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4−1
「ああ……愛、ある食卓だなぁ」
トオル君は、何てことはない食卓――だが、その「何てことない」素晴らしさに、素朴な感動。
「すーさん、オレほんっとに、すーさんの気持ちが分かりましたよっ! 螢君、全く非の打ち所のない嫁さんです!」
「アホなこと言ってる間に食えっ」
短気な雄生は、彼と同じく独り暮らしのトオル君の頭を小突いた。
「何も特別なことはしませんでしたけど……お口に合えば嬉しいです」
トオル君に負けじと素朴な螢が、控えめな笑みで、食卓を更に飾る。今日は雪が留守なので、夕食に客人を
呼んだのだった。
「んーっ、サトイモかー。もう、そんな季節になったか」
雄生も、ホクホク顔で箸を付ける。
「で、雪は、今日はデートか?」
「違うと思います。ちょっと遠出するって。……でも、仕事でもないみたいで」
「泊まりか? やーっぱデエトじゃないか〜? 螢君、いつまでも姉さんに騙されてちゃイカンよ」
“月見”のこともあり、やっぱみ半分で雄生が意地悪くからかうと、
「ははっ……まさか。違いますよ」
一片の曇りもない、美しい眼を細めて、穏やかに微笑する。雪を疑うことなど、全く考えもしない。
それには、やはり負ける。
「できれば夜中に帰ってくるって。でも、無理はしないでと頼んでおいたから……。最近、あまり健康状態も
思わしくないので、心配しているんです。この間も仕事中に倒れて……まぁ、すぐに起きちゃうんですけど。
ホントは、もっとちゃんと休養してくれないと、心配なんですよね……」
螢は溜息をつくと、思い立ったように、薬缶を火にかけに立ち上がった。
「夜も、あまりよく眠れていないみたいだし。――でも雪さん、考えてみると、秋は毎年、そんな風に調子が
悪いんです。苦手な季節だって、言ってたけど」
そして、また座る。会えばいつも口汚く突っかかり合う関係の雄生にしてみると、そんなに雪が具合が悪いなど、
信じられないのだが、螢が、嘘を言うはずもない。
「その……今日出かけてる用事って、そんな具合悪くても行かなきゃならないようなとこなのか?」
「……さぁ。何処に行くのかは、何も言わなかったから。だけど毎年、この月……もしかしたらこの日は、
いつも出かけていたような気もします。――あ、おかわりどうぞ」
螢は、トオル君の茶碗を取った。
「どうも! いや、しめじ御飯美味いっす! ――毎年って、何かの記念日とかですかね」
ちろっと、トオル君が呟く。“記念日”……年に一度巡ってくる、「ある日」。記憶と記憶を繋ぎ合わせ、
「思い出」という、約束された一枚の絵を織り出すもの――
「ちょっとミステリーだなぁ。でも、美人っていうのは、幾つかの謎に包まれていた方が良いもんですよね」
「何を言っとんじゃオマエは」
ボケとツッコミのような『OH!かると』の記者二人を、螢は、クスッと笑って見ていた。
……そう。螢にとっても、雪は、謎の多い存在だった。たった一人の肉親であり、あれだけ慕い合いながら、
「そういえば……」と問えば、幾らでも謎が介在している。しかしそれらも、気にしなければ、「どうでもいいこと」
でしかない。まさに、螢にとっては、雪が持つ幾つもの謎など、興味にも値せず、ただ雪自身が側にいてくれれば、
安心できた。その、螢も知らされていない……或る、“記念日”。
* * * *
「――慧さん」
東北にある、汀本家。長い廊下を、足音も立てずに通り過ぎんとしていた慧は、立ち止まると、スッと膝をついた。
「……何か。母さん」
母と呼ばれるには若すぎる程に、瑞々しい声の女性だったが、障子の向こうなので、その姿は見えない。
慧も、みだりにその障子を開けることはしないらしい。
「今日は、お出かけにならないの」
何処か、地を離れたような声だった。魂が宙を、ひらり、ひらりと舞うような。
「いいえ。ですが、午後には……」
「――お兄様の所に」
慧は、しばし言葉を噤(つぐ)んだ。そして、静かに。
「あれから十年です。私は……先代当主にお会いするのは、現当主として当然のことと考えます」
「その先代の先代である、お父様には内緒……ね」
「別に、人目を憚(はばか)るわけではありません。お祖父様は今日も、お加減がよろしくないようですし。
もし良ければ、母さんも……一緒に」
「いやよ」
キッパリとした言葉。ただ一つ、この世の者の声のようだった
「慧さん? あなただって、本当は先代に会いに行くと言うよりは……雪さんに会いに行くのではないの。
……私はイヤ、あんな忌まわしい――」
「母さん、やめてください……」
抑えた、しかし強い声で、慧は呟いた。むしろ、自分自身に言い聞かせるように、その膝の上の拳も握られた。
彼は独り、本家を後にした。
この広い屋敷に、活気は無い。常に何かを背負うように沈み、薄暗い気をまとっている。
――昔は、こんな所ではなかった。十年前……慧や雪、そして螢が、兄弟のように共に庭を駆け回り、
笑い声が絶えなかった「或る日」までは。……今、この屋敷に、雪達はいない。出て行ってしまってからは、
一度も足を踏み入れたことすらない。この静かな土地を離れ、その思い出すら騒音でかき消してくれるような
大都会に去り、そして、そこに馴染んでしまった。
穏やかな秋の日――しばらくは、霖雨が続いていたが、ようやく秋晴れが到来した。時折、強い風が木の葉を揺らし、
落ち葉を舞い上がらせる。
彼は、ハッと足を止めた。若い彼には似つかわしい、少し明るい二藍色の着物の裾も、ピタリと止まる。
その道に、あたかも彼を待ち伏せていたかのような人影があった。彼よりは少し年上の男で……ボルドーのスーツなんて
着こなすヤツは、この辺りにはいない。そんな男が、こんな田舎の道端の、欅(けやき)の下に立っていたら、
それだけで妙だとは思うもの。実際、慧も、そう感じた。そして、ただならぬ気配を感じながらも、黙礼だけをして、
通り過ぎようとした。
「――あなたが、汀、慧さん」
以前にも、妙見青海からイキナリ声をかけられたことがあったが、それとはまた異なる、冷たい響きを持つ声だった。
「……はい。そうですが」
振り返った彼が、「あなたは?」と訊く間も与えずに、男は言葉を継いだ。
「となると、汀家の現当主で在らせられるあなた。――先代から、当主の証(あかし)として……あれを、
受け継がれたはずですね?」
同業者……だろうか? しかし何故か、この男の周囲の気は、慧とは相反するものなのか、理解もままならなかった。
「何のことでしょうか」
問い返す慧に、男は「おや」と眉を上げた。
「この五百年という間、汀家当主の証とされてきた、主を守護する霊刀・洸月ですよ」
慧の顔色が、サッと変わった。「洸月」の名を知るものは、非常に限られている。汀家の親族の中にすら、
その霊刀の存在は知っていても、「洸月」という名は知らない、という者がいるほどに。
「その様子では……お持ちではないようだ。そうでしょうね。私は、他の方が、その洸月を所持しているのを
見ましたから」
フッと笑う男に、慧はようやく、この男が「汀家」にではなく、「汀家当主」としての、汀慧、個人に向けての挑発を
仕掛けていることに気付いた。
「何故、当主であるはずのあなたが、洸月を所持していないのか。……ああ、答える必要はありません。
私が代わりに言ってあげましょう。簡単なことです。――あなたには、洸月を抜くことができなかった。
そうでしょう? 抜けない刀など、棒きれでしかない」
「あなたは……何がおっしゃりたい?」
静かな言葉の内に、敵意が浮かび上がる。男は、あくまでも優雅な微笑を向けると、そのまま背を向けた。
「所詮、人々が事態を丸く収めようと、それだけで選んだ当主。――五百年間、守護すべき者……つまりは
自らの主となる当主を選んできた洸月は、それ故に、当主以外の者の手には、その身を抜かせない。
あなたは、それを抜けなかった。……そういうことだ」
「名を……名を名乗れ!」
如何に穏和な慧であっても、限度はある。すると男は、その場を去ろうと歩み出した足を止め、振り返った。
魔をすら惑わせるかのような、美しい笑みが彼に向けられ、その端正な唇から零れた名は――
「影小路透麗」
その名を聞いた途端、慧は脳天から杭を打ち込まれたような衝撃を受けた。
「……洸月に認められなかった当主、か。惨めなものだな。――その様子では、洸月に、対なす刀があることも
知るまい」
「な……に? うわっ!」
目前に突風が起こり、舞い上がった枯葉で、慧は一瞬、視界を奪われた。――そして、それが収まり、辺りが
何事もなかったかのように静まりかえった頃……男の姿は消えていた。
慧は、眩暈(めまい)に膝を折った。
血の気が引き去り、全身に氷を押し当てられたような感覚が走った。
……何という恥辱を味わわされたのか。汀家当主としての地位を侮辱されたにも関わらず、それに対する抗弁は
一つも繰り出せなかった自分に、慧は憤った。
――あの男……影小路!
まさかとは思った。しかし、あれが闇の一族・「影小路家」の末裔? 五百年前に、汀家とは袂を分けた、遠い血族。
そして、彼が残した、謎の言葉。
“洸月に、対なす刀がある”――?