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3−3
「……あなた、随分私をなぶるのね」
ちょっとムッツリして雪が言うと、
「あなたがとても可愛いので、つい。どうしようもない男の性(さが)です。赦(ゆる)して下さい」
どうにもこうにも、この男は調子が狂う。大体、“可愛い女性”として扱われたことなどないから、
慣れなくて、何だか落ち着かない。相手のペースに巻き込まれているのだと思うと、癪に障る。
そんな彼女の心の内を、いつも見透かしたような透麗は、もっと癪。
「……いやになっちゃう」
思わず雪がぼやくと、
「そんなはずはないでしょう。あなたと私は、引き寄せられることはあっても、決してこれ以上は
遠ざかることのない運命の上に立っているのだから」
この、傲慢とすら言える確信に満ちた言葉は、何処から舞い降りてくるのか。不思議なのは、そのこと
よりも、一々ムカッとくるのに、赦せないまでには思えず、そのままこの場所にいる、彼女自身のこと。
雪は、自分の短気は誰より分かっているはずなのに、自分が何故こうしているのかが分からない。
「あなたのそのイカレ具合にも慣れてきたみたい。自分が怖いわ」
何かが近付くのを誤魔化すように、彼女は自分自身に呆れてみせた。
「だから私達は、互いに相応しいんですよ」
瞳に語りかける透麗――雪は、心臓の鼓動が早まるのを感じた。けれど、体が彼と密着しているので、
それを悟られまいと、必死に自制する。
こんなことは初めてだった。ときめきなんて可愛らしいものとは違う。困惑。勝ち気で、傲慢で、強引で
……それらは皆、常に彼女の特権であったはずなのに。
そっと背けられた彼女の面を、透麗の手が、彼に向かせる。目を逸らすことを赦さぬように。
彼の眼。雪は、分かりかけていた。常に感じていた危険は、彼の眼なのだと。うっかり見とれたなら、
心まで奪われる美しさ。それが、彼女を深い闇に誘(いざな)う。
「あなたは――我が妻となる女性だ」
「え?」
彼の瞳が、雪に覆い被さる。言葉を封じられたことで、問いかけることもできず……思考まで閉ざされる
気がした。体の中の、奥深くに眠っていた記憶が、ドアを叩く、遠いノックの音を聴く。
何故だろう……。呼び覚まされる感覚。彼が……彼の手が、眼が、唇が――すべてが“懐かしい”。
雪はその現象に戸惑いながらも、しばしの陶酔という誘惑から、逃れ得なかった。自分と、彼との内の、
「何か」が繋がっている。彼女に手によっては、とても断ち切ることなどできないものが。
――どうして……?
理性ではない。彼女にも理解できない場所で、何かが呼んでいる。思いどおりにならぬものが
自分の内で蠢くのを知った。熱い……溶けるのではと思われる程の何か。それが、彼女という
殻を破り、終いには彼女自身を支配するに至るのではないかという危機感に襲われる程。
雪は、ふっと意識が遠のき、その一瞬、全身から力が抜けた。間髪入れず、透麗の腕が彼女を
抱き留め、雪は彼にしがみついた。耳元で、彼の唇が笑っているような気がした。
「……やめて」
雪は、呟くように言った。貧血のようなめまいは、すぐに治った。
「何を?」
可笑しそうに、透麗が応える。あぁ、そうか……と、雪も溜息をついた。やっと自分の足で立てる。
「あなた……さっき言ったこと――どういうつもり?」
一息ついて、雪は尋ねた。
「『あなたは我が妻となる女性』……ですか? そのままの言葉のつもりです」
何の疑問もないように、彼は囁く。そしてすべての困惑は、雪に流れ込む。
「マジな顔して冗談言うのって、趣味悪いわよ。度を過ぎると、気分が悪いわ」
「では、ふざけた顔で本心を申し上げれば良いですか?」
こいつは……と、雪は心の中で舌打ちをする。
「あなたが冗談か本気かはどうでもいい。私の意志の前には、無意味だもの」
「私は急ぎませんから。ゆっくりと、本心を確かめるなりしていただいて結構です」
ついついムキになって、「何でよー!」と問いつめてしまいそうになる。だが、それも相手の
思うつぼだと、分かっている。そうなったら彼女の負け。……ゲームのルールが、やっと
飲み込めてくる。
「――あなたといると……退屈しないわね。恐ろしく悩ませてくれるんだもの」
信用できない男。だけど、彼の腕は心地良い。安心して寄りかかることが出来る。信頼してるわけでも
ないのに。いや、信頼していないからこそなのか。慧に対して消えなかったあの不安が、透麗に
対しては感じられない。彼を頼りにしたいなどと、雪は毛頭思ってはいない。しかし、その腕に
ある時はしばし、張りつめた体を弛緩させることができた。安全だとは思わない。けれど……
何故なのだろう。数え尽くせぬ謎が、次々生まれていく。
「ほんと……変わってるわね、あなた」
「あなたはとても素敵な女性ですよ、雪さん」
「……負けるなぁ」
不意に、クスッと笑ってしまった。それが自分でも意外だったが、ふっと心が軽くなった。
――彼が、自分にとってどんな意味を持つ人間であるのかは、釈然としない。けれど、そんな
危なっかしいシチュエイションも、悪くないような気がしてきた。きっと……「不毛」を、
絶やさずにいてくれることだろう。
* * * *
自宅に戻ったのは、まだまだ健全な、23時という時間帯。チャイムを鳴らそうと思ったけれど、
ノヴを回すと、鍵は開いていた。おまけに、玄関には来訪者の存在を示す、男物の靴。
「……螢ったら、私の留守にオトコ連れ込むとはね」
普段、友人一人連れてきたことのない螢にしては珍しいことだと、結った髪を解きながら
ダイニング・キッチンへ。
「螢ーっ、ただいま! お茶入れて!」
ばーんっ、と扉を開けて入ると、丁度正面に居たのが、椙本雄生。入り口に背を向けていた螢は、
椅子の背もたれに手をかけ、振り返った。
「雪さん、おかえり」
雪が、「ん?」と見ると、雄生は目を真ん丸にして、椅子から転げ落ちそうになっていた。
「あら椙本さん、今晩は」
「今日、夕食にご招待したんだ」
「ふーん」
螢が立つと、雪が代わりに、テーブルの周りの椅子に座った。その隣で、やっと落ち着いた
らしい雄生が、しみじみと。
「……香港帰りのヤクザの情婦(イロ)みてーだなぁ」
「余計なお世話よ。ひとんち上がり込んどいて、口を突いて出る言葉かしら」
まだ体が火照る雪は、手で顔を扇ぎながら言った。
「マジでびくったぁ……うわっ、すっげぇスリット」
「見る? 見たい?」
意外にウブな雄生、見たいような見たくないような、おっかなびっくり。
「何だよ、仮装大会の帰りか?」
「でえとよー」
「……どんなヤローだよ相手は。かなりキテるだろ」
「ま、そうね」
皮肉のつもりが、その通りだったから雪には通じない。
「雪さん……それって、この間の人?」
ちょっと複雑な表情で、ティーセットを運んでくる螢。
「そうよ。あ……面白くないんでしょー螢」
意地悪く、雪は螢の肩をつつく。
「今までだって色んな人とデートしたけど、なーんも言わなかったじゃない。どうして彼だけ、
面白くないの」
「別に、面白くないとかじゃないよ。……あの人は、何か違うから――今までの人とは」
「ふーん?」
雪がニヤニヤしているのが気がかりなように、螢はそっぽ向いて、紅茶をカップに注ぐ。
それにまとわりつくように、雪が腕を絡ませる。
「だっからぁー……私は螢の方が大事だってば!」
「きっ、きよむさ……」
螢の入れてくれた紅茶片手に、もう片手で螢を引き寄せ、マウス・ツゥ・マウス。ガッターンと音がして、
雄生が今度こそ椅子から転げ落ちた。
「雄生さん! 大丈夫ですか!?」
螢が驚いて駆け寄る。
「あら、もう『雄生さん』って呼ぶ仲なの? あっやしいわねー」
雄生は、「教育的指導!」と笛を吹き鳴らすPTAのように顔を真っ赤にして、腰を抜かしていた。
「お……オマエって女はー!」
「え、なぁに?」
雪は、すずし〜い顔で、紅茶にご満悦。雄生は引きつりながら、手を貸してくれる螢に耳打ち。
「……雪、酔っぱらってんのか?」
「いえ、結構いつもあんなです」
「……」
アブナ過ぎる――と冷や汗流しながらも、螢の方が絶対に健全そのものなので、気を取り直して
椅子に座り直す。雪は、はぁーっと溜息をついて、
「まったくぅ〜、螢も年頃で、微妙なのねー。難しいわ、思春期の少年の心って」
「そう思ったら、もっと大事にしてやれよ。家事労働一切やらせて、よっく言うぜ。――オレはね、
螢君の、涙ぐましい健気さに感動ましたよ。毎日毎日、埼玉の山奥から学校通ってねぇ!」
「なによー、埼玉をバカにする気〜?」
「違うっ、朝から家事して、夜も家事して、それで尚かつ、都心の学校に無遅刻無欠席で通ってるって
ことの偉大さを言いたいんだ俺は!」
「すればー。感動でも何でも」
あほらし〜と雪が紅茶を飲み干す。雄生はムキになって、
「おー、感動してるぜ! 俺は、オメーと螢君、どっちをヨメさんに欲しいかって聞かれたら、迷わず
螢君を選ぶぜ! マジで!」
「……そおゆう趣味だったわけ?」
ヘンタイちっくぅ〜、と雪が顔をしかめると、
「たとえだ! あくまでも!」
「螢〜、気を付けなさいよー。うかつに他人に肌見せちゃダメよ? 一人で公衆トイレ入らないようにね」
「雪さんてば……」
こんな具合で、アブナイ涯見姉弟と椙本雄生は、断ち切りがたい絆で、しっかり結ばれていくのだった。
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