俺は知らなかった。
まだ、弟が自分を慕ってくれているなどと、微塵も考えてもいなかった。
いとおしくて、可愛いくて、誰よりも愛していた。
誰にも、ふれることさえさせたくないほど、大切なたからもののような弟。
好きで、好きでしようがなかった。
自分の感情を押さえきれずに抱きしめて、キスをした。その体に少しだけふれた。
それでも弟は逃げもせず、ふるえながらも腕の中にいた。
怖くなんかないよ、しあわせなんだ・・・とそっと身を寄せてくるのがいじらしくて、壊れるくらい抱きしめた。
だけど。
あまりにも一途な瞳が、俺は怖くて。
その全てを自分の欲で汚してよごしてしまいそうな、獰猛な欲望を持て余していた。
すべてを強引に自分のものにしてしまうには、弟はあまりにも幼くて、純粋すぎたから。
これ以上、そばにいたら自分は何をしでかすかわからない・・・。
苦しんで苦しんで、身をひきちぎるような想いで、離れることを決意した。
そうすることでしか、あいつを守りきる事ができないと思ったから。
どうして?と、すがり付くように伸ばされた手を冷たく払いのけた瞬間。
タケルはこの世の終わりのような、ひどく哀しそうな顔をした。
けれども、その後、何度か偶然見かけることがあったけれど、タケルはいつも笑っていたから、もうそれで終わったのだと思っていた。
俺のことなんか、もう忘れたんだな・・・と。
だから、哀しい想いをさせているなんて、知りもしなかった。
苦しいのは、自分だけだと思っていた。
苦しくて淋しくて、言い寄ってくるオンナとかたっぱしから寝た。
どうせ、あいつもこんな俺に、愛想をつかしているに違いない。
もう追っても来ない。
それでいいんだ。それでよかったんだ。
言い聞かせては悪ぶった。


デート帰り、オンナと別れた交差点で、偶然、太一と光子郎に会った。
「よお、久し振り」
「なんだ、お前ら、相変わらずつるんでんのかよ」
「つるんでるって・・何ですか? 偶然、そこで会っただけです」
少し恥かしそうに言う光子郎に、「はいはい、仲のよろしいこって」と茶化すと、かっと真っ赤になった。
おもしれえヤツ。
太一が咎めるように、「おまえ、噂で聞いたけど、最近女グセが悪いって?」とか言い出した。
「久し振りにあったっつーのに、説教くせえこというなよー」
「否定しねえとこ見ると、図星なんだなー。いい加減、つまんねえことやってねーで、一人にしとけって」
さらに説教をたれる太一にうんざりしつつも、適当に相槌を打ちながら聞き流していると、ふいに胸ポケットでケイタイが鳴った。
覚えのあるような、ないようなナンバーに、首を傾げつつもそれに出る。
「よお・・・」
一番、耳元で聞きたくない声がした。
S高校でバンドやってるヤツだ。
一緒にやろうゼとしつこく誘われたこともあったが、人寄せパンダになるのはご免だと断った。
音楽の趣味も合わないし、第一、生理的にそいつのことが好かなかったから。
裏ではやりたい放題のくせして、教師の前では借りてきた猫のようにオトナシイとかいう話も耳に入ってきた。
そういうの虫唾が走る。一番嫌いなタイプだ。
長くは聞いていたくない声に、早々と電話を切ろうとすると、まるでどこかで盗み見ているかのようにそいつは笑った。
「切るなよ、オイ。今切ったら、後悔するぜ?」
しねえよと思いつつも、ぶっきらぼうに聞き返す。
「なんだ」
「・・・・・・・・・・」
「用がないんなら・・・」
と切りかけたところで、゛何か言えよ、オラ!”と、誰かに電話をつきつけているような気配がする。
「・・・?」
男の上がった荒い息と、せせら笑う複数の男の声。
何をしてるかは、だいたい見当がついた。
女との濡れ場の実況中継かよ。ゲスめ!
チッと舌打ちして今度こそ本当に切りかけて、思わずはっとした。
うめくような声・・・。聞き覚えのある・・。
その瞬間、血の気が引いた。
唇が血の色を無くす。。
「ほら、なんか言えって!」
「う・・・・っ」
今の声、まさか・・・。まさか、そんなはずは・・・・!
「゛お兄ちゃん、たすけてー”って言えよ、ほら! それとも良すぎてしゃべれねーか」
゛お兄ちゃん”
・・・・・タケル・・・? 
そんな、なんで、そんな・・・・・・。
目の前が真っ暗になった。
冷たい汗が体中から吹き出した。
体ががたがたと震える。
電話を掴む手が、それを壊してしまいそうなほど力が込められ、白くなった。
頭の奥を、ガンガンとドラム缶を叩き鳴らしたような、凄まじい音がする。割れそうに痛んだ。
「すげえな、おまえの弟、細い身体のクセに結構タフじゃん。もうこれで一巡したぜ。おまえ、仕込んでんのかと思ったら、手ぇつけてなかったんだな。おかげで、一番にイイ思いさせてもらったぜ。ありがとよ。なんだったら、おまえも今から混じりにくるか? いいぜえ、おまえの弟! 最高だぜえ。ハハハハ・・・・」
嫌な笑い声に、全身の血が逆流していくのがわかる。
そして、それを遮るように叫ぶような声がした。
はっとすると同時に電話は切れた。
そんな・・・・嘘だろ・・・? どうして、そんな・・・。
「おい、どうしたんだ? ヤマト!」
見開いたままの眼で宙を睨んでいた俺は、太一の声に我に返った。
「ヤマトさん? どうしたんです? 電話・・・誰から・・・・」
「タケルが・・・・・」
唇を震わせながら、やっとそう言うなり、俺は猛然と駆け出していた。
驚いたように呼ぶ太一と光子郎の声が、遥か後ろから聞こえた。
嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ・・・・!!
守ってきたんだ、守りたくて離れたんだ!!!
こんなことのためじゃない!!!!
車道に飛び出し、車の間をすりぬけるようにして道路を横切る。
狂ったように、あちこちから、車のクラクションが打ち鳴らされた。






声が聞こえた。電話越しに。
兄の声だった。
久し振りに聞く、あたたかく懐かしい。だいすきな声・・・。
指先がぴくり・・と震え、哀しいほどに反応する。
ああ、どうしてこんな時に、その声を聞かせるのだろう。残酷すぎる。
卑怯だ、あまりにも。
(に・・・・いさ・・・・・ん・・・・・)
正気づかないまま、犯されていればよかった。
解剖されるカエルのように、だらしなく両手両足を開いて。ただ、犯されていればよかったのに。
ココロがなければこんな形、ただの肉の固まりにすぎないのに。
蹂躪れても痛みだけで、哀しみもなくてすむ。
一人でなら、僕は耐えられたかもしれなかったのに。
汚されて、それですべてをあきらめて、いっそ狂うことも死ぬことも選べたかもしれなかった。
この行為そのものが自分にとって屈辱かどうかなんて、正気を失いかけていた僕には、もうどうでもいいことだった。
理解すらできなかったのだ。
声を聞かされた刹那、身体から離れて浮遊していた魂が、激痛にうめく肉体に戻っていく感じがあった。
下肢に信じたくない痛みと、血の滴り落ちる気配と、体液の臭いと、男たちの手の感触と。
それから、蝉・・・・。
蝉の声がうるさい。
もう悲鳴を上げて助けを呼ぶこともできないと判断したのか、熱室と化していた室内は、窓が開けられ風が入ってきていた。
うだるような生温かい、べっとりした空気。匂い。灼く日差し。
頭の中にも蝉がいるのかと思うほど、その声がうるさくて頭が割れそうだ。
もう命の終わりまで時間がないからと、最後の力で叫んでいる。
それが、殊更うっとおしい。
うるさい。
やめろ。
身をよじった途端に、背骨を砕かれるような激痛が駆けぬけた。
全身が総毛立ち、ぞわぁ・・・と悪寒が走る。
圧迫された胃が、猛烈に吐き気をもよおす。
惨めさと、屈辱感が、波のように押し寄せてくる。
・・・どんなに色が白いとか言われようと、手足も女の子のように細くても。
僕は、男なんだ。
裸に剥かれて、足を開かされ腰を高く抱え上げられ、自分と同じ男を受けいれさせられ、屈辱じゃないわけがない。
だけど。
ズボンの前を開いたままで、何人めか何回めかわからないまま犯されている僕の頭の上の方に坐り込み、男がケイタイを顔の前に差し出した。
何か話せと言う。
ゲスめ・・!
弟が陵辱されていることを、兄に教えるつもりだ。
そして、きっとここの場所も告げて、ここに来させる気なんだ!
知られちゃいけない!
兄さんに、こんなこと絶対知られちゃいけない!
あなたを傷つかせないためだったら、僕だけだったら、一人でこんなこととっとと忘れて、明日からも淡々と微笑んで生きていけるのだから! 
たとえ、それがただの骸だとしても。
渾身の力を振り絞って上体を起こし、電話に向かって叫んだ。
「お楽しみの際中に無粋なこと、やめようよ・・! 切ってよ、電話! 邪魔だから!」
普通に、できるだけ面倒くさそうに言いたかったが、痛みを堪えているため、早口で叩きつけるように言うのがやっとだった。
それでも、兄は信じるだろう。
僕に対しては、潔癖な兄さん。
汚れた弟など、きっと捨てておいてくれる。
いや、もう既に、捨てられてしまっているのだろう。
使わなくなった食器のように。着古した服のように。
・・・・電話は、切れた。
・・・・絶望感・・・・・・・。
すべてが終わった。
だらりと両腕を、床に捨てるように投げ出した。
もう、あとは、好きにしてくれればいい。
一片の肉も残らないほど、僕を食らってくれればいい。
救いがないほど汚して、終わったら、そこいらへんに捨てて帰って。
さよなら。
兄さん・・・。
お兄ちゃん・・。
好きだった。大すきだった。何もかも失ってもいいほど、大好きだった。
「・・・う・・・・っ」
初めて、涙がこぼれた。
なぜ、泣くのだろう。泣くのは嫌だ。すごく惨めだ。
こんな状況で、泣きたくなんかない。
自分の惨めさを、嫌がおうにも認めてしまう。
新たに身体の中に入ってきた、少し気弱そうな男が聞いた。
「いいのか・・? あんなこと言って」
いいんだ。
やめろ。
同情なんか、するな。
どうせ、哀れんだって、することはするんだろう。
だったら、淡々とやればいい。
憐れまれるほど、惨めで情けないことはないんだ。
もう既に感覚のなくなった場所を、こじ開けるようにピストンする男の必死の顔をぼんやり見上げる。
荒い息が、顔や耳にかかる。
気持ちが悪い。
身体にあったおぞましい痛みは、もう峠を越した。
血液の流れ出る感覚にも、もう怖さもない。
なのに、さっきより痛い。ずっと痛い。
これは、ココロの痛みなのだろう。
息もできないくらいに、痛い。苦しい。
助けて誰か。
今すぐ助けて。
お兄ちゃん、お兄ちゃん・・・!!
無意識に兄に助けをよぶ惨めな自分と、もう半分狂っているらしい冷ややかな自分とが、再び混濁し始めた意識の中で入り乱れる。
助けて。
ううん。助けないで。
どうか、いっそ、いっそこのまま・・。
もう、いいから、どうか死なせて。




「男、ヤるってどんなかと思ってたけどよ」
「案外、どうってことなかったな」
「なかなか、イイもんじゃん」
「ケツの方も、結構イケるな」
「おまえ、クセになるんじゃねーの」
「いや、けどさ。オンナとやるのとはまた違った感じでさ」
「ハマりそうだってか?」
「ハハハ・・・。俺、マジでハマりそー」
「いいよな、コイツ」
「顔もかわいいし」
「肌もキレイだし」
「オイ、もっかいヤらせろよ」
「おまえ、何回目だよ」
「あ、オレも次」
「こいつ、細いわりにゃ、なかなかタフだし。まだまだ楽しめそうだな」
「可愛いがってやろうぜ、まだまだたっぷり・・・」
頭の上で、嘲笑が聞こえた。
それも、すぐ、蝉の声にかき消された。


身体の中にあるものは何?
まるで、ただの固い棒きれ。
何のあたたかみもない、冷たい肉の棒。


座った男の股間に、2人がかりで抱き起こされて、足を広げて下ろされる。
後ろからそのままグイと貫かれ、背中に熱い息がかかる。
ずぶずぶとそこを突き上げられながら、嫌がる口をこじ開け、前からは別の男が自分のものをつっこんだ。
あまりの気持ち悪さに、思わずぼろりと涙が落ちる。
「おまえも、ちったあ楽しめよ」と、萎えてだらりとなったタケルのものにさらに別の男が指を絡めて扱き上げる。
「や・・・!」
全身で拒絶を示してもがくのに、男はそれを悦んでいると勘違いして、尚、熱心にタケルの身体を弄ぶ。
口の中で男が膨張し、一瞬緊張した後、どろどろの精液を勢いよくタケルの顔に放射した。



ああ、もう・・。
疲れた・・・。
もう、くたくただ・・・・。
眠りたい・・・。
ただ、もう眠りたい・・・・・・・。
できることなら、このままずっと
目覚めることのない深い眠りが欲しい・・。







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