前へ
戻る

10月17日(月) 午後

 新津区役所で手続きを済ませると、すでに2時を回っていた。
「……はぁ」
 タイミング悪く、区役所で祖母(七海の母)に出くわしてしまい、引きとめられたせいでもないが、シェリルには会えず、慧たちも追ってこない。
 実際のところ香久山さんちは至近距離なのだが、祖母に会ってからでは沙織に合わせる顔もないような気がして、とりあえず遅めのお昼でも……と、裏手にある食堂に向かったものの、もう遅かったようで「休憩中」になっていた。うまくいかない日はどーしてもダメダメらしい。そのまま道路を挟んだ先のバーガーショップに足をのばす。
「いらっしゃいませー」
 雨のせいで外のテラス席が撤収していて、店内は混雑していた。奥の方では新津学園の制服が陣取ってテスト用紙と額を突きあわせている。念のためガンくれてみたものの、シェリルではない。
「えへへー、わたしの勝ちだよ」
「でも、春香さんなら解答用紙で書き間違えてるかもしれないです」
「春香さんは天然さんですからねー」
 紫乃だった。明らかに紫乃だと判るアホ毛が頭頂部で跳ねている。赤ペンを手にしたままの左手がアホ毛を寝かせるが、少しするとまたすぐに跳ねた。
 どういう原理なんだろう、とか何とか思いつつレジに近づく。
「こちら、期間限定のえびたっぷりバーガーとなっております。セットですと大変お得で」
 こういう店も久しぶりだな、と思いながら店員の声を聞き流し、メニューに眼を通す。そういえば紫乃さんは
「紫乃さんはえびが大好きです」
「でしたねー。気づいてやがりましたかオラ!?」
 えへへー、と横で紫乃が笑っていた。アホ毛が嬉しそうにぱたぱた揺れている。
 念のためと確認したが、こっちを見ているテーブル席の3人は顔見知りではない。おっとりした感じのと、眠そうな目をしたのと、明るい雰囲気なのと。
「4人ですか」
「はい、4人ですー」
「えびたっぷりバーガー、セットひとつと単品で4つ。あと椅子をひとつ」
 代金と引き換えに4番の番号札と椅子をもらって、紫乃たちのテーブルに連行される。強引さで云えば往年の綾にも引けを取らないのが紫乃だった。腕を組んだままテーブルに連れられ、持ってきた椅子は紫乃の隣に配置される。
「相席させていただきます」
「どーぞー。紫乃ちゃんにカレシがいただなんて初耳だねェ」
「ボクというモノがありながら……よよよ」
 おっとりした感じが挨拶を返し、眠そうなのがよよよ……とボケてくれた。紫乃が満面の笑顔で、
「いかにも、紫乃さんの彼氏ですー」
「紫乃さんもボケない」
「離れ離れになってた幼馴染なんて、もう彼氏と同義ですー」
「それで彼氏扱いなら、僕、7人くらい恋人いるだろ」
 慧とこずえ姉妹と綾と赤音と紫乃と……きずな。東京のは死んだから数に入らないし、秋田のも十数年前に会ってそれっきりだから除外していいだろう。
「紫乃さんはそれでもおーらいです」
 えへー、とのろける表情でのたまった。このヒトのこーいうところ好きだわと素直に思う。まぶたを押さえずに、苦笑しながらアホ毛の揺れる頭をなでる。
「ともあれ。紫乃さんの幼馴染で、天牢拓海です」
「紫乃ちゃんのクラスメイトで、捷美春香。よろしくねー」
 おっとりしたイメージ通りのほんわかボイスだった。眠そうなのが、
「ボク、大鷹空です」
 大鷹の姓には聞き覚えがあったが、気にすることでもないだろう。
「瑞原立夏です」
 で、残る明るいの。セットのアイスコーヒーだけ先に来たので紫乃に腕を離してもらう。
「紫乃さんの云った通り、しばらく新津を離れてて、昨日帰ってきたところでね。引っ越しの手続きしてたら時間かかったから、腹ごしらえでも……って思ったら、この見慣れたアホ毛がぴこぴこと」
「アホ毛って云うなですー」
 不満そうな声で、だが表情は綻ばせた。頭を除けば悪い娘ではないのだ。テーブルに広げているプリントを見るに、あの頃同様、頭は除かねばならないようだが。
「あさ、慧さんたちから聞いて驚いたです。こんなところで会えるとは思わなかったです」
「慧たちとは、一緒にいなかったんだ?」
「夜に、赤音さんと行くつもりだったです」
 紫乃のではなく猛火さんちの立場上、赤音より先に拓海に会うことは許されない。そうと知らない春香と立夏が、
「割とカッコいいよね」
「はしゃがないの、春香。男に餓えているみたいでみっともないから」
「うちのがっこう男の子いないンだから、ちょっとくらいいいじゃない」
 紫乃がご機嫌なのはいつものことだったが、男連れというちょっとした優越感もあるようだった。空だけは、やや読めない笑顔のままで紫乃を眺めているが。
「えびたっぷりバーガー、お待たせしました」
「あ、はいはい」
 店員さんが、トレイにえびバーガー5つとポテトとオニオンフライ(セットメニュー)に、氷も浮いた水のグラスとウェットティッシュのボトルを乗せて持ってきた。4番札と引き換えに受け取る。
「ほい、紫乃さん。みなさんもどうぞ」
「いただくです」
「いいんですか?」
 遠慮したのは立夏くらいで、春香はすでに満面の笑顔で手に取っている。空も手を伸ばしていた。
「どうぞ。紫乃さんのお友達なら、僕も仲良くさせてもらうことになりそうなので」
「じゃぁ、遠慮なく」
「いただきまーす」
 わいわいとはしゃぎながら、揚げたてのえびカツを挟んだバーガーに喰いつく。確かにぷりぷりのえびが詰まっていた。少し油が効きすぎている感もあるが紫乃には好評のようで、眼を細めてご満悦の様子。
「おいしいです」
 紙ナプキンで唇をぬぐってからポテトもかじる。ホットにすべきだったかな、とか思いながらコーヒーをすするが、フライしていなくてもたまねぎはあまり好きでない。
「紫乃さん、たまねぎも食べる?」
「好き嫌いはよくないです。食べられないなら、えびの代わりに挟むといいです」
「で、そのえびは?」
「紫乃さんがいただくですー」
「云うと思った」
 苦笑ではない笑顔の拓海に、春香は微笑ましいものを見る母親のような表情になる。実際に、やや足りない面はあるものの、紫乃は言動が幼い分微笑ましい。慧やきずなには及ばなくても、拓海のことを好きでいてくれるひとりだった。
 空が(拓海の)ポテトをつまみながら、
「それで、てんろう……?」
「拓海でいいよ。姓は好かない」
「じゃぁ拓海クンは、紫乃さんと離れ離れでどこに行っていたですか?」
「イタリアに母の実家があってね」
 正確には、拓海の祖父にあたる、七海の父がイタリア人。が、七海が出海原信士と結婚しなかったのが原因で祖父母が離婚したため、さっき区役所で会った祖母は七海と仲が悪い。……と拓海は聞いているが、なにしろ拓海に教えたのが、七海のためなら機神を駆り立て無辜の民衆でも虐殺する信士その人なので、信じていいのか判断しかねている。
 とりあえず、拓海も七海同様に相手をしないことにしていて、何やらわめかれたがスルーしていたら娘(七海の妹)まで呼んだので、警備員にお引き取りしてもらった。
「で、父が死んだので、母と一緒に実家に帰っていたんだけど、帰れるめどが立ったので、僕だけ先に帰ってきた」
 対外的にはそういうことにしておけ、とは沙織と信士の協議の結果。赤音辺りまではちゃんとした事情を知っているが、部外者の空たちには聞かせても仕方ないので、紫乃にはあとで改めて話すことにする。
「みなさんは、紫乃さんとどーいうお友達?」
「ボク、五泉の出なんです」
 眠そうな眼の奥にヨカラヌ光を宿す空がのほほんと。五泉市は新津のお隣になる。
「アンダーの交流戦で紫乃さんにこてんぱんにされちゃって、以来仲良しさんしてます」
 原則としてジョローチは、15歳以上59歳以下と規定されている。というか、15歳未満および60歳以上だと機神が作動しなくなる。なぜ、と聞かれても動かないモンは動かない。
 しかし、実際の機神ではなく筐体での演習なら中学校からでもできる。欧米では、15歳未満の子供に武器を持たせて、機神には乗せずに戦闘(演習)させることもあるが、さすがに日本ではそれが認められていない。ともあれ、筐体演習をアンダージョローチないし、ただアンダーと呼びならわす。
「紫乃さん、強いんだ?」
 昔の悪ガキっぷりを思うと、まぁ納得するところではあるが。えびバーガー食べ終わった春香がカップを手にするが中身がすでに空になっていた。立夏の差し出してきたカップを受け取ったものの中身はブラックコーヒーで、ひと口すすっただけで泣きそうになる。
「ぐみゃぁ〜……」
「実習ではトップクラス。トップは……その、頭も」
「ああ」
「納得しないでほしいですー」
 不満そうな紫乃はさておいて。目にまだ涙を浮かべていたが、春香が笑顔で、
「わたしたちは、いまのクラスで仲良くなったんだよ」
 のほほんとした春香としっかり者の立夏。かなり危なっかしい紫乃と仲良くなっても無理はないか。
 最後のポテトを手にすると、紫乃が喰いついてきた。
「あむっ」
「こーら」
 苦笑しつつ叱るが手は離すと、紫乃はポテトを唇に挟んで、そのまま眼を伏せ顔を近づけてきた。
「んー……」
 気配を殺しながら空と席を替わる。反対側に喰いついた空は遠慮なくちまちまと喰い削るが、それが空だと気づいていない紫乃は眼を開けなかった。
「…………」
 ぐっ、と親指を立ててくれた。アイスコーヒーが空になったタイミングで、紫乃が後ろにのけぞる。
「ふあっ、空さん? なんでなんでですー?」
「紫乃さんの唇はボクがいただきます。んー……」
「こらこらですー」
「空ちゃんにも困ったもんだねー」
 春香がご機嫌そうに笑うが、立夏は笑わなかった。
「はいはい、ひと前だからそこまでねー」
「あうー」
 苦笑しつつ、拓海は空を止めてやった。残念そうに引き下がる空とは対照的に、紫乃は拓海の腕の中におさまってしまい、姉といっしょに店内に入ってきた石哭さんが「あら……?」と小首をかしげている。
 気づいていない拓海にお礼のちゅーを迫る紫乃の唇をアホ毛をつかんで引きとめながら、
「まぁ、僕が云うのもアレだけど、紫乃さん頭を除けば悪いヒトではないから。仲良くしてあげてね」
「ふふふ、拓海クンの許可も得たことだし、じっくり仲良くしたいにゃ〜」
「あぁーれぇーですー」
「だから、ヒト前だって……」
 ……何も云えずにいなくなった拓海を、笑って迎えてくれた旧い友がいれば、新たに出会えたひともいる。
 帰れる資格があったのか、まだ自分では判らなかったが、帰ってきてよかったとは思う。
「……うん」
 そう思う。

進む
戻る