◆ イノセント 【1】 憎悪のたぎる瞳で、少年が吐き捨てた。 『悪魔!!』 『人でなし!』 頭を強打されたような衝撃を受けたその瞬間、目の前の空気が真紅に染まった。 ぬめり・・とした生温かい血の感触を、その全身が克明に思い出し、瞬の身体が総毛立つ。 鐘の音のような、かん高い音が頭の中で響き渡り、割れそうなほど頭が痛んだ。 “天使のようなツラしやがって・・! 人殺しのくせに!!” (そう・・・なんだ。僕は・・・人殺し・・・だ) 罪に怯える瞬の心が、弱く、か細く呟いた。 同時に力を失った身体がグラリと揺れて、意識が奈落の底に落ちていくのをぼんやりと感じる。 “瞬―っ!!” 皆が叫ぶ声が遠くに聞こえた。 ―答えなきゃ・・・ そう思うのだけれど、だけどもう。 このまま、終わりにしたい。 泣いて、眠りこんでしまいたかった。 これ以上、自分の罪を聞かされ、知ることが怖かった― さらに深みに落ちていく意識の中で、瞬は少年の瞳を思い出していた。 みなぎる憎悪に、赤茶の瞳が血の色に見えた。 (だけど・・・あの子の瞳をそんな風にしたのは、僕・・・・だ。まだ10歳やそこいらの子供の、純粋できれいな瞳を、あんな殺意に満ちた目に変えさせてしまったのは、僕のせいだ。きっと何もかも、僕の・・・ 憎悪を覚えさせたのも・・・ ごめんね・・・ どうやって、償えばいいの・・? どうしたら・・・ 教えて、誰か・・ 教えて・・・・ください・・・・) 悪夢は、その日の夕刻、何の予感もなく、突然に始まった。 クリスマス間近の星の子学園では、そのパーティの準備に大わらわで、星矢や瞬、それに氷河と紫龍もその手伝いに借り出されていた。 そして、子供たちとさんざん戯れ、はしゃいだ後、園児たちに見送られ帰路についた4人は、いきなり1人の少年の襲撃に合ったのだった。 それは、まだ9歳か10歳くらいの・・。 白い闘着の上に、簡単な装備を施しただけの少年戦士。 だが、正式な聖闘士の座を持たぬその少年の“気”は、それでもまさしく完成された聖闘士の小宇宙に相当するほどの(いや、1つ間違えば星矢たちを凌ぐほどの)ものだった。 そして、その小宇宙は、狂気のような感情に満ち満ちていた。 血走らせた殺戮者の目をして、少年が言った。 「アンドロメダは、どいつだ―!」 瞬時に四人の表情が凍りついた。 その言葉に、ギッと少年を睨み返し、瞬をかばうようにして前に立ち、星矢が返す。 「誰がアンドロメダか確かめて、それでどうする気だ!」 少年はニヤリとして、一片のためらいもなく、短く答えた。 当然のことを聞くな、とばかりに。 「殺す!」 その言葉に、皆の表情がギクリと強張る。 冷たい、霊気に近いものが、ぞろり・・と背中を撫で上げていくのがわかった。 まだ年端もいかぬ少年が、てらいもなく言える言葉とは思えなかった。また思いたくもなかった。 だけど。 それは微塵の戯れ言もなく、みなぎる殺気はまさに本気以外の何物でもなかったのだ。 星矢は、自分のかばったその背の後ろで、瞬のやさしい心が泣くのを感じた。 殺意が自分に向けられたことよりも、そんな風に人を憎しむ幼い心が悲しいのだろう。 「俺がアンドロメダだ。さあ、どうする? 坊主」 少し挑発的な声色で、星矢が言った。 皆がその声にハッとする。 「あんたが・・・?」 返した少年の眉が、意外そうにピクリ・・と動いた。 「ああ、そうだ」 「へえ、そうか。ならば・・!」 「待って!」 身構え、今しも拳を放とうとしたその拳を、星矢の後ろから現れた瞬が、その両手の中に抱き取るようにして押し止めた。 少年の瞳が見開かれ、はっとしたように瞬を見る。 「アンドロメダは僕だ― 僕が、アンドロメダだよ」 少年の瞳を見つめ、諭すように静かな声で瞬が言った。 駆け抜けていく風に、翠の髪がふわりとなびく。 大きな瞳が真っ直ぐに、美しく澄んだまま、少年を映していた。 何か訴えかけるような、少し哀しげな。 一瞬、少年は、憎悪を忘れてそれに見入った。 ――これが、アンドロメダ・・・? なんて、なんて、きれいな瞳をしてるんだろう・・・。 が、次の瞬間。 はっと我を取り戻した少年は、今まで片時も忘れたことのない自分の中の憎悪を、一瞬とはいえ捨てさせたそれに、尚のこと深い憎しみを抱いたようだった。 瞬の手を乱暴に振り払い、ギラリ・・と赤茶の瞳の中に、射るような光をたぎらせる。 「そうか・・・。あんたか。女みたいなツラしてってけど、自分から名乗りをあげるとは、いい度胸してんじゃんか。もっとも、人を涼しい顔して殺せるくらいの心臓持っているヤツなら当然かもな」 「え・・・・?」 いきなりの、胸を射抜くような鋭い言葉に、瞬は大きく瞳を見開いた。 その驚愕の眼差しに、少年は怒りをかっと露にし、両眼を見開いて怒号のような言葉を叩きつけた。 「とぼけるな!! オレの兄を殺したくせに!」 「な、なんだって・・・?」 「おまえは、おまえは、オレのたった一人の兄を裏切り、殺したんだ!!」 「そ、そんな・・・! 僕がきみの兄さんを?! そんな、まさか」 「まさかだと!? 忘れたとはいわさねえぞ! おまえが聖域に刃向かったがために、アンドロメダ島にいた少年たちは、みんな見せしめに黄金聖闘士に殺されたんだ! そして、兄は聖域のその怒りを鎮めるためににおまえを捕らえようとして日本に向かい・・・・。そして・・・・。そして、おまえに殺されたんだ・・!!」 「そ、そんな馬鹿な・・! 君は、君は、いったい・・・」 不安に怯えるような瞬の声が、震えながら問い返す。 怒りに掠れ、上擦った声で少年が叫んだ。 「まだシラを切るつもりか! オレの名は、リィダ=レムリカ! そして兄の名はレダ! レダ=レムリカだ!」 「―――!」 「そうだよ、あんたと一緒にアンドロメダ島で、その聖衣を争ったレダだ! オレのたった一人の兄だ! たった一人の肉親だったのに・・・! オレのすべてだったのに・・!!」 吐き出す少年の瞳から、大粒の涙が溢れて落ちた。 それでもその涙を流す少年の顔は、もう既に幼い少年のものではなかった。 まるで、邪気に取り憑かれでもしたかのように、恐しい形相で瞳をぎらつかせていた。 ・・・・ああ、また1つ、思い知らされる。 憎しみはどこまでも、人を変えてしまうものなのだと。 (レ・・・ダの・・・・弟・・・・) 「オレは、レダさえいればそれでよかったんだ! 聖衣なんか、手に入らなくったって! 兄さんさえ生きてくれてれば、それでよかった! それなのに・・! おまえが、殺した! ちきしょう・・・・っ! この・・・この、人殺し・・!!」 (僕が・・・・奪った・・・? この子から、兄さんを・・・) あまりのショックのため茫然自失状態の瞬の前で、リィダはさっと身を屈めて構え、両の手の指を組んで、それを瞬に向かって突き出した。 「兄の仇・・!!」 その途端に無数の光の衝撃波が、その拳の先から瞬に向かって襲いかかる。 憎しみで増大した小宇宙から放たれるそれは、まさしく正聖闘士にも匹敵するほどの破壊力を持っていた。 「瞬!!」 誰かの叫ぶ声と同時に、瞬の目の前は真っ赤に染まった。 多量の血を浴びたように、赤く、赤く、染まって。 それから、落ちていく。 身体ごと。グラリと。 すでに失いかけていた意識の中までもを赤く染めて・・・・。 絶望という名の、真っ黒な底のない淵へと、どこまでも深く深く堕ちていった―― つづく このお話もまだまだ長いのです。 一輝兄さんの出番は、まだもうちょっと先ですね。ハイ。 |