「―レダはね・・」
いきなり話し始めた瞬にドキリとして、広い部屋の中のそれぞれの場所にいた星矢たちが一斉に顔をあげ、ベッドに横たわる瞬を見つめた。
白い天井を見上げながら、呟くように瞬が続ける。
「レダは、僕より2つ年上でね。同じアンドロメダの聖衣を競う仲間で・・。といっても、向こうは僕のことなんか、全然問題にしてもなかったけれどね。
・・僕は、島に一人きりになっても、やっぱり泣き虫でいくじなしで・・。
夜になると浜に出ては、兄さんを恋しがってひとりぼっちで泣いていた。
彼にしてみれば、“兄さん、兄さん”って泣いてばかりいる、そんな僕が苛立たしく思えるみたいで。しょっちゅう、いじめられていたんだ。
・・・ある晩も、やっぱり兄さんを恋しさに海辺に出ていて。その時はもう、兄さんに会いたくて会いたくて、我慢できなくなっていて、泳いでデスクイーン島にまで行くんだ、って。馬鹿なこと思って、波打ち際まで来た途端。本当に波にさらわれちゃって、あっという間に溺れかけて・・。
そんな時、酷寒の海をものともせず、飛び込んで助けてくれたのがレダだったんだ。その時はもう『馬鹿だ、おまえは馬鹿だ』って、山のように叱られてね。その時・・。彼の弟の話もしてくれたんだ。
二人ぽっちの兄弟だから、故郷の島に置き去りにしてきた弟のことが気になって気になって仕方がないって・・。弟もやっぱり、甘えっ子で泣き虫で。だから、おまえを見てると弟もおまえみたいに、オレのことを恋しがって寂しがって毎日泣いてるんじゃないかって、心配でたまらなくなるんだって・・・。そう言ってた・・」


『まーったく、おまえのせいでいらん心配までしなきゃなんねえだろ! イライラすんだよ、おまえ見てっと! けどな、言っておくが、オレの弟はおまえより2つ年下だけど、おまえみたいに弱虫のいくじなしじゃないからな!』
『・・・・僕の兄さんだって・・・レダみたいに、意地悪じゃないよ・・』
『そりゃ悪かったな! だいたいおまえ、それが命の恩人に言う言葉か? おまえの兄貴はどういう躾をしてんだ、まったく!』
『いたぁい』
『ああ、もう! ちょっと殴られたぐらいでベソかいてんじゃねえよ! ほらっ! まったくもう、おまえの兄貴はこんな手のかかる弟もって、さぞかし大変だったろうぜ』
『でも・・。兄さんは、瞬のことが世界中で一番かわいいって言ってくれるもん』
『あー、そうかよ。たいした兄バカ! ま、けどまぁ。オレもやっぱりオレの弟が一番かわいいと思ってるからな! 変わんねえか』
『うん! そうだね、おあいこだね』


「瞬・・」
いたわるように、氷河がそっと呼びかけた。
それに答えるように少し微笑んで、枕に片頬を埋めたまま、瞬が遠い目をしてつぶやいた。
「レダは・・ 本当は、弟想いのいい兄さんだったんだ・・。僕が毎日毎日兄さんを想っていたように、レダも同じように、弟のことばかり考えていた。そして、その弟のリィダは、故郷の島で毎日毎日兄さんが聖闘士になって戻る日を信じて、待って、待って・・・。だけど、その日は遂に・・。ついに来なくて・・。大好きな兄さんは、アンドロメダの聖闘士に殺されてしまった・・」
「違うだろ、瞬! おまえが殺したんじゃない!! そんな風に考えるな・・!」
「だって、星矢・・! 本当のことだもの・・! 僕は、僕・・・は・・・・」
「キャアァァ・・・ッ!!」
泣きそうな瞳で返そうとした瞬の言葉を引き裂くように、屋敷のメイドたちの悲鳴が邸外から響いた。
ビクリと身構え、そしてもう次の瞬間、星矢たちは窓を開き、テラスへと駆け出していた。
「どうした!?」
叫ぶ声に答えて、雨の中に立ちつくすメイドたちが、テラスを振り返り、かん高い声で叫んだ。
「瞬さまの・・・! 瞬さまの温室が・・・!!」




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