+αへ 『末日聖徒』目次へ NOVELSへ TOPへ
4−2
「……ひとの顔、舐めないでよ」
「――これは失礼」
やっぱり全然謝る気のない、口先だけの言葉。その、偽りをも美しく語るであろう唇が、彼女の唇に触れる。
――血の……味がした。
舌に、自分の血の味が広がるというのは、なかなかエログロな感触を覚えさせるものだった。
あまり趣味が良いものとは思わなかったが、いつしかそれに酔うような倒錯感を楽しんでいた。
こうしていると、ほんの先刻まで自分が繰り広げた死闘のことなど、忘れるかのよう。
透麗の腕の中にある時は、いつも、夢にいるような心地にさせられる。
楽しいとか、嬉しいというのではない。何か……「惑わされている」――
透麗は、雪を抱いて、ゆっくりと立ち上がった。
「さて……これから、何処にあなたをさらってゆこう」
「やだ……冗談でしょ」
「あなたの心次第ですが」
「ダメよ――降ろして。もう、立てるわ」
そっと囁くと、彼はすぐに雪を降ろしてくれた。それでも心細やかに、その手は離さず。
「――大丈夫ですか?」
えぇ……と雪がうなずく時、屋上に駆け上がってきた人物がいた。
「……雪!?」
妙見青海だった。彼はすぐに雪を見つけ――そして、影小路透麗の姿をも見つけた。
「あ、ハルミ……大丈夫だった? もう、下の方は収まった?」
「――ええ」
青海は、じっと透麗を見据えた。
「……妙な所で会うわね」
「そちらこそ。お久しぶりですね、妙見さん」
透麗は、いつもの優雅な笑み。
「雪、ケガしたの?」
「かすり傷よ。――螢は、雄生に医務室に連れて行ってもらったわ。外傷はないし、すぐに目覚めると思う。
私もこれから行くわ。あ……透麗、これ、ちゃんと返すから! ……有り難う」
雪は、左手首の包帯を掲げて言った。透麗は、ふっと笑って、「差し上げますよ」と言った。
「雪、先に行ってて。あたしもすぐ行くから」
「……うん?」
青海の言葉に、雪はうなずき、すぐにその場を去った。
「あなたは行かれないんですか? ――青海さん」
透麗が尋ねると、青海は、
「いつも……『妙な所』だわ。偶然かしら?」
「そう考えた方が、運命的で夢がありますね」
ちょっと鋭い青海の視線に、透麗の笑みも、微妙に変化していく。
「――今夜の雪さんのご予定は、あなたとのお約束でしたか」
「そう。何だかハプニングに突入しちゃって、とんでもないデートになったけど」
まるで、恋敵でもあるかのような静かな敵意が、鮮やかに二人の間に閃(ひらめ)く。
「なるほど……『青海』。『青(はる)』……『東(はる)』か」
ふと気が付いたように、透麗が呟いた。
「――東を守護する者と、東を統べる者か。気が合うはずだ」
その言葉の意味を理解したかしなかったか。青海は、ふんっと溜息をついた。
薄笑いが口元を離れぬ透麗に、
「あなた……雪をどうするつもり」
「どう、というのは?」
「まるで恋人気取りのようだけれど。ちょっかい出してるのは何故?」
「雪さんには、私の心はちゃんと伝えてあります。彼女はいずれ……私の妻となる女性ですから」
青海は、息を呑んだ。くっと拳を握り、
「彼女は……雪は、あなたの『心』とやらを――受けたの?」
「いいえ。まだ全然。難攻不落の城のようですね」
その言葉に、ふうっと一息。そんな青海をクスッと笑い、透麗は、あの、人の瞳の奥まで釘付けにする、
美しい眼を青海にも向けた。
「そんなことより。……見ましたか? 彼女が持っていた刀。――あれは、『洸月(こうげつ)』ですよ」
「……こうげつ?」
青海は、眉をひそめた。聞き慣れない音だ。
透麗は、ふと自分の右手の甲に、血が付いているのを見つけた。雪の血だろう。
それを眺めるように、彼は話した。
「東の大陰陽師、汀家に伝わる刀です。その刃からは、いずこからともなく水滴がしたたり落ちるという
妖刀……。通常ならば、汀家直系の血を引く者、つまり汀家の当主たる者に、代々受け継がれる
ものだったと思うのですが。――何故、彼女が持っているんでしょうねぇ……」
ふ……と、彼の口元が、また異なる笑みを浮かべた。まるで、「何故」かを知っているかのように。
そして、彼は手の甲に、唇をつけた。
「何で……あんたがそんなこと知ってるの?」
青海の声は、冷たい緊張に澄んでいた。透麗は黙って微笑し、青海の横を通り抜け、その場を後にした。
* * * *
ゴタゴタに巻き込まれるのがまっぴらな雪達は、雄生にトオル君を担がせて、どさくさに紛れて
さっさと現場からトンズラこいた。そして、そこから一番近い場所であった、青海のマンションで一休み。
「……ホントに僕、そんなことしたの?」
「したした。もー、暴言吐くわ、目ぇなんか、こーんな吊り上がっちゃってさ」
雪がうなずくと、螢はフローリングの床の上で、クッションを抱えてうつむいてしまった。
何故床かというと、まだブッ倒れているトオル君がソファー一杯に寝ているからだった。
彼も、相当に消耗したらしい。他の皆は、床に円く座っていた。
「でも、あんたのせいじゃないからさ。責任感じることはないわよ。私も気にしてない。
あんたは無事だったし、怪我人も無かったし」
「雪に殴られた奴はいたけどな」
雄生がボソッと呟く。
「か弱き女性が、数人の男に寄ってたかって狼藉受けて、抵抗するなっての?」
「いや、そうは言わないけどさ、グーでアッパーはないだろ。あんなランボーな奴とは知らなかったよ……」
思い出しても肝が冷える雪の独りブチキレ状態に、雄生は今更ながら呆れた。
「占い師って、結構ヤクザな商売だからね。イザコザの中になってもこの美しさ、純潔! を守り通すのは、
容易なこっちゃないのよ」
ふんっと雪がエバると、青海がトレイに色とりどりのマグカップを載せて、やってきた。
「はーい、螢君から、好きなの取ってー」
「あ……どうも有り難うございます……」
遠慮がちに螢が手を伸ばして、一番小さいカップを取った。青海がクスッと笑ったので、螢は
「え?」と顔を上げた。青海はニッコリと笑って、
「嬉しいわ。可愛い螢君を、私の所に招待できて。会いたかったのよ、ずっと」
「は……? はあ……あの……、お、お邪魔しています……」
螢は、戸惑って赤面。いつまでも青海が螢を見てニコニコしているので、シビレを切らせた
雪が騒ぎ出す。
「ハルミー、ハルミー、私にもっ!」
「はいはい……ったく雪ってば、やっぱり大人げないわよ」
青海がトレイを回してやると、雪は二つカップを取って、
「はい、雄生も。……だけどさ、ホンットに、何も覚えてないの? 螢」
一つを雄生に渡してから、くるっと螢を振り返る。螢は、自分でも自信なさそうな様子で、
「うん……ロビーに座ってて……ちょっと席を立って……そこらへんから、プツリって……。
ごめんね雪さん、そんな怪我までさせて……」
「これはアンタのせいじゃないわよ。かすり傷だって。でも――なーんかアンタって、そういうの
多いわね」
何処からどうなったのか何も覚えていない。何じゃそりゃ、とボヤくと、螢が贔屓の青海は
うふふと笑って、
「まぁ良いじゃないの、雪。あの弦元の顔、見せてやりたかったわよ」
「良い薬よ、あのコレステロールおやじ。大体、アイツが半端な仕事なんかしなければ、
螢だって巻き込まれずにすんだのにさ」
“顔と体で売ってる”と言われたのが、そうとうカチンと来たらしい。
「でも、ちょっとハデにやりすぎたかしらね」
青海はテーブルの上にトレイを置くと、自分も螢の隣の床に座った。
「何しろ場所が場所だったからね。あのドサクサでカメラ回ってたら、ちょっと騒がしくなるわよ?」
「無視無視っ。放映しようもんなら肖像権侵害で訴えてやるもん」
「じゃ、モザイクかけるの? それじゃまるで犯罪報道特番じゃない」
青海はアハハと笑った。すると雪は、「ふむ」と、テーブルにカップを置き、ちょこんと座り直すと、
ちろっと雄生を見た。
「でもさ、一つ収穫あったかも。ね? 雄生」
「……何だよ」
急に雪にぴとっとくっつかれ、「気持ち悪いな……」と、雄生は硬直。
雪は彼の肩に顔を寄せ、
「霊感絶対値ゼロという希有な体質ゆえに、今まで『心霊現象なんて全てインチキだ〜』とか、
私のこともペテン師呼ばわりし続けてくれた椙本雄生さん。――さっすがに今回は、
その認識を改めてくれたんでしょう? あれだけのことを、目(ま)の当たりにしたんだもの」
「……ばっか言え」
ムッとして反論する雄生に、雪は「おっ?」。雄生は、ふんっとふんぞり返って、
「あんなのは集団ヒステリーだよ。そうでなくとも、あんな番組の収録にやってくるギャラリーなんざ、
みんな妙なことが起こるのを、心の底では期待してる連中だろうしな」
「まぁ、その要素は除外しきれないにしても……その集団ヒスに、あの場の全員が?」
「今日びの日本人は、みんなヤワだからな。見てみぃ! この俺のよーに、強靱な精神力の持ち主は、
何ともなかったじゃねーか。螢君は人一倍繊細だから、ひどく影響を受けたんだろ?」
「集団ヒスの様相は否めなかったけど。……ヤワに繊細、野蛮人は強靱な精神力か。
――ものは言い様だわね」
呆れくさった雪は、トンッ……と、雄生の肩を突き放した。
「ハルミ、聞いてよぉー。こいつってばね、螢のことヨメさんに欲しいなんて言ってる変態なのよー?」
「オメーと螢君のどっちかって、究極の選択を迫られたらだよ!!」
「まー、許せない抜け駆け。アタシも立候補しちゃおっかなー……ねぇ? 螢君」
「えっ……?」
青海にウインクされると、螢と雄生は、ヒクッと引きつった。
――また一人、アブナイ知り合いが増えてしまったようだ。