□■ あいたくて(2) □■


並んで席につき〈本当に最前列だよ、親父・・)ふと隣のタケルを見る。
タケルも俺の方を見上げ、何か言いかけて黙ってしまった。
奇妙な沈黙・・・。
何、しゃべったらいいんだ?
タケルがまだ小2くらいの時は、とにかくよくしゃべってよく笑って、俺が何をしゃべろうかなんて考えるヒマもなかったけど。
とにかく一生懸命話す言葉に、うんうんとうなずいてやると、嬉しそうにしてた。
そういや、自分のこととか、あんまりこいつに話したことなかったな・・。
「あの・・・」
「え?」
再び何か言おうとタケルが口を開いたと同時に、ジャーン!!と派手な音がして、場内は明るい光に包まれ、驚く間もなくサーカスは開演された。
華やかな衣装を着飾ったダンサーたちが飛び出してくると、タケルは面食らったような顔でそれを見、条件反射のようにパチパチと手を叩いた。
とりあえずは、妙な間が吹きとんだことに感謝する。
どうでもいいけど、サーカスなんて何年ぶりだろう。
まだ子供の時に、一度、やっぱり親父の仕事関係からチケットをもらって・・。
あの時はめずらしく家族4人で行ったっけな。
まだ、こいつは2,3つで小さくて。
俺もはっきりとは覚えてねえけど、ピエロがタケルを抱き上げたら、俺はタケルがサーカスに売られるんだと思って、ピエロにすがりついて、弟をつれていかないでと泣いたらしい。
・・・ったく。どこまで本当かどうかは知らねえけど、耳にタコができるくらい、その話は親父から聞かされた。
それにしても最近のサーカスは、ナントかイリュージョンとかいって、マジックショーのようなものまでするんだな。それにピエロも一人じゃなくて何人もいて、コントみたいなこともするのか。
などと感心している横で、タケルは膝の上で小さく手を叩いたり、わあ・・とか驚いてみたり、くすくす笑ったりと、結構それを楽しんでいるようで、なんだかほっとする。
リアクションこそ、幼い時のように派手じゃないけれど、真剣に見ている瞳に、知らずと笑みが漏れてしまう。
つれてきてやってよかったな・・・。
思いきって電話してみてよかった。
感謝するぜ、親父。
あのまま、8月の俺たちのまま、もうずっと2度と会えないんじゃないかと心のどこかで思っていたから。

・・・そう、8月1日。
俺たち、「選ばれし子供たち」は、初めてデジモンたちと出会ったそのキャンプの日をずっと忘れないように、誰からともなく毎年顔を揃えようという話になっていた。
まだ小3の頃は、しょっちゅう電話もして、会う事もしていたタケルも、4年になり、バスケ部に入り忙しくなり、俺も誘われるままに始めたバンド〈最初は全然気がのらなかった)にいつのまにかのめり込んで、なかなか連絡も取れなくなってしまっていた。
夏に会った時点で、既に3ケ月ぶりぐらいじゃなかったか?
急に背も伸びて声変わりもはじまっちゃって・・と春くらいに確かに言ってたけど、まさかこんなにでかくなってるなんて思いもしなかったから。
俺の知らない声で、「お兄ちゃん、ひさしぶりー」と恥ずかしそうに言うタケルに、一瞬、声がかけられなかった。
嘘だろ・・・?という思いと、言葉にできない、ならない複雑な思いと。
皆がいっしょだったから、それでも平静を装って「でっかくなったなあ・・」とか言ってはみたが、内心ひどく動揺していた。
皆が一緒でよかった。
2人きりだったら、ずっと固まったままだったろう。
知らないうちに何かを失ってしまったような、後悔と切なさとやりきれなさと・・・。

・・・・ちいさいタケルは?
   どこに行っちまったんだ?
   俺のタケルは?

   ・・・・おまえ、いったい誰だよ?

そんな自分の気持ちに混乱していて、その日はなんとなく、ほとんど話すことはできなかった。
タケルの方も、それ以上話しかけてくることもなかったから、回りが変に思うくらい、俺たちはよそよそしかっただろうと思う。
もっと会っておけばよかった。
こんなに急に大きくなるなんて思わなかった。
もっと、あの小さいタケルにふれていたかったのに。
もっとずっと、この腕の中にいてくれるものだと思っていたのに。
俺は馬鹿だ。そんなこと在り得ないのに。
小さいままでいてくれるなんて、そんなことは絶対ありえないのに。
いくら自分に言い聞かせてもすぐに心の整理がつくはずもなく、俺は堪らない、絶望的な気持ちをどうすることもできなかった。
だから、タケルの気持ちとか、考えてやる余裕もなかったんだ・・・。
そのまま、恒例のうちへの一泊も、どんな話ができたのか、まったく覚えてはいない。
翌朝になって「午後から友達と約束があるから。もう帰るね」と言われた時は、正直ホッとした。
とにかく一人で落ち着いて、心の整理をつけたかったから。
駅まで見送って、「じゃあな・・」と手を振った。
その手を見て、「うん、また」と背を向けたタケルの、一瞬だけ見えた横顔はひどく哀しそうで・・・。
家に帰ってから、ひどく落ち込んだ。
寂しそうにしていた・・。
背中が、小さい時よりずっと小さく見えた。
本当は午後から約束があったなんて、嘘だったんじゃないのか?
俺の態度に傷ついたんじゃないのか?
そういうの、アイツ、自分の中に溜めこんで、絶対言わねえから。
・・・それでも、夏休みの間には島根に一緒にいく計画があったから、その時にフォローできると信じていた。
今度のことは突然だったから驚いただけで、心つもりさえあれば、何も、そんなに動揺することもない。
ゆっくり時間をかけて、一緒にいられれば、離れていた時間もきっと埋められる。
デジタルワールドで、そうだったように。
けど・・・。
約束の1週間前に、突然ばあちゃんが倒れたと連絡が入り、その望みは無残にも打ち砕かれてしまったのだ。
俺は、そこで初めて深い後悔の念に刈られ、とにかくこのままではいけないと、数回、タケルに思いきって電話を入れた。
だけど、もう遅かった。
タケルはまるで、そんな俺を拒絶するかのように、一度として俺に会おうとはしなかった・・。
・・・・? どうして、今日は来てくれたんだろう・・?

「お兄ちゃん?」
「へ?」
「どうしたの。ぼんやりして」
「え・・・い、いや」
「休憩だって。15分間」
「休憩?」
はっとして辺りを見渡すと、どやどやと人が席を立って動き出している。
2部に入るまで、休憩時間があるらしい。
なんだか、何を見てたんだか、見てなかったんだか。
演技に夢中のタケルの表情しか覚えていない。
客が動き出すのと同時に、セットが新しく運び入れられ、手早く組み立てられていく。慌ただしい様子に、坐っているのも申し訳ないという感じがして、俺は立ちあがって、くいと親指で出入り口の方を指差した。
「外出るか?」
「うん」
うなずくのを確かめて、混み合っているテントの狭い出入り口を先にたって歩き出す。押しあいへしあいの状態に閉口しつつ、ふと心配になって後ろを振りかえると、人の波に押し戻されて、肩をぶつけられているタケルの姿が遥か後方に見えた。
思わず、「タケル!」と呼んで、手を延ばす。
そして、その手を掴んで自分の方に引き寄せた。
「はぐれるぞ」
「あ・・・うん」
言って、掴んだ手をそのまま引いて、テントの外へと脱出する。
出るなり、はあ・・と思わず2人一緒に息を吸いこみ、顔を見合わせてくすっと笑った。それから何か言いたげに、タケルが頬を赤らめて自分の手をちらっと見る。
? なんだよ?
同じように視線を落として、はっとなった。
手、握ったままだ。
「あ・・・」
しかも、いつのまにか、指までしっかりと絡めてるし。
「あ、ああ! 悪い」
言って、慌てて手を離す。
「ううん」とかって、赤くなってうつむくなって。
こっちまで、なんか照れ臭くて、つられて赤くなっちまう。
指の感触が手の中に残ってる・・。
・・・・・手、ちいさいな。
まだ、俺の手の中に入るくらい。
「ごめんな。痛かったか?」
「え! ううん!」
そっと赤くなったタケルの手を、俺の両手の中に掬い上げると、慌てて首を振って否定する。
なんとなく、名残惜しい気がして手が急に寒くなった気もして、上着のポケットの中に手をつっこんで、それから「ああ・・」と小銭を取り出した。
「ジュースでも飲むか?」
聞くと、うんとうなずく。
自販機の前まで行って、金を入れてから聞いた。
「何、飲む?」
「あ・・と。じゃあコーラ」
と、タケルが言い終わらないうちに、俺の指が勝手に動いて、ガタン!と缶が落ちてしまった。
「あ・・・」
片目をつぶってヤバイという顔をする俺に、タケルがちょっと不思議そうな顔をする。その顔が、俺が「スマン」と言って差し出した缶を見て、思わずほころんだ。
「ありがと、お兄ちゃん」
言って、ぷぷっと吹き出す。笑うな・・。
「おまえ・・炭酸飲めるようになったんだ?」
「飲めるよ? 前から飲んでたでしょ。でも、いいよ。今も好きだから。オレンジジュース」
だって、おまえ、いつも「僕、コーラ飲むー」とか言ってても、3分の1も飲まねえうちに「もう、飲めないよー。お兄ちゃん、飲んで」とか言ってただろ。俺はいつも、どうせそんなことだろうと思って、自分の分を、飲みたくもないオレンジジュースを買っていたんだ。そうすると、おまえは俺のを欲しがって「おにいちゃんのオレンジほしー」とか言うから、「だから、最初からこれにしておけっつったろー」って渡してやる。それがパターンだったから。
俺から受け取ったオレンジジュース、おまえうまそうに飲んでたっけな・・。
「悪かった」
目の前で両手を合わせて頭を下げると、タケルがくすくすと笑う。
「じゃあ、お兄ちゃんの分にコーラ買ってね。半分ずつしてくれる?」
「わかった。いいよ」
・・・ん? ちょっと待て。
それって、もしかして間接キスになるんじゃあ・・。タケル。おい・・・。
って、考えすぎか。しっかりしろ、俺。


休憩の時間が終わり、第2部がはじまった。 
2本のジュースを取り替えつつ交互に飲んで、缶を渡すたびに、2人の間に合った目に見えない距離が縮まっていく。・・・気がした。
「お兄ちゃん! 見て見て! すごい!」
ライオンとトラとヒョウの猛獣ショーに、俄然場内は盛り上がりを見せている。
目の前でライオンの雄叫びを聞いて、タケルが興奮したように俺の腕を取った。
こら、あんまりひっぱるなよ。ジュースこぼれちまうだろ?
とか言っても、夢中でちっとも聞きやしねえ。
けど、タケルの手が俺の腕にある、そんなことがひどく嬉しい。
象の芸たるや大騒ぎで、逆立ちを成功させると、大きな拍手が沸き起こった。
タケルも一生懸命拍手している。
・・・まだガキなんだなあ。かわいいや・・。
象の演技が終わり退場し、代わりに出てきたものに、また盛大な拍手が起こる。
すげ・・・今度はキリンかよ。
一緒に登場してきたピエロが、タケルの前に来て、皮の剥いたバナナをいくつか手渡した。
尋ねるように、ピエロじゃなく、俺を見る。
「キリンに食わせてやれって」
「あ・・そか」
タケルがバナナを持って立ち上がると、目の前まで来ていたキリンが首を曲げて、すーっと下ろして、タケルの差し出したバナナを食べた。
「うわあv 食べた! 食べたよ、お兄ちゃん!」
ああ、見たよ。よかったな。
嬉しそうにはしゃぐタケルに、うなずいて微笑む。
「かわいい・・」
おまえの方がかわいいって。
キリンの顔を撫でて(さすがに滅多に出きることじゃない)やると、満足したのか、おもむろに長い首を持ち上げる。
「かわいかったねえ」
同意を求めるように俺を見るタケルに、「ああ」というなり、タケルが俺の頭上を見て叫んだ。
「お兄ちゃん!」
「え?」
タケルの声につられて頭の上の見上げると、キリンの口からきらきら光る銀の糸が俺の上に・・・。
「うわああ!」
キリンのヨダレを間一髪でかわした俺に、場内が拍手と笑いで湧きかえる。
ったく笑いごとじゃねえよ!
「あぶなかったねえ。大丈夫?」
同じように、けらけら笑っているタケルを、めっと睨みつけると、「ゴメン」と舌を出して首をすくめる。
ま、いいけどな。おまえがそんなに笑ってんなら。
それから、お約束の鉄球の中を走り回る2台のバイクに、兄弟して本気で興奮して、その後ピエロのショーへと続き、空中ブランコへと突入する。
サーカスも終盤のクライマックスとあって、大変な盛り上がり様だ。
なるほど、間近で見るとさすがにすごい。
「あのね」
感心してる俺に、タケルがちょんちょんと俺の腕を突っつく。
「ん?」
「僕もしたことあるよ。空中ブランコ」
「へ?」
「スパイラルマウンテンでピエモンに追いかけられた時」
「・・・・・俺、知らないぜ?」
「お兄ちゃん、人形にされてた」
「あ・・・・」
やなこと思いさせるなって。
「すげえじゃん」
「うん」
「そういや、あの時も、おまえ一人でよくヒカリちゃん守って頑張ったよな」
言って、くしゃっと髪を撫でてやると、嬉しそうに頬を染めて笑った。
・・・ああ、そうか。なんだよ、俺に誉めてほしかったのか。
いくらでも誉めてやるよ。
何たって、俺の自慢の弟なんだから。
そうこうしているうちに空中ブランコも、下に張ってあるネットにブランコから、それぞれがダイビングする形で終了し、華々しくサーカスは閉演した。
なんのかんの言いつつ、結構興奮して見ていた自分に気づいて、内心苦笑する。
まあいいか、実際楽しかったしな。
「おもしろかったね」
「ああ、意外にな」
「お兄ちゃん、結構入りこんでたよね」
「おまえこそ、思い切りコ―フンしてたくせに」
言い合って、顔を見合わせてふふっと笑う。
また出入り口には人の波が押し寄せ、さっきほどではないけれど、やはり押しあいへし合いにはなっている。今度はさっきみたいなことがないように、俺は最初からタケルに手を差し出した。
「ほら」
目の前に差し出された俺の手を、赤くなってじっと見つめてタケルが、おずおずと自分の手を差し出す。その手をきつく握りしめてしまわないように気をつけて、引き寄せて歩き出す。
手をつなぐなんて、もうそれこそ小さくはないんだから恥ずかしいに違いない。
けれど、こんな人混みで見失っちゃかなわないからと、自分に言い訳をして、手をつないだまま外に出た。
テントの外に出ても、そのまま、手をつないだまま、タケルの方からも離そうとはせず、サーカスのノボリの立っている道を、タケルの歩調に合わせながら、ゆっくりめに歩く。
無言で、しかもお互い顔を赤らめたりして手をつないで歩く様は、なんだか初デートの帰りの恋人どうしのようだ。
兄弟で、しかも男同士だし、変に見えるといえばそうだろうが、この際、タケルから手を離すまではつないでいよう。と、そう思った。
このままでいたい、せめてもう少し。
こうしていたい。
ふいに、タケルの足がぴたりと止まった。
「タケル?」

novelニモドル
ニモドル
ニツヅク