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10月17日(月) 夕方

 新津市の隣には小須戸町があったのだが、新潟市に合併される際、同じ区に割り振られた。
 ところが、新しく区になる地域の住民の97パーセントが、区名は新津区で納得したのに、旧小須戸の住民だけが「新津区は認めない」とワガママを云いだした。本心が小須戸区とすることにあるのは明白だったので新潟市はその要求をもちろん却下した(作者注 ここまでは、数字を含めて実話です)ところ、小須戸の住民は反発を強め、新津地区に有形無形のテロ行為を行うようになり、ついに2年前、新潟市から攻撃命令が下った。小須戸を消せ、と。
 旧小須戸は、西は信濃川を挟んで南区(旧白根市)に面し、南は田上町、北・東は旧新津市に面している。ほとんど川を背にして新津にぐるりと囲まれている状態なので、橋を封じてしまえば旧小須戸は孤立する。新津区議会は南区・田上町と連携して橋を封鎖し、刈り入れの済んだ田んぼに防御線を敷くと、機神を投入した。
 何しろ、小須戸の住民は区全体の3パーセントしかいないのだから、抵抗は無意味。たった一機の神――公式発表だが――によって、新潟市への叛逆を企んだ小須戸の賎民は全滅した。女子供年寄りに至るまで殺し尽くされ、2年たった今ではヒトの住んでいた形跡は残っておらず、すっかり広大な農地と化している。
 旧小須戸地区の北部に接していた辺りにある、少し大きめの古本屋が拓海の目的地だった。
「いらっしゃいませー」
 ドアを抜けると、レジにいた店員の声。長い髪のお姉さんに紙袋を渡しながらなので拓海の方はあまり見ていない。店内を見渡すと、新津学園の制服に身を包んだ女の子(アホ毛つき)が立ち読みしている。
 あんなところからここまで来るのか、と思いながらお姉さんとすれ違い、レジに向かう。着流しの上からひっかけているエプロンに「店員」と書いてある店員さんが拓海を見た。
「オーナーか店長さんいるかな。拓海が来た、と伝えてほしいんだが」
「えーっと?」
「拓海が来た、で判る」
 静かに繰り返した。店員は携帯をエプロンのポケットから抜き出す。
「オーナー? たくみ、というひとが来た……」
 その声が終わらないうちに、お姉さんの出ていったドアからオーナーが入ってきた。
「おう、来たか」
 御年とって82歳だが、まだまだ元気で背筋もしっかりしていた。古本屋四季書店のオーナー、十五夜冬春。どうも、と握られた手をしっかり握り返す。携帯をしまいながら店員が、
「オーナー、知りあい?」
「ひ孫だ。奥にいるから、ゆきでもなければ誰も通すな」
 店員さんに一礼して、拓海はレジの奥を通った。
 冬春は紫明や七海、沙織などにジョローチとしての基礎を文字通り叩きこんだ人物で、年齢的に機神こそ動かせなくなったものの、戦闘力としては拓海ではまだまだ足下にも及んでいない。拓海は面識がないのだが息子は死んでいて、孫娘のゆきさん(店長)とこの店を切り盛りしながら余生を過ごしていた。
「バイト、雇ったんですね」
「純か? バイトじゃなくて正規の店員だ。トシは確かお前と同じだが、がっこうには行ってなくてな」
 そういえば、エプロンの胸元には「てんいん」と書いてあったか。ハイスクールに行けと事実上解雇された拓海としては納得しかねる扱いだった。冬春、軽く手を振る。
「そう怖い顔をするな。いずれお前の下で働く奴なんだから」
「どーして僕の保護者どもは、そろいもそろって僕の将来を勝手に決めるンですかね」
 半ば以上本気でぼやいた。沙織といい、信士といい、保孝といい、祖母といい。マトモなのはゆきさんくらいか……と思うのだが、そのゆきさんの姿が店になかったな。
「ゆきなら亭主が入院してな。しばらくは帰れないと云ってたから、まぁ俺だけで我慢しろ。保孝は元気か?」
「元気と云うか、解雇されましたね」
「……なに?」
 冬春の青い瞳が、ジョローチ時代の殺気を取り戻した。
 簡単に、ただし誤解がないよう事情を説明すると、冬春は携帯を抜きだし、獣道保孝の携帯にかける。
 間があって、つながった。
「年寄り待たせるとは偉くなったな、保孝」
『時差です! イタリアまでの時差なんです!』
 こっちまで悲鳴が聞こえてくる。
「それはさておこう。拓海を放逐したそうだな、本人から事情を聞いたぞ」
 紫明の頭が上がらない相手には、必然的に保孝でも頭があがらない。現実問題として"黒き疾風"というジョローチは『獣の穴』くらい壊滅させかねないのだ。必死こいて弁解釈明しているのが聞こえていたが、放置しておく。
 そーっとドアが開いて、店員がお茶を持ってくる。しーと指を立てると、うなずいてお茶をおいていった。
「云い分はよく判った。今後拓海に何かあったら、お前とお前の娘は膝から下がなくなると思えよ」
「クロエさんに手を出されるようなら、冬春氏相手でも抵抗させてもらいます」
「だそうだ、お前ひとりで地獄に堕ちろ」
『しませんしません! もう二度と粗末には扱いませんから!』
「おう、長生きしたかったらそうしろ」
 携帯をソファに投げて、不満そうにお茶をすする。
「まったく、少し大きな組織を率いた途端に調子づきおって。まだまだ未熟だというのを自覚できんのか」
 小うるさいジジイという印象の冬春だが、ジョローチとしての名声なり悪名なりはかなり高い。現役引退から20年経っていたものの、極東ロシアにはいまだに当時の冬春を超えるジョローチは現れていなかった。
 ジョローチは戦士であり、騎士であり、そして将でもある。だが、その全てが国なり傭兵団なりに所属しているわけではなく、国に属さず市井にあって、魔族と戦いながら後継者を育て、引退したジョローチもいる。そして、そんな中には、国軍のトップジョローチに匹敵、あるいは凌駕する実力の持ち主も隠れているのだ。
 冬春はその典型だった。故国にいるとうざったく挑戦者やら弟子入り志願者やらが来るモンだから、辺境の島国で名を変えて隠居している。ウラジミール・カミーナヴィッチ・フースキー、黒き疾風と呼ばれた伝説の暗殺者。
「……フィーナは、どうしています?」
 話を逸らす。紫明には義兄弟の契りを交わしたハンというジョローチがいて、ハンが兄、紫明は弟という扱いだった。父の義兄の娘なのでいとこというところだが、本人は拓海を兄と呼んでいる。
 冬春は、ご機嫌そうに白髪頭を振った。
「強くなってるよ。フィーナが男だったら、お前どころか親父を超えていたかもしれん」
「僕はともかくあの星を超えるのは、女には無理ですか」
「できるとしたらお前だろうと俺は見ているがな。お前の弟では、能力ではなく性格的に無理だし」
 紫明かハンが長生きしていれば、冬春が拓海に執着する必要はなかっただろう。だが、そのいずれも亡き今となっては、拓海か弟、あるいはハンの娘が、冬春が現役時代に騎乗していた機神を受け継がねばならない。弟は拓海よりみっつ下なのでまだ機神を動かせる年齢にはなく、今のところは拓海が最有力というところだった。
 まぶたを押さえる。
「無理ですよ。僕も弱くはないと思うけど」
「弱気になるな。そんなことじゃ弟にも追い抜かれるぞ、スペックではあっちが上なんだからな」
 けしかけられているのか放り投げられているのか、よく判らないことを云われていた。
 少し歓談してから店に戻ると、店員が小さく一礼。
「オーナーの縁者とは知らず、失礼なことを」
「いや、気にしなくていいから。僕がここを継ぐとは決まってないンだから」
「今のままならお前だから、仲良くはしておいた方がいいぞ」
「冬春氏。……ちなみに、こちら時給は?」
「720からの経験給。純は850円」
 新潟県の最低賃金が時給で715円。岩島純です、と名乗った。
「敬語いらんよ、いずれ先輩として指導してもらうんだから。聞けば同い年らしいし」
「うん。じゃぁ、よろしく」
「がっこうが落ちついたら、また来い」
 よく笑うジジイだった。ご機嫌そうにしている。
 冬春がドアまでついてくると、まだ店内にいた新津学園の女子がレジに寄る。
「純くん純くん、ここバイト募集してたの?」
「募集はしてなくて、あのひとオーナーのひ孫」
「あー、残念。ここなら本に囲まれてお給料もらえるのに」
「富永さん、そんなに楽なお仕事じゃないよ」
 だそうですよ、と視線を向けると、冬春は声を殺して笑った。
「まぁ、気にするな」
「気にしてくださいよ、むしろ」
 どーにも拓海の保護者たちは、子供の教育に無頓着でよくない。

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