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10月16日(日) 午後

 機神――サインユム。神がモンゴルに与え給うた、世界制覇のための兵器。
 世界各地の神話・伝説の出演者たちを模し、そして、それ相応の性能を誇るパワードスーツ。ゲルマンの雷神トールが震うミョルニルは5億ボルトの雷撃を呼び、堕ちたる罪人ホウイィ(后羿)は太陽をも射落とす弓勢を誇った。かつて『上天より世界制覇の命を享け』た大ハーン・チンギスが全世界をご統一なされた際に、主戦力とされた兵器だ。
 これに乗る者をジョローチと呼ぶ。機神を操る戦士であり、騎士であり、そして将でもある。


 裏切りの街・新発田からの電車には気をつけろ、という標語は新潟県民には常識と云える。
 人類が魔族の脅威にさらされているのに、その魔族を利用してモンゴルへの叛乱を目論み、あっさり失敗して支配下に置かれ、魔族を裏切って助けを求める、という恥知らずな真似をしでかしたのが下越(新潟県北部)地方に位置する新発田市だった。県はすでにフォローを諦めているが、そもそもあんがい平和裏に、魔族に隷属しているので、市外にはあまり被害が出ていない。
 あまり、だ。電車が通っているので、隣接する新潟市には、ときどき急進派の魔族が襲撃してきている。
 その日も、新潟駅の1番ホームについた電車から、魔族があふれてきた。
『警戒! 警戒! 新発田民を殺せ!』
 スピーカーから過激な声が流れた。鉄道警察が魔族の先兵として飛び出してきた新発田民を銃殺するが、その死体を弾よけに魔族が改めて電車から出てくる。客車一輌分のモンスターによって鉄道警察が血飛沫をあげて蹴散らされ、その後ろの改札に魔族が向かう。避難しようとした黒髪の美人さんが自動改札にひっかかって転んだ。
「きゃっ!」
 おいおい、と拓海はまぶたを押さえる。剣星ハムサドゥワニが堕天ルシファーを地獄の底の底に封じてから二十年と経っていない。大ハーンによるご聖一からおおよそ800年、世界はまだまだ平和とは云い難いようだった。
 こういうとき、自動改札は便利だと思う。券売機で買った入場券を自動改札に通して、拓海は1番ホームに斬り込んだ。美人さんに伸ばしていた魔族の手を、鞘を払った槍先で刎ね飛ばす。悲鳴を上げた魔族の顔面を蹴り飛ばして距離を稼ぐと、美人さんに右手を差し出した。
「立てる?」
「は、はひ……」
 それは、あまりに不格好な獲物だった。
 全長は目測で2メートル半、くらい。しかし、その長さの3分の1、実に80センチに届こうかという長さの、紅く塗られた刃を持っていた。
 大身槍(おおみやり)という。サイズの定義はないが刃の部分が大きい槍をそう呼ぶ。ダンビラ並みの刃を持つだけに破壊力は通常の槍を凌駕するが、大身槍の真価は外見上のインパクトにこそある。ハッタリと云われても、そんなバカでかい刃で突かれたり斬られたりしたらえらいことになる、と心理的な圧迫を加えることができるのだ。
 もちろん、実際に痛いどころでは済まない。振り向きもしないで振るった槍先が、襲ってきた魔族と新発田民の一群を一掃する。魔族こそ吹き飛ばされてもまだ生き残ったが、槍の範囲内にいた新発田民はあるいは四分されあるいは五裂されで即死していた。拓海の手を取り身を起こした彼女が目を丸くする。
「あっ……」
 が、先を亡くした腕を押さえながら、さっきの魔族が起き上がる。
 槍先が胸板をブチ抜いたのと、横合いからのマチェットが首級を刎ねたのはほぼ同時だった。鉈と見まごう分厚い刃の短剣を手にした少年は、着地すると拓海の手から美人さんを奪うように回収する。
 お似あいな雰囲気の少年だった。拓海を横目に美人さんを気遣う。
「大丈夫、あき?」
「はひ、わたしは……」
「じゃぁ、下がってて」
 ちょうどいい、と拓海は彼女を押しつけた。正直、かまっている余裕はない。
「あの、でも……!」
「僕なら大丈夫」
 応えて拓海はポケットから手綱を抜きだした。
 通常、機神は手綱のかたちで発掘される。ジョローチが手綱に殺気なり闘気なりを込めれば、その量によって機神は応える。高ランクの機神を動かすにはジョローチの側にも相応の殺気が必要で、どのランクの機神までを動かせるかでジョローチの力量はほぼ正確に判る。
 拓海の手に握られている青い手綱。Sランク、灰色のイレブンを最上位とし、それに次ぐAランクは黒か白。以下紫・赤・青……の順で性能は落ちていくが、青はDランクに相当する。どれくらいかと云えば、小さい国の軍隊なら最高位がこのくらいで、つまり、これくらいがいなければ国防には不安があるというものだった。
 拓海の右手から目視できるほどの殺気があふれ、手綱が反応した。黒いちからとなって(たとえ白い手綱でも、作動の際は黒いちからとなる)拓海に巻きついていく。苦もない表情でそれを受け入れた拓海の身体は、中世ウェールズ風の甲冑に包まれていた。盾を投げて、拓海は槍を握り直す。
「機神オーウェン・グレンダワー、参る!」
 ヘンリー4世と戦ったウェールズ最後の騎士。戦上手ながらも戦うたびに追い詰められ、敗戦の末歴史から消えた。
 それに騎乗する(慣習的に、機神を装着する動詞は「騎乗」と表現される)拓海は、アタマを弄するよりは槍を振り回す方が性にあっていた。魔族の群れに飛び込むと槍を左に右に振りまわし、次々とねじ伏せていく。形勢と士気を取り戻した鉄道警察も加わり、一輌分の魔族とそれに従う新発田民は数分で壊滅した。
 車輌の中に押し返された魔族の中から、首領格が前に出てきた。拓海に爪を向けてくる。
「タイマンか?」
 剣聖の子はニヤリと笑った。ヒトには判らない言葉で、だが魔族が挑んできているのははっきり判る。目線だけで鉄道警察を下がらせ、拓海は槍を握り直した。
『――、――』
 そして、ヒトには判らない言葉を投げかける。五眼を見開いた魔族は、二対の腕を振り上げ襲いかかってきた。
 振るわれる拳と爪を槍の柄でいなしながら、徐々に下がっていく。劣勢と踏んだ鉄道警察が銃を向けかけるが、下がるだけ下がった拓海が車輌から出ると、魔族の首領は追って出てきて、そのままドアで足を止めた。
 というか、止まった。四本の腕を大きく広げていたモンだから、その腕が列車の壁にひっかかったのだ。もちろん、それは一瞬のことですぐに壁をブチ抜くが、一瞬あれば充分だった。
 拓海の手にしていた槍が、魔族の首を前から刎ねる。
 悲鳴を上げることも許さず、飛んだ首級をさらに貫き、ホームに叩きつけて砕いた。頭部の残骸を槍先から払い、まだ立っていた残る死体を蹴り飛ばすと、客車の中で、蒼白な表情で縮こまっていた新発田民が悲鳴を上げて窓から逃げようとする。
「もういいよ」
「はっ、ありがとうございます!」
 場所を譲ると、そのドアから鉄道警察が入っていき、残余を射殺し始めた。大物はしとめたのだし、その程度の連中を討つくらいは譲らないと面子が保てないだろう。
 槍についた血と汚物を拭きながら、機神の活動を停止させる。まだ往生際の悪い奴がいるようで流れ弾が拓海にも飛んできたが、気にせずに改札を出た。コインロッカーから荷物を抜きだし、改めて新津までの切符を買う。
 ホームでの戦闘は終わっていたが、その都合で電車は止まっていた。とりあえず、遅くなるのを連絡しておくが……どれくらいかかるかは判ったモンでない。
 信越線が出る予定のホームまで歩いて、空いていたベンチに腰かける。戦闘には慣れているが、あまり慣れたくもなかった。戦闘そのものは好きではないのだから。

 拓海の父が死んだのは4年前のことだった。母は壊れてイタリアの実家に帰り、弟は婚家に引き取られ、そして拓海は、父の後を追いジョローチとなるべく修業を始めた。
 幸い、父に恩のあるジョローチ集団『獣の穴』が拓海を引き取ってくれて、下働きから鍛えてくれた。機神を動かせるトシになるまで他のことから戦闘の基礎まで仕込まれて、いざ機神を動かせるようになると、熟練のジョローチや高位の魔族相手でも互角以上の戦闘をしてのけるほどだった。
 ために、拓海は『獣の穴』を追放された。
 強すぎたのだ。いくら剣聖紫明の息子とはいえ、2ヶ月で魔族を200人(慣習的に……以下略)以上斬り捨てるなど尋常ではなかった。このままでは面子が保たれないと『獣の穴』の古株は総帥をせっつき、総帥はそれを容れた。
「クビとは云わん、ハイスクールを卒業するまで休職しろ。な?」
 拓海に、3年戦場を離れろと命じた。
 これに、拓海の直の上官がキレた。有志(わずか2名だったが)を募って『獣の穴』に退職届を叩きつけると、この上官を首魁とする傭兵団を結成し、公然と対決姿勢を剥きだしたのだ。しかも、この上官というのが『獣の穴』総帥獣道保孝の実の娘だった。
 ジョローチ業界は『獣の穴』の落ちこぼれがちっぽけな傭兵団を結成した、くらいのとらえ方しかしなかったが、拓海が単身、5年間エーゲ海を荒らしていた争乱の女神エリスを鎮圧したものだからそうも云っていられなくなった。特に『獣の穴』は「拓海を野放しにしておいたら面子にかかわる」という当初の問題に立ち返り、いっそ殺すべきかと本気で検討し始める。この段階にあっては、拓海の側にもそれを甘受する理由も必要もない。
 だが、親娘の全面対決はIJF(国際ジョローチ連盟)の仲裁で回避された。有望なジョローチの前途を潰そうとした『獣の穴』に非があると、正規の退職金に慰謝料まで支払わせ、未来永劫拓海と所属する組織の行いを妨げないことを確約させた。一方で、喧嘩両成敗でもないが、拓海にもハイスクールの卒業を命じている。
 ……というわけで、拓海は、4年前まで住んでいた新津に帰ってきた。
 4月にジョローチとしての初陣を飾ってから、まだ半年のことだった。

「あの……」
 控えめな声に意識を取り戻す。イタリアから日本まで地球半周の空路のあとで、東京の叔父のところで一泊する予定が現地でトラブルに巻き込まれてほとんど寝られなかった。新幹線の2時間では疲れが抜けていなかったらしい。
 欠伸を噛み殺しながら視線を向けると、さっきの黒髪の美人さん。男の子もうしろに控えていた。
「あぁ、さっきの。お怪我は?」
「大丈夫でした。ちゃんとお礼を云っておきたくて」
「お構いなく。当然のことをしただけですから」
 本心を口にする。ジョローチの存在意義は戦えない者を守ることにある。それが、すでに捨てたとはいえ『獣の穴』の教えだった。殺すより守ることを優先するスタイル。
 美人さんは少し頬を染めた。たぶん、拓海と同い年か少し上くらい、高校生くらいだろう。表情を真面目にして、
「わたしも、ジョローチを目指しています。本当のジョローチの戦いぶりを拝見できてよかったです」
「なぜ、ジョローチを?」
 そうは見えないが、と表情に出した。彼女は少しだけ寂しそうに笑う。
「……守れなかったから、ですね」
「じゃぁ、きっと強くなれると思います」
 人好きのする微笑みを拓海は見せた。強大な肉食獣が獲物を喰らうときに見せる、強者の笑み。
「僕も、そうでしたから」
「……はいっ」
 今度は心底からの笑顔を見せてくれた。
「……ん」
 うしろで面白くなさそうにしていた男の子が、小さく声を漏らした。視線を向けると……あ、女の子だ。
「あぁ、いたいた。おい、あんた!」
 今度は駅員が寄ってくる。
 面倒ではあったがベンチから立ち上がった。懐から抜きだしたIJF認定ジョローチ証(A−)を示すと、寄ってきた駅員は慌てて敬礼する。
 日本国内に限ったことではないが、魔族の鎮圧を行ったジョローチが、鎮圧を依頼した自治体ないし組織に殺害される事例は珍しくない。魔族がいなくなって、報酬は払わなくて済み、ついでに機神まで手に入ると、欲ボケる者が少なくないのだ。もちろん、返り討ちにあうことも珍しくなく、近年では2年前に島根県で、人口2000人の町が魔族を鎮圧した9人の傭兵隊(ジョローチ2名)を殺そうとして、皆殺しになっている。
 IJF認定なので、拓海の身柄は日本政府の管轄外にある。さらに、例の一件から、不審死でなくても拓海が死んだ場合はIJFが直接調査に動く。IJFはモンゴル帝国直轄の組織なので、たかが島国の鉄道会社ごとき、虫ケラを踏み殺すように膺懲する権限を有していた。
「失礼いたしました! 先程は、ご助力いただき感謝に堪えません!」
 駅員は別室に連れ込んで殺そうとしていたのを知られまいと、直立不動で大声を上げる。拓海の身長は170を少し越えるくらい。だが、天を衝く巨人に命乞いでもしているような雰囲気があった。
 自分が大きくない自覚のある拓海は、そんなモン相手にしない。
「それはいいが、いつになったら新津行きは出る?」
「はっ、もう少しお待ちいただければ……」
「急げ」
「急げ!」
 即座に駅員が復唱した。動こうとしていた他の路線が急停止し、手旗信号で車輌が動かされる。
 これ以上待たされるのも巻き込まれるのもまっぴらだったので、ホームに入ってきた車輌に平然と乗り込む。待たされていた他の乗客も乗り込もうとするが、振られる手旗に従って大半を残したままドアがすぐ閉じた。
 3分たたずに、新津行きの列車は動き出した。
「ありがとうございました!」
 もう一度、拓海を見送って駅員たちが声をそろえた。気にしていない拓海は、IJFと獣道クロエに事の次第をメールで報告している。
 ために、翌日までに、新潟駅の全駅員およびその家族全員が処罰された。誰ひとりとして名乗らなかったのでクロエは誰を罰すればいいか判らず、IJFに「とりあえず全員」と連絡したので。

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