寿司屋の誕生


  1. 露天屋台店
    日没と同時に辻々で店が開いたものだった。姿ずしや箱ずしとは異なり少量ずつ製す
    ることができる握りずしは、露天屋台店での商売に好適だったのであろう。従来は「作

    置き」だった商い方法も、売れのころを出さないよう、客の注文に応じて握るように改ま

    ていった。
    多くは酔客や悪所帰りの客を相手にしていたため、すし屋台は、男の場であった。客の
    側は立ったままで数個つまんで立ち去るのが常の光景である。江戸っ子はこれを粋と

    び、すし屋で満腹するのは野暮とさえ言われた。要するに、ショットバー感覚の気楽な

    食やが、露天のすし商であった。

料亭風のすし商
客を座敷に上げて酒を供し、別室で作ったすしを運び込んだ。当然、そのすしには職人の技

が光るが、原則として、客と調理人が顔を合わせることはない。料理も「おまかせ」である。客
は、酒とともにゆっくりと食事を堪能する。かっての大尽遊びに象徴されるごとく、これが許さ
れたのは、ごく一部の富豪連中であった。それゆえ店側も、容易に大衆に迎合する必要がな
く、調理技術を洗練させてゆけた。

屋台と店舗の融合
このように完全分離していたかに見えたふたつの商法であるが、大正あたりに、双方の融合

始まる。交通面と衛生面から、都市から屋台は追放される。ゆえに、屋台商人も店を構える

とを余儀なくされる。他方で、注文に応じて目の前ですしを製してくれるやり方は、すでに大衆
の人気となってきた。
固定店舗を構えるすし商もその流れには逆らえず、結果、屋台と店舗をドッキングさせたよう

店が生まれた。

食べ方の能書き
すしの注文順序やつまみ方、醤油のつけ方などが、うるさく言われるようにもなった。これらは
基本的に握りずしに関するものであるが、もちろん、かっての屋台であれば取り沙汰されるは

はなかった。
また、高級料亭風のすし屋では、客は個室に通されるから、他の客の目を気にする必要もな
かった。要するに、握りずしの食べ方は、異なるふたつの商法が融合した以後の産物だと考

られる。
以前であれば、個室の中で自分の好きな方法で食べていた旦那衆達は、屋台方式の進出
にともない料理屋の中に設置されたカウンターで、他者と袖摺り合わせてすしを食べることに
なった。

小うるさい作法
旦那衆達は道楽半分もしくは、自ら特権意識の誇示のために、小うるさい作法を作って楽し
んだものと想像される。
しかしながら、その束縛は案外根強いもので、ついには一部のすし商までもがこれを容認・推

するに至る。

一般客には入りづらいすし屋に
低廉な露天売りがなくなって、店舗売りだけが残った以上、握りずしが高値で商われることは
やむ得ないが、それにとどまらず、客と店が連帯して握りずしを必要以上の高級和食に仕立

上げてしまった。やがて、握りずし屋は、一般客には入りづらい空間の評価を得ることにな
る。