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 ――凡此五者将莫不聞 知之者勝不知者不勝(おおよそこれらの事柄を、将たるものが知らないということはないだろうが、これらを理解している者は勝ち、理解していなければ勝てない) “孫子”計篇より

妙才暗躍


「わたしは、季衣のところに行ってくる!」
 不機嫌そうに姉は吐き捨て、手早く寝台から身を起こした。脱ぎ散らかした衣服を身につけ、大股に部屋を出て行く。
「あ〜……見送りもできん」
「ふふっ……」
 ぼやいた一刀の横に寝そべったまま、秋蘭は脇の卓から茶碗を取った。ぬるい湯を含むと、いくらか苦い味が口の中に広がる……先程まで味わっていた、一刀の精の味。
「……そこでくつろがれてもアレなんだけど、とりあえず、俺にも一杯くれる?」
「ん? あぁ、済まない、気が利かなくて」
 姉妹がかりで搾ったので、一刀は眼に見えて憔悴しきっていた。億劫そうに身体を起こした一刀の手に、湯を満たした茶碗を渡してやると、それをゆっくり、だがひと息で干す。
「ふぅ……」
「お疲れだな、北郷殿」
 笑いをこらえている表情で、秋蘭は茶碗を打ちあわせた。
 先日まで、大陸の半ばを支配していた強国・魏。それを治める覇王こそが、秋蘭の愛してやまない華琳そのひとだった。しかし、惜しむらくも華琳は一刀に降伏し、魏は事実上滅亡。いまや、一刀の捕虜の身分となっている。
 だが、その程度で華琳の性癖が大人しくなるはずもない。美少女好きで美女好きの華琳は、秋蘭や姉の春蘭(……や、他の女)たちに夜伽を命じていたのだが、ある夜気まぐれを起こしたのか、云い出した。
『……そうだ。今夜の伽は、アイツの精をより多く搾り取った方に命じることにしましょう』
 というわけで、秋蘭は春蘭と連れ立って一刀を襲い、果てるまで搾り続けた。
「……まぁ、俺も気持ちよかったからいいけどさ」
 話を聞いた大陸の王者は、やや複雑な表情で秋蘭を見つめた。華琳が惚れ込んで……もとい、気に入っている(いや、この表現でも華琳サマはお怒りになるかもしれない)御仁は、溜め息交じりで。
「なるべくなら、そーいうコトには巻き込まないでほしいんだけどな……」
 その台詞に、秋蘭は真顔で、茶碗を干した。
「……北郷殿」
 気になったことを、秋蘭は口にしてみる。
「もしや、我らでは満足できなかったのか?」
「ナニを今更」
「いや……姉者に挿入したとき、なにやら形容しがたい表情をされたのでな」
 一刀の手が、止まった。
 口唇での奉仕に興奮した春蘭は(秋蘭もだが)、本番を慎ましく求めてはみたのだが、一刀はとぼけた様子でそれを察しない。無論、脱いでしまってからはその気にはなったのだが……春蘭に挿入しようとしたとき、秋蘭は、一刀が、自嘲に近い笑みを口元に浮かべていたのに気づいてしまった。
 自嘲、というよりは……後悔。
「……そうか?」
 だが、一刀は相変わらず、どこかずれている表情を浮かべている。
 戸口の外が気にはなったが、春蘭が出て行ったのだから、まだ(覗いていた)愛紗がいるということはあるまい。後片付けは侍女がしているようだし。秋蘭は茶碗を卓に戻すと、一刀の手からも取り上げ、その頭を胸に抱きこんだ。
「わぷっ……」
「……睦言とでも思って、話してくれてもいい。あなたを5番めに置いてもいいというのは、本心だ」
 いちばん大切な華琳に、春蘭。腹心と頼む部下に、気のあう娘。……その次くらいに、秋蘭は一刀が気に入っている。自分よりやや年下の少年を抱きしめ、秋蘭はもう一度寝台に倒れた。
 姉妹でさんざ搾り取ったおとこが、顔を上げる気配はない。
「……秋蘭も、春蘭も華琳も、殺さないと云ってある」
 押し殺したような声が、胸に埋もれたままの顔から聞こえてくる。
「だが、誰かに喋ったら……俺は、自分が何をするか判らないからな」
 王たるものの素質には、武技はない。純粋な武勇なぞ、配下の将軍に任せておけばいいことだ。現に、華琳も、ある程度の戦闘能力は備えているが、それは秋蘭、まして春蘭には遠く及ばない。……一刀よりはマシだろうが。
 だが、秋蘭は今、一刀から恐怖を感じていた。腕の中にいる少年が、まるで血に餓えた獣のような、裂帛の気迫に包まれている。
「あぁ……」
 言葉短く、秋蘭はうなずいた。
 ややあって、一刀は顔を上げずに。
「……伯珪さんのことを、思い出して」
「公孫賛の……?」
 亡き群雄の名を、口にした。
 公孫賛、字を伯珪。幽州に割拠した武将だった。
 騎兵を率いては河北に並ぶ者なしと称された勇将だったが、性格はいけ好かないと秋蘭は記憶している。たとえば部下か攻撃を進言しても、ひとりで突っ込ませて自分は何もしないような女だった。
 ところが何があったのか、反董卓連合に参戦してきた彼女はいくらか丸くなっていて、連合の盟主・袁紹と衝突した華琳を仲裁したり、孤軍で虎牢関を攻めることになった一刀を救うべく奮戦したり……と、華琳をして「アレくらいなら、傍においてもよかったわね」と云わせる性格になっていた(らしい。直接会ったのは華琳だけだったので)。
 しかし、華琳の欲望むなしく、幽州の覇権を狙う袁紹と戦い、すでに死亡している。その袁紹との抗争に勝利したのが、一刀躍進の原因だったのだが……。
「……俺は、伯珪さんを見捨てたんだ。伯珪さんが袁紹に攻められたとき、俺たちは……何もしなかった」
「何もできなかった、ではなくてか? 当時の貴公らに、公孫賛を救い袁紹を退けるだけの戦力があったとは……」
 思えんが。秋蘭がそう口にするより早く、一刀は顔を上げた。
「できるかできないかなんて、どうでもよかったんだ。伯珪さんのために、何かできれば」
 泣いていた。
「確かに、俺たちには袁紹と戦う戦力なんてなかった。愛紗も、朱里も、みんな……伯珪さんを助けには行けないって云ったよ。俺だってそれは判ってたから、動かなかった……動けなかったけど」
 こらえるような表情をしても、一刀の涙は止まらなかった。秋蘭の肌を濡らし、寝台へとこぼれ落ちる。
「誰かを抱くたびに、思うんだ。伯珪さんと、深い仲だったら……結ばれていたら、俺はあの時どうしただろうって」
「……北郷殿」
「伯珪さんを抱いていたら……こんな後悔、しないで済んだんじゃないかって……」
 秋蘭は、一刀をもう一度、抱きしめた。
「死んでいたかもな」
「うん……」
 だが、きっと誰の制止をも振り切って出陣し、あるいは奇跡さえ起こしたかもしれない。あるいは公孫賛とふたり、笑って死んだのかも。
 ……やっと、判った気がする。なぜこの漢が、華琳を助けるために戦ったのか。なぜ、華琳や自分たちを、捕虜と思えぬ歓待をするのか、してくれるのか。
 魏が、負けるわけだ。秋蘭は思う。
「――さん……」
 一刀が呟いたのは、聞き慣れぬ名。多分、公孫賛の真名なのだろう。
 泣き疲れた一刀を起こさぬよう、秋蘭は寝台から身を起こした。
「……朝まで同衾してやるべきかもしれんが、さすがに華琳さまを放ってはおけんのでな」
 脱いでおいた衣服を身につけながら、秋蘭は云い訳を口にした。

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