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ドラフト会議だけではなく、抽選などには必ず言われる言葉がある。
「残り物には福がある」
6球団の抽選の末、快腕・大石達也投手の交渉権は西武・渡辺久信監督の手に。
それは5人の監督が気持ちを込めて入れた手をすり抜け、最後に残ったものだった。 |
関西担当のスカウトは焦っていた。大学選手権で見せた投球で左腕ではNO1の評価をされている大野雄大が登板しない。「肩のケガのようだ。」「登板出来ない訳ではないが、大事を取って投げていないようだ」。状況はそれほど重くないという観測が流れ、ネット裏では会話されていたのだが、それにしても全く登板する気配がない。最終の3連戦は京都学園大との優勝をかけた戦い、登板するという噂も流れスカウトが顔を並べたものの、結局登板することは無く佛教大は優勝を逃した。夏までの評価はドラフト1位だろう。しかし秋に一度も登板しなかった肩のケガはどの程度の状態なのか、それともどこかの球団と・・・。様々な憶測が流れ、評価をしきる事ができず多くの球団が判断に迷うことになる。大野投手も不安のままでドラフト会議を向かえる。
八戸大の塩見貴洋は順調に勝ち星を残す。富士大戦では2失点するも17奪三振で完投勝利、防御率こそ1.34でリーグ2位となったが3勝0敗でチームを優勝に導く。「ストレートはそこそこだがコントロールが良い」「完成度が高く、即戦力」こうした評価に留まったものの、間違いなく1位で消える選手との評価を残して、勝ち続けた塩見貴洋の大学野球はドラフト後の明治神宮大会へと続く。
中央大・澤村拓一は春からもう一皮向けたピッチングを見せる。春までは「変化球が甘いため、ストレートを狙い打たれる」とスピードの割に評価が割れていた。9月21日の亜細亜大戦、その評価は大きく変わる。相手投手は2年生・東浜巨。相手にとって十分であった沢村は、真っ向勝負で向かっていく。ストレートは外角低めに吸い込まれ学生最速の157kmをマークすると、カーブ、フォークも完全に物にしていた。132球を投げて1−0で完封、三振は16を数えた。この投球に翌日の新聞はスカウトのコメントが踊る。「春から大きく成長した」「ドラフト1位で競合するのは間違いない」。
しかし、その熱気は2週間後の一つの新聞報道で大きく変わっていく。
「沢村、巨人!」「意中の球団以外の場合はメジャーも」 10月8日の報知新聞だった。このような事はこれまでも何度かあった。「またか!」ネット裏のスカウトもファンも、度を越した熱気を見せていた。
東京六大学、一つの衝撃がヒーローに火をつけた。
斎藤佑樹は早稲田大学野球部100代目主将として、エースとして、そして早稲田のユニフォームへの最後の思いを胸に戦いに挑む。その思いは大きなプレッシャーとなり、体を、フォームをバラバラにし開幕の法政大戦で敗戦する。そのエースを見て、1つ上の年だが1年生の時から斎藤を見ていた福井優也が2戦目で奮起、法政大から11三振を奪い1失点完投勝利で3戦につなぐ。しかし3戦目も斎藤は5回で2失点し6回から大石達也の4イニングのロングリリーフで何とか勝利し勝ち点を挙げた。
続く明大戦でも斎藤は5回で降板し大石のリリーフで勝利、2回戦は福井で勝利。「やはり高校の時の方が良かった」「高校からプロに入った方が良かったのでは?」 プロでは同世代の広島・前田健太がセリーグのエースとして活躍を見せる。斎藤佑樹を応援しているからこそ、厳しい評価がされる。
NHKの番組ではないが、このような中その時がやってくる。10月2日、東京大学1回戦。
自らの30勝をかけた試合で、斎藤佑樹は東大に敗れた。平成17年以来の東大戦敗戦。主将として、エースとして屈辱であった。「やはりダメなのか」。
しかし主将としての斎藤佑樹には心強い仲間がいた。2回戦では福井優也が完投勝利で斎藤に繋げる。3回戦、斎藤佑樹は今期初完投を完封で飾って見せた。大石達也が、福井優也が、同じくドラフト候補ながら早大に進学した宇高が、2006年の夏を共に戦い、今また戦っている山田、後藤、白川がいた。主将と一緒に戦う仲間達にエースとしての結果を残して応えて見せた。
リーグ優勝をかけての決戦となる、早慶戦を週末に控え、斎藤佑樹、大石達也、福井優也はドラフトに臨む。
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10月28日のドラフト会議に向けて12球団の駆け引きは佳境を迎える。
10月8日の「澤村拓一、巨人」の報道は日に日に確証を得ていく。本人はルールにより意中の球団を発言することは出来ないが、周囲からも巨人が意中の球団であることが明らかになっていった。
中日が沢村に調査書を送る。西武が中大を訪れ練習を視察した。状況を確認したいためだ。戦略上、沢村投手の指名を含みつつも、「沢村から撤退」で動き始めていた。
各球団のスカウト会議の間隔が短くなり、1位指名候補の名前が挙がり出す。「東北楽天は大石」「横浜も大石でいくようだ」「オリックスも大石だが、伊志嶺翔大の可能性もある」。
広島は「候補を大学生投手5人に絞り、直前に決める」とした。千葉ロッテと東京ヤクルトは初志貫徹、斎藤佑樹の指名は変わらない。気になるのは他球団の動向だった。大石に指名が集まりすぎる。嫌な予感はしていた。そして、
「ソフトバンクは斎藤の可能性がるようだ」、情報が飛び込む。「地元の大石か、王会長が視察をした斎藤佑樹か」決断はドラフト当日のスカウト会議で決める。また北海道日本ハムは当初から斎藤佑樹をマークしており「斎藤佑樹でいきそうだ」という情報が入ってきた。
その後も阪神、西武が大石指名の可能性が高くなり、大石達也には横浜、楽天、オリックス、阪神、西武、広島の6球団が競合する可能性が出てくる。スカウトは外れ1位の候補を絞るため、他球団の情報を必死に集めシミュレーションを始めた。
指名がハッキリしないのは中日、大野雄大に高い評価をしているものの、澤村拓一にも興味を示しており、もし沢村を指名するなら中日だろうという観測が流れた。
東北楽天に星野氏が就任する。「もしかすると沢村を指名して巨人に対抗するかもしれない。」という噂も流れたが、抑えを重視する星野監督に大石指名の迷いは無かった。
北海道日本ハムは、斎藤佑樹の指名が高いものの、塩見貴洋を単独指名する、大野雄大にも興味があるなどの噂が流れていた。ソフトバンクは斎藤か大石か迷っていた。オリックスも昨年古川投手を単独1位指名している。野手が薄い、「伊志嶺を単独指名するかもしれない。」という動きがありながら、ドラフト会議が始まる。 |
結局、大石達也は横浜、楽天、広島、オリックス、阪神、西武の6球団が指名。斎藤佑樹には東京ヤクルト、北海道日本ハム、千葉ロッテ、福岡ソフトバンクの4球団が指名、澤村拓一には巨人が単独指名、大野雄大には中日が単独指名をした。
大石の抽選は西武・渡辺監督が残りくじで見事に射止め、斎藤佑樹は北海道に決まる。
横浜は左腕投手の指名の可能性もあったが実力派の即戦力、須田幸太投手を指名、広島は単独指名も狙っていた福井優也を指名した。阪神は社会人NO1左腕の榎田大樹を指名し、福岡ソフトバンクは高校NO1捕手の山下斐紹を指名した。
北の左腕・塩見貴洋には東北楽天と東京ヤクルトが指名し、星野新監督がくじを引き当てた。
野手NO1、東海大・伊志嶺翔大はオリックスが単独指名だろうと言われていたが、荻野、清田の外野手のルーキーが活躍を見せた千葉ロッテがまさかの指名で、抽選も引き当てた。
外れ1位の抽選を外した東京ヤクルトとオリックスは外れ外れ1位でも履正社・山田哲人で競合し、東京ヤクルトが抽選を得る。抽選で3人を外したオリックスは、後藤駿太を指名しドラフト1位指名は終了した。
2010年ドラフトでは68人が指名、育成ドラフトでは29人が指名され、合計97名がプロの世界に入っていく。
甲子園で優勝した選手も大学で成長しドラフト1位指名された選手も、ドラフト1位候補として期待されていたが伸び悩んで下位で指名された選手も、野球への思いを捨てきれず、独立リーグや草野球チームで野球を続けて育成枠で指名された選手もいる。
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よく、プロに入ったら同じスタートラインだと言う人がいるが、普通の社会もそうであるようにそんなことはない。ドラフト上位選手はそのフィルターを通して見られるのは間違いないだろう。また競争は97人だけではない。2009年に入った選手も、2008年に入った選手も40歳のベテランとも含めた競争となる。また来年には同じようにドラフトで指名されて選手が入ってくるし、プロに入れなかった同世代の選手が、2年後3年後4年後・・・、プロに入って挑戦をしてくる。
限られた数少ないパイをめぐって、努力の競争が始まる。
ドラフト終了後、早慶戦が行われ、早稲田は、斎藤、福井、大石のドラフト1位トリオが登板するも、慶應の竹内大、福谷浩司の2年生の前に連敗して星を落とす。ヒーローはこうしてバトンを受け継ぎ、時代はこうして代わって行くのだろう。
しかし、50年ぶりに行われた早慶による優勝決定戦は、持っているヒーローに用意された舞台だったのか。斎藤佑樹は7回までノーヒットノーランピッチングを見せた。8回に5点を失ったものの大石達也が締めて、主将としてエースとして最後のリーグで優勝を果たした。
そして明治神宮大会でも早稲田大学初優勝を達成し、高校でも最後のシーズンに全国制覇、大学でも最後に全国制覇を成し遂げ、学生野球を後にする。
2006年の全国制覇から始まり、1年生で六大学開幕戦で勝利、4年間連続日本代表選出、早稲田大100代目の主将、50年ぶりの早慶優勝決定戦で勝利、早稲田大学の明治神宮大会初優勝、大学30勝300奪三振の結果を残して、ヒーローはプロへ飛び立つ。しかし本人が語っていたように、1年生では須田幸太からエースを受け継ぎ、松下日本代表でも国学院・村松伸哉と1年生出会い、試合ではリリーフの大石達也につなぎ、2戦目の福井優也につなぎ、リーグでは加賀美希昇らと投げ合い、沢村拓一、大野雄大、塩見貴洋の同世代の選手をライバルとし、プロで活躍する田中将大、前田健太、坂本勇人と自分を見比べ、多くの「仲間」がいた。
11月18日、明治神宮大会の終わった神宮球場にひとすじの風が吹いていった。2006年の甲子園から吹いてきた風だろうか。1人のヒーローが多くの仲間と共に戦った場所を追って、歓声を巻き起こしては夢のように一つ一つ消していった。
来年、その風は間違いなくプロ野球に吹くだろう。
そして甲子園にも神宮にも、次の風が静かに砂を巻き上げている。 |