DEAR MY JEWEL (前編)




はっきり言って、その日オレはすこぶる機嫌が悪かった。
というより、実際はその日だけではなく、数日前からというのが正しかったかもしれない。
自覚というものがなかっただけで。
出所のはっきりしない、奇妙な苛立ちを抱えていた。



今から思えばちょうど一週間あたり前から、アイツらの様子もおかしかった。
とにかくオレが、『HONKY TONK』でコーヒーの一杯でも飲んで、さあパチンコでも行ってくっかーと言おうものなら、夏実と銀次が示し合わせたように、「がんばってね、蛮さん!」だの「オレ、大人しく待ってっから、ゆっくりやってきていいよ、蛮ちゃん!」などと言い、店からまるで追い立てるように放り出しやがって。
いつもなら「またですかー?」とか声を合わせてシブイ顔をしやがるっつーのに、いってえどういう了見よ?と、まあ、普通は思うじゃねーか。
しかも、ボロボロにスって、とっとと店に戻りゃあ、銀次のヤローは、いつのまにかちゃっかりカウンターの中に入ってて、客がいねーのをいいことに、夏実となんか嬉しそうにくちゃべってやがってよ。
オレが帰ってきたのに気づくと、「あ、早かったね!」とかちょっと慌てた様子でカウンターから飛び出してきやがる。


・・なーんもねえと思う方が不自然だろが。
別にいーけどよ。
テメエ、カノジョ、欲しがってたんだしよ。
だいたい、可愛い女の子にゃ目がねえクセに、いつも「いいヒト」止まりで相手にされなかったんだもんなあ。
・・よかったじゃねーか、夏実だったら似合いだ。

けど。
もし、マジで付き合うってんなら。
奪還屋なんて、アブねーことさせてていいのか。
もっと、まっとーな仕事つかせねーといけねんじゃねーのか。
なんて。
オレは、アイツの肉親でもねーのに、そんなアホなコトをぼんやり考えていた。
その時はまだ、自分が苛立ってることにすら気づいてもなく。
うまくいきゃいーのによ。
フラれたりすっと落ち込んで、後で面倒見るオレが大変だからよ。
てなことを心配していた。
パチンコの後、阿呆みたいにボケッとそこいらで時間を潰してやったりもした。
気をきかせてやってるっつー、めずらしく、いいダチのフリでもしてみたかったのかもしれない。
人並みに。

だが。
自覚がついてなかっただけで、思いの外、僅か一週間でその苛立ちはもうかなりピークに差し掛かっていたらしかった。



はっきり言って、バレンタインなんてもんは、あるのはそりゃあ知ってはいたが。
自分に縁があるとかないとか、そういう考えにすら及ばねえくらい、オレにとってはどーでもいい日だった。
対岸の火事。
例えは悪いが、まあ簡単に言や、そんなところだったろう。



その日も、『HONKY TONK』に来るなり銀次はソワソワと落ち着かず、軽い昼食を食べ終わるなり、とっととカウンターの中に入っていき、夏実となんだかイチャついてやがった。
いつもはオレのいねーとこでコソコソやってやがるのに、えれえ今日は大胆じゃねーか。
そう思っていた所へ、タイミングよくか悪くか店の扉が開いた。


こんな日に、妙な顔ぶれだ。
絃使いに、猿回し。
何しに来たんだ、テメーら。
なんか聞くのも億劫で面倒で、一瞥くれただけで放っておくと、銀次が気がつき、「あ、士度にカヅッちゃん!ひさしぶりー!」とカウンターの中から声をかけた。
それでも二言三言やりとりしただけで、どうもヤツらの相手どころではないらしく、夏実とゴチャゴチャやってやがる。

・・・・・何やってんだ?

思ったと同時に、猿回しがその銀次たちの様子を見て、カウンターのスツールに腰掛けながら、不思議そうにオレに聞きやがる。
「なんだアイツら・・。いつのまに、そういうコトになりやがったんだ?」

オレが知るか。
本人に聞きゃあ、いいだろう。

シカトしてると、絃使いが波児にコーヒーを頼んでから、軽くため息をついて言った。
「そういうコト・・ね。そうか・・。銀次さんにもついにコイビトができちゃったんですねー」
「やけに淋しそうじゃねーか、花月」
「いや、そういうワケじゃないけど。銀次さんがシアワセになってくれるのは僕も嬉しいことだしね。まあ、淋しいっていうんなら、僕より美堂くんの方じゃないんですか?」
「・・・・オレが、何だって?」
猿回しの向こうから、覗き込むようにしてオレを見てやがる絃使いを、猿回しごと横目でジロリと睨む。
その様子に、猿が、”やれやれ”というように肩を竦めた。
「なるほどなー。銀次にコイビトが出来て一番淋しいのは、そりゃあテメーだわな、蛇ヤロー。ましてや、テメーにゃ、バレンタインにチョコをくれる女もいねーんだしよ」
勝ち誇ったような言い方に、心底ムッとして言い返す。
「ハ! 何を言うかと思ったらよ。嬢ちゃんに、お高えーチョコでも貰って餌付けされて、それが嬉しくてこんなトコまで自慢しに来やがったのか。墜ちたもんじゃねーか、元VOLTSの四天王とやらもよー。すっかり牙抜かれちまって情けねえこったぜ」
「なんだと、テメエ!」
「でもって、そっちのカマ男の方はチョコ貰うっつーより、大方サムライ君あたりに手づくりチョコでもプレゼントしたんじゃねーのかあ? ゾッとする図だよなあ、ったく」
「いやですね、美堂くん。いくら何でも、男が男にあげるワケないじゃないですか。第一、僕は、ちゃんとレンちゃんに貰いましたしね。貰うアテもない貴方と一緒にしないでくださいよ」
やんわり受け答えているものの、目つきはすげえ鋭い。
陰険なヤローだぜ。
「あー、そうだよ、モテねえ男の僻みつーんだよなあ、そーゆーのってよ!」

明らかに喧嘩を売ってやがる(実際はコッチが売ったのを買いやがったんだが)猿と絃使いの話も、もうその時には、オレの耳にはちっとも聞こえちゃいなかった。
うるさげに猿回しと絃使いから視線を外し、たまたまカウンターの奥に目をやったオレは、その瞬間を見てしまったのだ。
嬉しげな夏実が銀次にきれいに包装された小さな箱を手渡し、銀次はとたんにぱあっと頬を染めると、本当に心から嬉しいという顔でそれを受け取った。


・・・・そっか。


よかったな、銀次。
やっと、彼女が出来たじゃねーか。
これで、晴れて、両想いってヤツか?
テメエのそんな嬉しそうなツラ見てたら、バレンタインとやらも悪くねえもんだと、そんな風にも思えてくるから不思議だぜ。









ゲットバッカーズは・・・。

解散だな。





守るもんが出来たオマエに、こんな危ねえ仕事、
やっぱやらせておくわけにゃいかねーよ。




幸せになれ、銀次。
そういうのが、テメエにはきっと似合ってる。
好きな女が出来て、コイビトになって、デートでもして。
そういう、あったけー雰囲気のが、きっとテメエには似合うんだ。
こんな裏家業で食ってるより。
まっとーな仕事でも探して、よ。



思いつつ、同時にひどく落胆している自分にも気づく。

そっか・・。
オレは、またテメエが、どーせフラれるんだろうとタカくくってたんだ。
フラれて、オレんとこ来て「蛮ちゃん、オレ、フラれちゃったよ〜」とか言って泣きついてくるのを、頭でも撫でて「ヨシヨシ。またテメエに合ったいい女が見つかるからよ」とでも言って慰めてやろーと。
期待してたわけだ。
ひでーな・・。
そこまで墜ちたかよ。美堂蛮。
そこまで、血も涙もねーとは。
自分で呆れる、ぜ・・。







一瞬の間に、そんなとこまで思考が巡っていたらしい。

なにやら、絃使いと猿マワシが頭の上でゴチャゴチャうるせー。
ああ、苛つく!

「うるせえんだよ、テメエら!!」


やおら、立ち上がって怒鳴りつけた。
「なんだとぉ! やろうってのかよ!」
「上等じゃねーか、猿回し! 色々テメエにゃムカついてんだ。いい加減、決着つけねーとな!」
「そりゃ、こっちの台詞だ! オモテぇ出やがれ、ヘビ野郎!!」
「ちょっと、士度、やめろよ・・! 美堂くんも、いい加減にしてください!」
「離せ、花月!」


そんなすっかり険悪な雰囲気になっているにも関わらず、それを止めるという風でもなく、というか、その状況もまるで目に入っていないような顔で、笑みさえ浮かべて、銀次がカウンターの中から飛び出してくる。


「蛮ちゃん!」

うるせえ、止めるな!と怒鳴ろうとした瞬間。
オレは、固まった。
銀次が、自分に差し出しているものに視線が止まる。
「蛮ちゃん! これ!!」
力いっぱいそう叫んで、銀次は尚も両手で大事そうに持った、きれいにラッピングされた小さな箱を、頭を下げるようにしながらオレに突きつけた。
「あ゛あ゛!?」

コレ・・が、何だっての。
どうしろってんだ?

銀次が何を言っているのか、しようとしているのか、オレには理解できなかった。
そして、その見覚えのある包装の箱を見て、オレはサッと顔色を変えた。
こいつは、さっき、夏実が銀次に渡したものじゃねえか。
銀次も、これをさも嬉しそうに受け取って・・。
それを何で今、オレに差し出している?

一瞬で、状況を繋ぎ合わせたオレの推測はこうだった。
猿回しも、絃使いでさえ、チョコをもらったとかぬかしてオレを煽って、(煽られたつもりはないが)それにオレが腹をたてて険悪なムードになったのを、このバカはたった今夏実から貰ったチョコをオレにくれてやることで、この場をなんとか収めようと、そう思ったのか?
・・・・・・・と。


ムカついた。

女の真心を踏みにじる行為も許せないが、オレを馬鹿にしているとしか思えないその行動そのものが。
テメエはオレを、バレンタインにダチが貰ったチョコを恵んでもらうような、そんな安けねえ情けない男にしてえのか!

バカにすんじゃねえ!!


「いらねーよ」
「えっ」
「んなもん、いるか」
「え、だって、蛮ちゃん。あ、コレね。オレがさ」
夏実ちゃんから貰ったチョコなんだけど、譲ってあげるよ、蛮ちゃんに。ってか?
「馬鹿か、テメエは!」
いくら馬鹿でも、限度ってもんがある。
怒鳴るオレに驚きつつも、笑顔になってまだ何か言おうとするのが余計癇にさわる。
「つまんねーもんちらつかせてねえで、テメエはすっこんでろ!」
「蛮ちゃん・・!? あ、あの、けど」

「いらねえっつってんだろ!!」

なおも必死の顔で笑おうと努めながらもにじりよってくる銀次の手から、オレは力まかせにその箱をバシ!と払い飛ばした。
勢い余って、箱の角が銀次の頬に細いキズをつくって吹っ飛んで行き、カウンターで跳ね返って店の壁にぶち当たって落ちた。

「あ・・・・・」
見開かれた瞳が、震えた。

夏実が悲鳴を上げて、カウンターの中から飛び出してくる。
スローモーションのようにそれが見え、同じくスローのような動きで、銀次が、落ちたチョコを夏実が拾い上げるのを肩越しに振り返り、涙のたまる目でオレを見た。
琥珀色の瞳が、ひどく哀しそうにオレを映した。

「蛮ちゃん・・・! ひどいよ・・!」
「美堂! テメエ、なんてことしやがんだ!」
猿回しが口を挟むが、テメエなんぞ既にオレの眼中にねえ。
真っ直ぐに見つめてくる、銀次の瞳だけを睨み返す。

「ひでえのはどっちだ! 野郎にんなもん恵んでもらって、それでオレが喜ぶとでも思ってんのか、テメエ!」
「恵む・・・って何・・」
「オレは別にそんなもん欲しかねーし、オレにゃ無関係のことだから、テメエが誰を好きだとかどーとか、どうでもいいけどよ! テメエのそういう態度はムカつくんだよ!」
いくらアホでも、状況だけじゃなく、人の気持ちも考えて動きやがれってんだ!
と、そういう意味のつもりで言った。

だが、その言葉がどういう意味で銀次の耳に届いたか、オレはちっともわかっちゃいなかった。


銀次の目から、涙が溢れた。


・・・なんで、泣く?
悪いのは、テメエだろが!
泣いて、同情でも買おうってのか?

「蛮ちゃん、オレ・・」
「何だ」
「喜んでくれるって、思ってた・・・。ごめん」
「喜ぶわけ、ねーだろが」
冷たく言われて、肩がびく・・!と震える。
そのまま俯き、涙を手の甲でぐいっと拭った。

「でも」

言いながら顔を上げ、もう一度真っ直ぐにオレを見る。

「オレ・・!」

なんだかいたたまれない気分になり、その目をずっと見返していることができないで、フッと視線を反らせて銀次から背を向けた。

その瞬間、銀次が叫んだ。
心の底から絞り出したような、そんな精一杯な声で。


「オレ…!! 蛮ちゃんが、好きだよ!!」




背中から、超強力な電撃をまともにくらったような、そんな衝撃があった。


な・・・!
何、つった、今。


驚いた顔のまま、ゆっくりと振り返ろうとするのとほぼ同時に、銀次が唇を噛み締めて、そんなオレの横を走り去っていく。
店の扉を壊れそうな勢いで開き、小雨の降る中へと飛び出した。


ぎ・・・んじ・・・?
テメエ・・・。
どういうコトだ?



呆然としていると、オレが叩きつけた小箱を拾った夏実がその包みを急いで開いて、はっとしたようにそれを見つめた後、つかつかとオレの前に歩み寄り、無言でそれをオレの目の前に突きつけた。

箱の中ではハート型をしていたらしいチョコが、粉々に割れている。

アイツの心みたいに。


「蛮さんのバカァ!!」
いうなり、夏実の手が振り上げられ、オレの右頬の上でパシッ!という音が響いた。
「ひどいよ、蛮さん・・! 銀ちゃんが、かわいそうだよ!!」
口をへの字に曲げて泣くのを一旦堪えてから、叫ぶようにそれだけ言うと、夏実はわあぁぁとその場にしゃがみこんで泣き出した。


な、なんだよ、ソレ。
どういうことだ・・?
何でテメエまで泣くんだよ。




「銀ちゃん、一生懸命だったのに・・・! 蛮さんに自分が作ったチョコあげたいんだって、何回も何回も失敗して、指、火傷して水ぶくれ出来て、それでも「きっと喜んでくれるよね?」って、本当に本当に一生懸命だったんだよ・・!? それなのに・・・ ひどいよ・・・!」


夏実が、悲鳴のように泣きながら言った。




それでも未だ状況が飲み込めないオレは、呆然としたまま無感動に、
泣きじゃくる夏実を宥めてやることも出来ず、
ただ、見下ろしているしか術がなかった…。






つづく・・。










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