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2−2
夜景の美しいレストランで、キャンドル越しにグラスを重ねた後は、夜が静かに流れる。
“月見”にしては、モダンに洗練されすぎた夜にも思えて、その趣向について雪がこぼすと、
透麗はニッコリと笑った。
「月が、一番美しくなる時間を待っていただけですよ」
そして彼は、第二のパーティー会場へと、彼女を導いた。
「……何処に連れて行くつもり?」」
尋ねても彼は応えず、ただ静かに微笑する。高速に乗ると、西へ向かうだけ。郊外に出るのは、
間違いのないことだった。
そして、彼女が連れてこられたのは、天文台。
「どうぞ」と透麗に手を差し伸べられて、そのままに手を取られ、夜の天体観測所へと昇った。
「……驚いた。何処に連れて行かれるのかと思えば」
屋上まで階段を昇ってあがる。少し都心を離れただけでも、ずっと夜空が澄んでいる。
そして今夜の主賓――満月は、一つの翳りも映さず、悠然とした姿で、天空に君臨していた。
「できるだけ美しい姿のままに、あなたに贈りたかったので」
「まぁ。お月様を、私にくれるの?」
雪はフェンスに寄りかかって、クスッと笑った。まるで子供のような言いぐさに。
「あなたが望むのならば、何なりと」
彼女の目の前に立つのは、魔法使いだろうか。望みさえすれば、どんなことでも叶えてくれるという。
「……素敵ね。夢よりも都合の良い筋書みたい。――でも、何だか怖いわ」
雪が溜息をつくと、透麗が指先で、彼女の顔を、そっと上向きにさせた。
「夢ではありませんよ」
「……だから余計始末におえないのよ」
そっと、唇が触れた。何かに酔わされたような心持ちで、雪は彼に腕を伸ばしていた。
「月は人の心を惑わせる。酔わせるのと同じように」
透麗が呟いた。雪は、彼の首筋に腕をかけたまま、首を傾げた。
「何のこと?」
「古く、月は月天・蘇摩(ソーマ)と呼ばれ、神として崇められていたのはご存じでしょう」
「ああ……そうね。『ソーマ』――唯一、神格された植物で作られた不死薬とも、神々の酒とも
呼ばれた、ナゾの酒の名前でもあり、神官達が、神々の世界とのイニシエーションを
図るために使われた興奮剤……。向精神性の薬草だとか、ベニテングダケだなんて話も
聞いたけど。アブナい感じが良いわね」
「学問的に分類してしまえば、その神話も植物学や化学の中に消えてしまうでしょう。
だが、それではあまりにも惜しい。神秘のヴェールの中にあってこそ美しいものを暴き立てるのは
卑俗な行為に等しい。――歴史という古(いにしえ)からの大河の流れの中で培われた美しい
韻律を、どうして乱す必要がありますか。『ソーマ』が彼ら神官達にとっては、心痺らす神の酒
であったということは、気の遠くなる歳月を経た今も、変わりはしません」
「あなたは……美しければ虚飾すら愛する人だものね」
ちょっと、皮肉かもしれない。
「夢と、同じです」
彼は、穏やかに呟いた。
夢――雪はその言葉に、ふと物思った。すっと彼から離れると、フェンスの外の森を眺めた。
鬱蒼と繁る葉が夜風にざわめき、ゾクゾクさせるような葉ずれの音を生み出している。
「夢……ね」
雪は、今朝の夢――或いは『夢渡り』を思い出してしまった。あまりに鮮明な記憶。
あれは夢だったのか、それとも……
「あなたの寝室って、洋室? それとも和室?」
唐突な問いが、振り返った雪の口から飛び出した。彼女は自分でもハッとして口を押さえたが、
一度出た言葉は戻っては来ない。一応、問われた方の透麗は、少々眉を動かしたくらいで、
動じた様子もなかった。寧ろ、宛然として、
「――興味がおありなら、これからでもお連れしますが」
……負ける。雪は、ブンブンっと慌てて首を振り、
「いいっ、いいのっ、忘れてっ!! ……御免なさい、やぶから棒に、ヘンなこと聞いちゃって」
ナンか、自分でもスゴいことを聞いてしまったと思って、大後悔。情けないというより恥ずかしくて、
またクルッと背を向ける。
「普段は洋室で休みます。それが、どうかしましたか?」
クスッと笑った彼の言葉に、雪は何だか気が抜けた。
「……やっぱり、夢か」
思わず漏れる呟き。ほんの小さな声のつもりが、透麗の耳にも届いてしまったらしい。
「何が……『夢』だったんですか?」
背後で彼が尋ねる。雪は振り返りもせず、苦笑した。
「何でもないの」
「夢で、逢ったんですか? ……私に」
ハッとして振り返ると、透麗の肩越しに、銀の鏡のような月が見えた。何かを……映し出す。
それが何なのか、つい凝視してしまう。
「夢の逢瀬も重ねれば、いつしか夢は現実に変わります」
「夢が……現実に?」
「うたた寝の恋にも、心を悩ませ、身を焦がすようになる。――夢は、鏡です。あなたが望むもの、
恐れるもの……すべてを映し出す」
彼女の目の前に、透麗がいる。そして月――心痺らす、惑わせる『鏡』が、彼女の夢を映し出す。
「あなたは……何を見たんですか?」
――彼は、『月』。その美しい面差しに影が宿る時、見ている者は、陶然と闇に迷う。
“何を……”
雪は、思い出していた。そう……透麗は、こんな目をして言った。
“誰が……あなたを殺したんですか”――と。『夢』の中……で?
* * * *
「――汀、慧さん?」
汀本家の近所にある小さな神社を参拝しているところを呼びかけられ、慧は振り返った。
まだ日も昇りきらない、どんよりと曇った日だった。しかし、その出会いは、目の覚めるような
鮮烈さを伴っていた。
洗練された装いを一目見れば、都会からの来訪者だと分かる。まだ秋口でも、この辺りは
既に風が冷たい。慧を呼び止めた人物も、スリムなレザーパンツに、薄手のセーターの
上から、更に薄手のコートをまとっていた。
「はい……そうですが」
見るからに純和風の出で立ちの慧と並ぶと、壮絶なギャップを感じさせる。
慧は、男とも女ともつかぬ、不思議な風を漂わせるこの人物が、しかし自分と同業者である
ということは、一目で分かった。
外見は、まぁ少々固そうなところもあるが、長身細身の女性のようで、それでいて女性にしては
鋭すぎる気をまとっている。この人物に対しては、男や女といったジェンダーは、不必要な
ラベリングであり、その存在には、何ら関わりも影響もない事柄のように思われた。
“彼”は、ニッコリ笑うと、数歩歩み寄り、
「初めまして。妙見青海といいます。今日は……ちょい、近くまで仕事に行くものですから、
ついでに。汀家のテリトリーで仕事をさせていただくからには、ご挨拶をと思いまして。
本家に伺いましたら、こちらとお聞きしましたので」
初対面でイキナリ看板をぶちまける体だが、妙な対抗意識なぞは、微塵も感じさせない。
「それは、わざわざご丁寧に……。お初お目にかかります、汀慧です。しかし、そんなお気遣いを
頂くほどのことではありませんよ。ご足労でしたね」
慧は、まぁマトモな人間には見えないが、害意のある人間にも見えないから、快く挨拶した。
そして、ちょっとの間、思案すると――
「妙見……と、おっしゃられましたか」
「えぇ。あなた方とも、縁浅からぬ名でしょう? 畏れ多くも、妙見尊星王の御名を姓に
いただいている家の者です」
「というと、もしや妙見教の……」
「そう。それに、雪とは腐れ縁」
「雪ちゃんと?」
驚いたように慧が目を丸くすると、青海はフッと笑って、
「雪ったら、ちっともあなたのこと、紹介してくれないんですもの。こんなに素敵な人を……狡いわよね」
「……は?」
「螢君とだって、ようやっと最近になって、会わせてくれたくらい」
「そうですか、雪ちゃんと……。螢君も、元気でしょうか」
「えぇ。ま……二人ともキレイだから、虫は付きやすそうだけど」
また慧が、「え?」と眉をひそめると、青海は少しうつむいて、そして顔を上げると、彼に向かって言った。
「近頃、雪の周りに、影が付きまとっているわ。――だからどうということではないのだけれど。
あなたとは違うタイプだってことだけ、教えといてあげる」
「……妙見さん?」
「アタシがあなたに会いに来たってこと、雪にはナイショよ?」
青海は、クスッと笑うと、きびすを返した。
「あのコってば、他人に寛大じゃないんですもの」
そしてまた、現れた時と同じように、風の如く去っていった。