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          4−1

          凄まじい霊気の渦の中心は、上方だった。おそらくは屋上。……そして、そこに螢もいるはず。
          「雪、螢君が一体どうしたっていうんだ!」
          雪は、まっしぐらに屋上への階段を昇る。
          「――あの子の力が暴走している……多分、“封印”が解けてるんだわ。スタジオのあの騒動は、
           螢に誘発されてるはずよ。だから、螢を元に戻さないと」
          「螢君が誘発って……そんな、彼が他人に迷惑かけるようなことするはずないだろう!?」
          「あの子が好きでやってることじゃないのよ。今はきっとイッちゃってるし。電磁石みたいな現象って
           いうのかしらね」
          雪は、ようやくたどりついた屋上へのドアの前で足を止めると、ゆっくりと呼吸を整えた。
          「雪?」
          ハアハアと荒く息をつきながら、彼女の横に踏み出そうとする雄生を、雪の腕が遮った。
          「雄生……あなたはここにいて」
          「今更何言ってんだよ!」
          「ここにいて! ……私も螢がこういう状態になることには、経験が十分にないから、何が起こるか
           よく分からないの。螢の状態も、これくらいなら、まだ全開してはいないだろうけれど――」
          いつになく余裕のない、真剣なまなざしの雪に、雄生は息を詰まらせた。だが、彼もそれを押し込め、
          ぐっと身を乗り出して、
          「バカ言え! お前がナニ寝言言ってるのか俺には分からんが、危ないっていうことなら、尚更お前一人
           行かせられるか!」
          「いくらあんたが霊感絶対値ゼロでも危険なのよ! 私なら……万一、螢と差し違えても後悔しない。
           それくらいの覚悟はいつでもできてるから」
          「はあ!? ちょっ、雪……」
          「助けが要る時は呼ぶ! だから……お願いだから、ここにいて。」
          尋常でない雪の気迫が、びんっと雄生の頬を打つように迫った。
          「――お願い……!!」

          雪は、状況を受け止め切れないまま立ちつくす雄生の肩にすがり、懇願した。肩を掴むその手が、
          血の気を奪うほどに強かった。普段の彼女からは到底想像できない、血を搾り取られるような声。
          それは既に、哀訴嘆願だった。――雄生も、それを受け入れざるを得ないほどに。
          「……分かった。だが、待ってる。ここで待機してるからな。助けが要る時は必ず呼べ!」
          何やらワケ分からんが、とにかく雪のただならぬ様子に、何も問わず、雄生は言った。雪は、それを
          聞くとホッとしたように、彼の肩から離れると、こう言った。
          「――十五分待っても戻らなかったら……それまでには決着つけるつもりだけど」
          「そんなに待てるか! 五分だ、五分!」
          「……じゃあ、十分。良いわね?」
          絶対に。――二人の約束は、固い。

          雪はすぐに心を落ち着かせ、屋上のドアを開け、自分が外に出ると、すぐに閉めた。
          彼女の頬を打つように吹き荒れる風……いや、霊気の嵐と言って良い。
          雪は、まだ布に包まれたままの刀を片手に、つかつかと中心部へ歩いた。
          探すまでもない……青白い炎が示す方向に、螢はいる。
          「――螢……さぁ、“鍵”が来たわよ。元のサヤに収まりなさいな……」
          南西の方向から吹き付ける風を一身に受け、螢は立っていた。雪が声をかけると、フェンスに
          寄りかかっていた少年は、振り返った。全身からは、不穏な色のおびただしい霊気をほとばしらせ。
          「あーあ……やっぱり解けてら」
          雪は、螢の耳のピアスが姿を消しているのを確認した。別に、ピアスを外したら何かが起こるというものではない。
          あの石は、雪がプレゼントしたラピスラズリで、単なる『お守り』でしかない。だが、螢の内でバランスが崩れる危険を
          最小限に食い止めるものでもあった。
          「凄い霊気はタレ流してるし、目つきは悪くなっちゃってるし……!」
          ひょいっと横に避けたが、読み誤ってかわしきれず、頬が僅かに、風で切られた。雪は、ふっと笑い、
          「螢……うら若き乙女の顔に、傷を付けたわね。もう虎屋のヨーカンも、わかばの鯛焼きも買ってきてあげないから」
          別に、今の螢にそんなことを言って効き目があるなどとは思っていない。こういうムダ口きくのも、ギリギリに
          張りつめた緊張の中にあってこそだった。

          “オレを封じようというのか”

          螢のものではない、低い、荒れた声が、螢の口から飛び出した。普段は絶対に穏やかで優しげな螢だけに、
          今の彼の目つきは、背筋を寒くするほどに冷たいものに思われ、全くの別人といって良い程だった。
          それでも雪は冷静に、少しずつ間合いを詰める。
          「あんまり時間が無いんだけどね。下で持ちこたえてくれてるハルミのためにも――急いでるの。
           何処の悪霊か知らない、誰にそそのかされたのか知らないけれど、早く出て行きなさい。
           あんたも、たまたま螢の封印が解けて無防備になった所に居合わせたんで、憑いただけなんでしょう?
           今なら赦(ゆる)してあげる。早く帰りなさい」
          何故、螢の封印が解けたのか。それは、今考えても分かることではなかった。まぁ、ちょっとしたアクシデント
          のようなものだろう、と、雪はさほど深刻には考えなかった。その事故が偶然、同じ場所でハンパな除霊が
          為されている時に起こってしまったという、不運だろうと。

          “誰が手ぶらで帰るものか……お前ら諸共、地獄に叩き落としてやる!!”

          「まぁ、威勢が良いのね。でも……私を呪い殺せるかな? ――地獄から来たものならは、地獄にお還(かえ)り」
          邪霊に憑依された螢の口から、魂魄の固まりらしい蛇が、雪めがけて飛び出した。雪は懐から護符を抜き出し、
          それに投げつけた。
          「……グロいもん出すわね。私の可愛い螢のお口を汚さないでほしわ」
          この世のものならぬ絶叫を残し、蛇は消えた。
          「長虫(へび)で私を地獄に堕とそうっていうの? ちょいとチープな仕掛けじゃあない?」
          ザッと風が足下に巻き起こり、雪をなぎ払いにかかる。雪は身軽にフワリと飛び、大きく左に退いた。
          やりにくい……今更ながら、雪は舌打ちした。
          「わぉ!」
          息をつく間もなく、また風に切られそうになり、慌てて飛び退く。
          「螢、さすがに私、あんた相手に呪を使いたくないのよねぇ……とか言ってる場合じゃないか」
          ヘタに使えば螢に傷が付く。鏡のように返されれば雪にも傷が付く。だが時間はない。
          ――雪は、刀を包んでいた袋の紐を、クルクルと解き始めた。
          「螢……ご覧」
          雪は、彼女の護り刀を左手に持ち、右手を柄にかけた。チャッ……と抜くと、チラリ姿を見せた白刃が、
          妖しい光を放つ。
          「螢っ、戻りなさい……あんたの中の血が、呼ばれるでしょう!?」
          不思議なことに、雪がスラリと刃を抜くと、その切っ先から……ぴしゃっ……ぴしゃ、と、水滴が
          したたり落ちた。

          “何だっ、その刀は!”

          その光に怯えるのか、周囲の風は、激しくなった。雪の黒髪が、吹き上げられて舞い上がる。
          この雫(しずく)したたる妖刀は、汀家に伝わるものだが、現在は仔細あって、雪が所持していた。
          「恐ろしいでしょう。この刀は、お前を封じ込めることができるし、斬り捨てることもできるのよ。
           大人しく地獄にもどるか、それとも浄化の炎に焼き尽くされたいか!」

          “黙れ!!”

          螢を包む青白い炎から、五つの蛇が飛び出し、雪めがけて襲いかかった。

          「――曩莫三曼多縛日羅赧、戦拏摩訶路灑拏薩頗咤也吽怛羅咤悍漫!」
          蛇は、雪の声に跳ね返された。あとは、血。……血で呼び合う、宿命の血族。
          雪は唱え続けながら、自分の左手首より少し上に、刀の刃を押し当てた。
          キュッと引いた時、少し顔を歪めたが、それでも声は途切れなかった。
          そして妖刀から、水とともに、彼女の血の雫が、ぴしゃり、としたたり落ちた。

          “ヤメロ……ウルサイ!”

          螢――というよりは、その中に宿ったモノは、苦しいのか、両耳を塞いでよろめいた。
          雪は一層声を強くすると、刀を左に持ち替え、右手で護符を取り出し、それを自分の傷口に
          押し当て、真っ赤な血の染みを生々しくつけると、気合い諸共、螢の方へと投げつけた。
          そして刀を振りかぶり、凄まじいうなり声を上げる螢の脳天めがけて振り下ろさんと飛び上がった。

          螢の網膜を深紅に染めた護符が、切り裂かれた。

          「……螢!!」
          ふらりと後ろに倒れる螢を、雪が抱き留める。が、左手に力が入らず、抱きかかえるように座り込んだ。
          「螢、螢……!? 良かった……切れてない」
          雪は螢の顔にも体にも傷がついていないのを確かめるとほっと一息。
          「まぁ、取りあえずこれで収まる……はず……だな」
          すうっと、螢の周囲からあの青白い炎も、凄まじい霊威も消えたのを見て、雪はやっと笑顔が出た。
          気を失っている螢の髪を優しく撫ぜると、その額に口づける。

          「――雪っ!? 大丈夫か!」
          タイムリミットだったのか、ほどなく雄生が飛び込んできた。
          「あ、ここぉ〜」
          グッタリとした返事の雪に、雄生は血相変えて走ってきた。
          「怪我は!?」
          雪は、自分の左手をさりげなく後ろに隠すと、
          「してないしてない。それより螢を頼めるかしら。気を失っているだけだから、目が覚めれば平気だと思うけど。
           もう、下の方も、ハルミが押さえてくれた頃でしょう。医務室、あるんでしょう?」
          「お前は?」
          「私はちょっとこのまま座ってる。……疲れた」
          「……大丈夫なのか?」
          雪の腕から螢を抱き上げながら、宵闇に幾つかの光源のある屋上で、雄生は雪の顔色をのぞきこむ。
          「へーきへーき。何て言うか、走って疲れた〜みたいな感じだから。暑くてさ。ちょっと涼んでるよ」
          「……そうなのか?」
          「うん。大丈夫。ホント」
          いまいち良く分からない状態に釈然としないながらも、雄生は取りあえず螢を医務室へと運ぶことにした。
          それでも雪を振り返りながら。雪は貼り付いたような笑みで、右手で手を振ってその姿を見送った。

          「……はあっ」
          雄生の姿が見えなくなると、雪はどっと疲れが出た。左手首の傷からも、まだ僅かながら血が流れている。
          溜息をつくと、まず刀に付いた血をスカートでぬぐい、手を伸ばして掴んだ鞘に収めた。
          ふらりと立ち上がり、袋を拾うと、そこに刀を収め、紐を結び直す――と、そこで立ちくらみがして、
          ガクンと倒れた。
          「っ……たぁーっ……やっぱ、効いたらしいわね」
          何しろ相手が相手だから、ムリなやり方で自分に負担をかけてしまった。
          「あー、疲れた。……ホントに寝てよっかな」
          とてもじゃないが、しばらく動けそうにもないと思った。雪は座り込むと、ほてる体を冷やそうと、
          冷たいコンクリの地面に、ペッタリと倒れた。

          ――それでも……今回は、護刀(これ)があったからな……。

          とても疲れていて、体が熱い。血が流れれば、その分、力も弱くなる。
          「ハルミ……もう大丈夫だよね……」
          夢うつつの頭で、ボンヤリ呟く。
          そんな彼女の背後から、靴音が聞こえた。
          ゆっくり……近付いてくる。誰だろう――そう思っても、確かめるだけの気は起こらず、
          その気力もなく、どうでも良かった。

          靴音が止まる。
          彼女の体を、抱き起こす腕。
          「――お疲れ様でした。雪さん」
          あれ程に彼女を捕らえていた倦怠感が、その一声で吹き飛ばされた。
          「……透麗?」
          目を開けると、霞む情景の中心に、次第にハッキリと映る、男の面影。それは間違いなく、影小路透麗だった。
          「無茶をしますね……。傷が残るといけない。早く医者に見せるんですよ?」
          そう言って彼は、滑らかな肌触りの絹のハンカチで、雪の左手首の傷を縛った。
          雪はまだ少し、頭が朦朧としていて、
          「何で……あなたがここにいるの」
          「女優さんに花を届けに来たんですよ。――うちのお客様です」
          透麗は、左手で彼女の体を抱きかかえ、右手で、その頬の傷に触れた。
          「おやおや……顔にまで傷を作るとは。意外に不注意なお転婆さんですね、あなたは」
          「それだけで済んだのが、めっけもんだと思ってたんだけど……」
          咎められて拗ねる雪に、ふふっと透麗は笑い、その頬の傷に、口づけた。

          彼の舌の感触が、目元の側に生暖かく、くすぐったいような、快いような。



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