3


「ヤマト!」
「ヤマトさん!」
ただならぬ形相に、太一と光子郎が後を追いかけてくる。
来るな!と振り返って叫びたかったが、そんな余裕すらなかった。
身の毛もよだつ嫌な予感に、足元から掬われるようで吐き気がした。
視界が霞む。よじれる。
空間がねじ曲がってしまっているようで、うまく走れない。
けれど、そんなことは言っていられなかった。
確かめなければ。
何があいつに起こったのか、確かめなければ!
なんで、なんで・・・。
なんで、どうして、あんな男のとこなんかに行ったんだ、ばかやろう!
気をつけろと言っただろう、どうして言うことをきかないんだ!
何されるか、わかんねーのかよ!
(タケル―――――!!!)
どこにいるんだ! そこはどこなんだ!
どこにいるんだよ、タケル!!
街の中を駆け回り、奴らのたむろしていそうな場所を探す。
「タケル! どこだ!」
呼んで叫んで、ヤツらの遊び仲間をかたっぱしから締め上げた。
あれからすぐに気づいて、かけられてきたナンバーにリダイヤルした。
けれども既に電源は切られた後で、留守番電話サービスの声が機械らしく抑揚のない口調で「メッセージをどうぞ」とそれに答えた。
「畜生!!」
闇雲に走りまわり、大まかな事情を教えられた太一たちと、手分けして手がかりを捜す。
しかし、彼らの仲間は一様に「今日はまだ見ていない」と口を揃えていうだけだった。
焦りと憤りにめまいがする。
胸が、不安に押しつぶされそうだ。
不安で不安で、口の中がカラカラに乾き、眼の奥が痛んでチカチカした。
頭痛がさっきより酷い。がんがん痛んで、嘔吐感が込み上げてくる。
ちがう、そんなはずはないと自分に言い聞かせる。
大丈夫だ。
そんなことされたりしない。
アイツは男だし、オンナのようにそんなこと、されるわけがない。
ハメられたんだ。
今頃、俺の狼狽ぶりを、どこかで仲間に見張らせて、滑稽だと笑っているにちがいない。
きっと、きっとそうだ。
そうであってくれ。
打ち消しても打ち消しても、脳裏に浮かび上がる最悪の光景に、走る足ががくりと崩れ、胸と頭の痛みに堪えかね、長く続く中学校の塀にもたれて身体を支えた。
〈タケル・・・・タケル・・・・・! どうか無事でいてくれ・・・・たのむ・・・・タケル・・・)
身体のあちこちが、血が流れているかのように痛い。
心配で心配で、視界がしろく霞んだ。
目頭が熱くなる。
気がつけば、白いシャツは汗でびっしょりだった。
「くそ・・・・っ」
気が変になりそうになりながら、もつれる足をどうにか騙して、再び走り出そうとしたその時。
中学の正門を飛び出してきた、太一と光子郎が目に入った。
「太一!」
ヤマトの声に、太一がはっとなる。
「ヤマト・・・!」
ヤマトを見つけて、太一たちが駆け寄ってくる。
光子郎が叫んだ。
「ヤマトさん、急いでください! タケルくんはS高の音楽室です!!」
「・・・・S高の・・・音楽室?」


部活が終わったらタケルと一緒に帰る約束だった、バスケ部の部員がまだ残っていた。
何でも、もう練習が終わるというところでケイタイが鳴り、タケルは「兄の譜面がS高の音楽室にあるらしいから、一足先に練習を終えて取りにいってくる」と言っていたらしい。
だから、今日は一緒に帰れないんだ。ごめんね。と。
その男子は特に気にはとめなかったらしいが、兄の譜面なら、なんで兄に取りにいかせないんだ?と思ったらしく、その電話のことは覚えていた。
昼を食べて、午後の練習の終わる30分くらい前というから、タケルが中学を出てから既に3時間は経過していることになる。
とにかく、一刻も早く、タケルの無事を確認したかった。




「こっちだ!」
慣れない校内に戸惑いながらも、土足のまま、階段を駆け上がる。
校内は、荒れているらしく汚れていて、廊下の隅にはタバコの吸殻がいくつも散らばっていた。
夕方近くになって、部活の生徒も帰ったのか、むし暑い校内はひっそりとしていた。
ヤマトの尋常ではない様子に、太一と光子郎ももう、タケルがどこかに連れ去られて、監禁でもされて酷い目にあったいるのではないかということは、だいたい察しがついていた。
怪我などしていないだろうか、どうか無事で。
だけど、あの温厚でやさしいタケルがなぜ?
そんなことに巻き込まれる、その理由はなんだ?
そんな疑問を抱きつつ、ヤマトがピシャ!と叩きつけるように開いた、その扉の中を覗いた瞬間。
異臭が鼻をつき、そして、予想だにしていなかった惨状に凍りついた。
あまりの酷さに言葉を失う。
そんな・・・そんな・・・・・!
瞳を見開いたまま、太一が扉にダン!とぶつかった。
光子郎はその場にへなへなと崩れ、坐り込んだ。
自分がもしヤマトだったら、その場で気が狂って、泣き叫んでいただろう。
それほどまでに。
壮絶な光景が、そこにあった。
室内は生温かい気持ち悪い空気と、タバコの煙。
そして、おぞましい精液の匂いと血の匂いが混じって異臭を放っていた。
だらしなくズボンをゆるめた高校生の男が5人、にやにやとしてこちらを見ていた。
その男たちに取り囲まれるようにして床の上に、壊れた人形のように打ち捨てられた、真っ白い、裸に剥かれた少年の姿があった。
頬は殴られてひどく腫れ、鼻からも口からも血の流れた跡が渇いて赤くこびりつき、白い肌の上には唇の跡と、指の跡がくっきりと残されていた。
開かれた内腿は、血液の混じった、男たちのおびただしい体液に、べっとりと汚れている。
顔の横の床の上には、タケルの胃から吐き出されたのであろう汚物の溜まり。
見開かれたままの瞳は、入ってきた人影にすら気づかず、ただぽっかりと開いたまま、天井の染みを見上げていた。
(し・・・・死んで・・・・・?)
ぞっとする太一の横で、崩れてへたりこんでいた光子郎ががたがたと震え出し、“げええ・・っ”という音とともに激しく嘔吐した。
太一の身体も震えていた。
なんで、こんな、どうして、どうして・・・・
固まったまま、握られた拳がぶるぶるとわななく。
自分の目の前にある、ヤマトの肩は、自分よりももっと激しく震えていた。
目がくらむほどの怒りで――
・・・・・嘘だ。

・・・・ちゃん・・・・・おにいちゃん・・・・

小さい手で、いつも自分に甘えてきた弟。
頼りない小さな身体は、まだヒナ鳥のようで、ふんわりと軽くてやわらかで。
まだ自分も幼かったけれど、守ってやりたくて、腕の中に壊さないようにそっと抱いた。
嬉しそうに笑ってくれた。
かわいくて、かわいくて・・・。
小学生になってもそれは変わらず、それどころか、もっといとしいと思うようになった。。
もう小さくはなかったけれど、か細い腕がなんだか頼りなげで、抱きしめるとはにかむように微笑んだ。
かわいくて、かわいくて、たまらなかった。
中学生になって、見上げてくる瞳の中に切なさが見えた。
見ないふりをしようとしたが、自分と同じ想いがそこにあると知って嬉しくて、華奢な身体をきつく抱くと、腕の中で涙を流した。
もう“弟”というだけでは、すまされなくなっていた。
すべてが愛おしくて、心から大切で、自分の全てを投げ出してでも、守ってやりたいとそう思った。
だから。
だから、離れたのに。
血を吐く想いで決心したのに。
こんな・・・こんな・・・・こんな・・・・
こんな目に合わせるためなんかじゃない――!!!
「よくも・・・!!」
絞り出すように低くそう言うと、ぐっと拳を握りしめ、ヤマトは血が滲むほど唇を噛みしめた。
「よう・・ヤマト。遅かったじゃねえか。よかったぜえ、おまえの弟。どうだ? 今からでも、おまえも味見してみ・・・!」
嘲笑を浮かべながら放った男の言葉を待たず、ヤマトは血走った眼をして猛然と走り出していた。
そして、男の胸倉を掴むと、その顔面を力まかせに、肉をえぐりとるようにガッ!と拳をめりこませる。
男の身体がもんどりうって跳び、机と椅子をなぎ倒して床に転がった。
「てめえ!!」
他の男たちがそれを見て、火のついたままのタバコを床に投げ捨て、椅子を手にしてヤマトの背後に襲いかかる。
太一ははっと我に返ると、手前にいた男の襟首を掴んで振り向かせ、思いきり殴りつけた。
「野郎!」
床に倒れる仲間に、他の男が振り返って応戦する。
だが、喧嘩慣れしている太一には造作もない。
身軽に拳をよけて、つんのめったところを膝で顎を蹴り上げる。
「ぐわあ」
「このヤロー!」
次々と殴りかかってくる男たちをかわしながら、太一は、リーダーの男と睨み合っているヤマトを見た。
雑魚なんかどうでもいい。
それよりヤマトを止めた方がいい。
あの形相は普通じゃない。
いや、普通じゃないのは当たり前だ。
誰だって、弟をこんな風にされたら・・。
だが、ヤマトの背中からに滲み出ているのは、憎悪を通り越して、もはや殺気だ。
殺すかもしれない。
自分が止めなければ、ヤマトはきっとこいつを殺す。
凄まじい鬼のような形相に、太一の背中をぞっと悪寒が走る。
ずっと前からの親友なのに、いいヤツなのに、今のヤマトはまるで別人だ。
いけない、やめさせなければ、止めなければ・・!
大事な友を、人殺しになんかしたくない。
「ヤマト・・・!」
だが、太一の声など、まるでヤマトには聞こえていなかった。
床から立ち上がろうとした男の腹を、思いきり蹴り上げ転がして、うめいてうつ伏せる背中をがっ!と足の下に踏みつける。
「よくも。弟を・・・!」
それを止めにかかろうとした2人に、振り返ると椅子を掴んで投げつけた。
バラバラと派手な音が部屋中に響いて、机が倒れ、その隙に起き上がろうとしたリーダーの男に気づくと、胸ぐらを掴んで何度も何度も殴りつけた。
殴る度に、その鼻や口から血飛沫が飛び、机や床を鮮血で染める。
それでもヤマトは殴る手を休めず、止めに入った男を振り払い、なおもその顔面を打ちつけた。
こんな風に俺のタケルも殴ったんだろう! 
抵抗もせず、殴り返しもできない、やさしい弟を! 
顔の形が変わるほどに、殴っただろう! 
――畜生!
「ヤマト! ヤマト、もうやめろっ! 光子郎、タケルをー!」
男の仲間と揉み合いながら、太一が光子郎に向かって叫ぶ。
とにかく、タケルを保護して、なんとかここから連れ出さなければ。
出血がひどい。
タケルを連れて出て、それからヤマトを落ち着かせないと。
このままでは、本当に。
アイツが死ぬまで、ヤマトは殴る手をやめないだろう。
太一に言われて、光子郎が、ずるずると床を這うようにタケルの傍に行き、生きているのか死んでいるのかもわからないほど、ぴくりとも動かない身体をそっと膝の上に抱き上げた。
「ひどい・・・」
思わず、あまりのことに涙がぼろぼろと溢れ出た。
「タケルくん・・・ タケルくん・・・」
怖がらせないように、静かに呼んだ。
けれども、それでもタケルはぼんやりと天井を見て、瞬きすらほとんどしない。
「てめえ、いい気になってんじゃねえ!」
殺気立って、リーダーの男を殴るヤマトに、別の男が太一をかわして、その肩に手をかけ、ヤマトに殴りかかる。
それに向かいあっている間に、倒れて気絶でもしていたかのようだった男が立ち上がり、やおらズボンのポケットからナイフを取り出した。太一がはっとなる。
「ヤマト、後ろだ!」
太一の声に振り返るなり、男がナイフをかざしてヤマトに襲いかかった。
それを寸でのところでかわしたつもりが、ナイフはヤマトの腕を掠め、そこを切り裂いていた。
血がぽたぽたと床に落ちる。
男が二ヤリと笑い、刃先をさらにヤマトに向けた。
ぎらり・・・と鋭く、それが光る。
ヤマトは感情の無い目でそれを見ると、その切られた腕をゆっくりと上げた。
そして、何をするのかと思った途端、やおらその肘を思いきり窓ガラスに打ちつけた。
バン!!ともの凄い音がして、ガラスを打ち砕いたヤマトの肘が、ぱっくりと開いて血が飛び散った。
ガラスの破片がバラバラと、4階の音楽室から中庭に落下して行く。
夏休みで、しかももう夕暮れ時で、きっと部活で残っていたものも、もう帰宅した後だろう。
人が集まってこなかったことは幸いだった。と、後になって太一は思った。
この時は、ただ動揺して混乱して、それどころではなかったが。
「ヤ・・・・ヤマトさん・・・・・・血が・・・・」
光子郎が、震える声でやっと言った。
ヤマトは右肩から下を血で染めながら、床に散らばった破片の一つを拾い上げた。
大きさと、鋭さを確かめるように見て、うっすらと笑う。
室内は、壮絶な状態にしん・・として、男の仲間らも固唾を呑んで、ヤマトを見るしかなかった。
そこにいる全員が、ヤマトの憎悪に満ちた殺気に金縛りにあったように動けなかったのだ。
「な・・・・なにをする気・・・だ」
後ずさりながら、男が言う。
自分の手の中にまだ凶器があることも忘れて、冷たく笑うヤマトにぞくりとしながら、尚もずるずると後退る。
その時、男は初めて後悔した。
ヤマトにとって、絶対手を出してはいけない、ふれてはいけないものを、傷つけ犯したことを。
「殺してやる」
抑揚のない声で、言う。
「わ・・・・悪かった。あやまるから・・・・・ま、待てよ・・・・な・・?」
一歩、近づかれるごとに、男の額から汗が滲み出た。
ガラスの破片を握りしめるヤマトの手から、ぼたぼたと床に多量の血が流れ落ちているのに、何も感じていないその様は、異様としか言いようがなかった。
誰も動けない。声も出ない。
光子郎のすすり泣く声だけが、室内の重い空気を微かに振動させている。
ヤマトは、静かに男に向かって、鋭いガラスの刃を振り上げた。
「ぎゃああああああああ!!!!」
男の悲鳴に、皆がざっと我に返る。
足を払われ倒れた男の手首を靴で踏みつけ、ヤマトがその手の甲にガラスの先を突き立てたのだ。
手を押さえてもがく男を冷たく見下ろし、顔色ひとつ変えずにそれを引き抜き、もう片方の手も同じようにガラスで貫く。
「うわああああ!!!」
床を転がり回り、激痛にもがいて喚き立てる男を見ながら、ヤマトが笑って言った。
「次は、どこがいい?」
どくどくと流れ出し、床をひたひたと覆っていく血溜まりに目を細める。
痛いかい?
けれどそんなものは、弟の痛みに比べれば微塵ほどでもない。
弟の痛み。
心が壊れるほどの痛み。
思うと同時に、ヤマトの目から涙がこぼれた。
おまえなんかにわかるもんか。
どんなに、どんなに、どんなに、どんなに、
どんなにあいつを愛しているか、おまえなどにわかるものか・・・!
殺したって、飽き足らない。
床に這いつくばる男の腹を蹴って仰向かせ、その身体の上にのしかかって血だらけの手で顎をつかんだ。
力を込める。
人の力ではないような、獣のような力で。
「ぐわっ!」
顎を砕いた感触がして、ヤマトは満足げに微笑んだ。
人は、憎しみと殺意だけで、こんなにも残虐になれるのか。
真のあたりにそれを見て、恐怖と戦慄に、太一さえももうどうやってヤマトを止めていいのかわからなかった。
それどころか、身体を動かすこともできない。
かすれた声で、どうにかこうにかやっと言う。
「やめろ・・・・やめろ、ヤマト・・・・っ」
「やめて・・・・ください・・・・・お願い・・・もう、やめて・・・・」
光子郎も、タケルを抱きしめながら哀願した。
「やめてください・・・・・・ヤマトさん・・・っ」
むせび泣く声とその名に、ふいにぴくり・・とタケルの血の気のない指先が動いた。
〈・・・・・・や・・・・ま・・・と・・・・・・・・)
「さあ、次はどうする?」
「ひぃぃ・・ も、もうやめてくれ・・・たのむ。こ、このとおりだ・・・・・」
恐れ慄き、失禁しながら、砕けた顎をがくがくさせて、不明瞭な声で男が言う。
本気だ。
本気で殺す気だ。
こいつは、本気で俺を殺す気なんだ・・!
「ひ・・・」
「弟を汚した、おまえの凶器もどうにかしなきゃなあ・・」
「ひ・・ひぃぃ・・」
「使えなくしておかねえと」
「な・・・な・・!」
「どうせ死ぬんだ、もう・・・・いらねーよなあ・・」
「や、やめ・・・やめて・・・・や・・・」
ヤマトは、何も聞こえていないかのように近づくと、高く振り上げたガラスの破片を男の股間めがけて一気に振り下ろした。
「ぎやああああ!!!!」
男の悲鳴に、思わず皆が目を閉じ、耳を塞いでその場に蹲った。
ヤマトがすかさず、股間を押さえてのたうちまわる男を身体の上に乗り上げ押さえつけ、その首に手をかけ、ギリリ・・・っ!と強く締め上げる。
「ぐわああ・・・」
指先に力がこもる。
どうにでもなれ。
もういい。
もういい、これで許してやる。
さあ、死ねばいい。
ただの骸になればいい。
アイツをこんな目にあわせたんだ。
生きている価値など、おまえになんか、ない。
奥歯を噛み締め、さらに力を込めた。
男の口がだらしなく開かれ、舌が突き出る。泡が溢れる。
もう少し、もう一息・・・。
喉元を押しながら、確実に息の根をとめようとするヤマトの顔も、また死人のように白かった。
血走った目だけが、赤かった。
涙が落ちる。
それを拭いもせず、最後の力を込めようとした瞬間。
ヤマトの肩に、ふいにふわりと何かが落ちた。
ヤマトの瞳が見開かれ、筋肉の浮き出た腕がぶるぶると震え出した。
また、涙が溢れた。
指先から、少しずつ力が抜けていく。
「どうして・・・?」
信じられないといった顔で、背中の気配に振り返る。
青白い身体が、背に寄せられた。
力の入らない腕で、背中からけなげに兄の身体にしがみつく。
「やめて・・・」
「・・・・・・タケル・・?」
「やめて・・・・兄さん・・・・・・お願い・・・」
高ぶった憎しみだけの感情が、潮のように引いていく。
肩口から兄を見上げる瞳はまだ虚ろで、よく見えていないのか、焦点の合わないまま、探すように視線を漂わせる。
「もう・・・いいんだ・・・・兄さん・・・僕は・・・平気・・だか・・・・・ら」
何を言っている?
平気なわけないだろう?
ヤマトは、泣き出したいのを必死で堪えた。
それでも兄を安心させたくて、タケルがいじらしく、かすかに微笑んでみせる。
ヤマトは、男の上から立ち上がると、背中にいた弟を胸に引き寄せ、そっと腕の中に壊さないように抱きしめた。
血だらけの手で、真っ白なタケルの頬を撫でる。
「にい・・・・・さ・・ん・・・・・」
「タケル・・・」
あまりにもその姿が儚げで、本当にそこにいるのかを確かめるかのように。
「ヤマト! 危ない!!」
突然、太一が叫んだ。
一番近くにいた男の仲間が、まだ頭の中はパニックを起こしたまま、床に落ちていたナイフをわけもわからず拾い上げると、いきなりヤマトめがけて切りかかったのだ。
太一が、止めようと猛然と駆け寄る。
光子郎が叫んだ。
「やめろおお!」
「・・・・・・・!!」
瞬間、刃物が肉を裂く音と同時に、バッ!!と多量の血が飛んだ。
刺した男の方が、気が動転して床に尻持ちをついて震え上がった。
その腕に、深々とガラスの破片が突き刺さっている。
男は、自分の腕を見て、うわああ!と驚いて悲鳴を上げて泣き出した。
男のナイフは、タケルをかばったヤマトの肩を貫き、同時に、その腕の中から兄を守ろうとしたタケルが、とっさに向けたガラスの破片で男の腕を刺していたのだ。
ヤマトが、がくりと膝を折る。
「にい・・・」
タケルの瞳が見開かれる。
兄の身体を支えようとした手が、べっとりと血液に濡れた。
「タケ・・・・ル・・」
ヤマトがゆっくりと、肩を押さえてタケルの腕の中に倒れこむ。
タケルは、見開いたままの瞳を大きくふるわせた。
「にいさ・・・ お、兄ちゃ・・ん? お兄ちゃん! お兄ちゃん!! いや、いやだ、嫌だぁぁ・・・・・・ッ!」
タケルは片腕で血まみれのヤマトを抱き、もう片方の手で自分の頭を抱え、狂ったように泣き叫んだ。



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