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          3−1

          雪が一日の仕事を終えて帰ると、この間、彼女が買ってやったピエール・バルマンの割烹着
          (結構ハデ)を律儀に着用した螢が出迎えた。
          「あー腹減ったぞ螢。今日も私は良く働いた!」
          「雪さん、じゃ、ご飯が先?」
          若奥さんのような会話が交わされる。
          「ほい、土産」
          ヒール片方脱ぎながら、ぬっと突き出した紙袋。螢はニッコリ笑って、
          「あー、“東京ばな奈”だ。有り難う、雪さん。でも、うちだけでこんなに食べきれるかなぁ」
          「んなコト心配しなくったって、すぐに消えてなくなるでしょ。あんたときたら、ヘーキで羊羹一本
           ペロリなんだもん。私なんか、あんな甘いの、一切れでも歯茎がジンジンして食べられないのに」
          「あぁ、雪さん。贈り物(プレゼント)が届いてるよ」
          「――へ?」

          ダイニング・キッチンに足を踏み入れた瞬間、雪は眼を丸くした。
          「うっ……わぁー、凄いじゃないの、ナニこれ!」
          半分呆れていて声が醒めているが、彼女の目前の光景は、それこそ目の覚めるようなものだった。
          「二時間位前に届いたんだけど。夕飯の支度しながら活けちゃった」
          リビングのテーブルの上だけでなく、キッチン・テーブルの上、あちらこちらに、花瓶や一輪挿しで
          紫色の薔薇が活けられていた。全部を集めたなら、二抱え分にはなるかと思われた。
          「大変だったでしょ……活けるだけでも」
          まずは、純粋な感想。螢は特に疲れた様子もなく、
          「少しね。でも綺麗だったから。これ、カード」
          渡されたものの、それを読むまでもなく、こんなことをやりそうな人物には、何となく予想はついていた。

          “花の色の褪せぬ間に 我が花園へのご来訪 お待ちしております”

          そして、影小路透麗の署名と、電話番号。雪は、キッチン・テーブルの上の花瓶から、薔薇を一輪
          抜き取ると、香りを愛で、溜息。
          「……速水真澄かね、あの男は」
          吹き出したくなる程、少女漫画趣味だ。
          「今回はまた凄いねぇ雪さん。お花って、結構高いんでしょ? それに、あんまり見ない色だし……」
          これまでにも、雪のファンだったり仕事の謝礼だったりの贈り物は、折ある事に届いていたが、
          こう飛び抜けてハデなのは久しい。
          「ほっほっほっ! あんたのおねー様に魅せられたオトコが勝手に貢いだだけよ。
           ――どんなに高かろうが、私は食えない薔薇より、螢のご飯の方が良いもんねー」
          雪は笑って、薔薇を花瓶に戻した。


          一日の疲れを癒すのは、たっぷりのバス・タイム。美容のお手入れも抜かりなく。お風呂も、毎日
          螢が準備してくれる。最近は変わり湯に凝っているらしく、雪も楽しませてもらっている。
          今日は、グリーンのハーブ・バスだ。
          「ふーっ……極楽〜」
          女性は風呂好きが多いが、雪も多分に、それに漏れない。性格を見ると、何もストレスなど
          たまらないと思われる方もいるかもしれないが、なにぶんに客が命の客商売。雪も、色々と
          堪え忍ぶことがある。疲れはその日の内にケアして取ってしまう、がモットーの彼女にとって、
          螢の食事と入浴は、必要不可欠のアイテムだった。
          ふーっと息をつき、湯船の縁に肘を載せながら、ちょっと考える。
          そして、うんしょっと手を伸ばし、コードレス・フォンを取った。

          「――素敵な招待状を、どうも有り難う」
          ナンバーは、透麗へのホットラインだった。
          「お気に召しましたか?」
          「えぇ。なかなかケタ外れの貴族趣味で、持参したのがあなた自身だったら、その場で大爆笑してたわね」
          「で、お受けいただけるんですか?」
          雪は、すぐには応えず、チャプ……と湯音を立てた。
          「……そうね。折角のご招待だもの。それに、あなたみたいな人からの誘いは、断れないわ」
          「では明日、お仕事が終わるころ、お迎えに上がります」
          「明日?」
          「急すぎますか? 本当は今夜にも、あなたをさらっていきたい程なのですが」
          思考の中では「ナニいってんだヴォケ!」と笑い飛ばしているのだが、何だかこのアホらしい
          やりとりにも慣れて、自然に自分も合わせるようになってきた。
          「良いわ。約束しないと、今にもさらわれそうだもの」
          雪は、ちょっと冷たく冴えた声で、
          「あなたには……聞きたいことも、色々とあるし」
          「嬉しいですね。もうそんなに私のことを考えてくださっているんですか」
          「そうね。憎らしい程に。これが恋かしら?」

          電話を切ってから、雪は大きな溜息。そこはかとない自己嫌悪。ずずっと湯に滑り、ぶくぶくと
          沈んでいった。
          「……ぷはっ」
          しばらくしてから浮上して、ぐっと顔を両手でぬぐう。そして浴槽の縁に肘をつくと、
          「あぁっ……不毛。あんな男と暮らしたら、きっと毎日が不毛だわ」
          呆れたように呟くが、その「不毛」が、「退屈」よりも、ずっと魅惑的な響きを持つ言葉であることを、
          その時の雪は、気付いていたであろうか。



          * * * *


          汀家に戻った慧から送られたファックスには、影小路家についてのことが記載されていた。
          しかし、特に参考になるような箇所は無かった。影小路家の現当主の透麗の経歴にしても、
          別に特に変わった点はないし、幼少時から現在に至るまで、瑕疵一つ無い。
          問題は、影小路家の成立についての記録だった。不明瞭な点がいくつも見受けられ、事実と
          事実の間隙を、推測で補っているからだった。ともかくそれによれば、影小路家は古きより
          朝廷に仕え、陰ながら保護されてきた。外法師として、非公式ながらその生業ゆえに庇護を
          受けたということだ。
          「いわば、公認陰謀組織だ。え……古くは汀家とも血を分ける……?」
          雪は目をパチクリさせた。あの男と自分とは、それこそ何世代前か分からぬほど遠いながらも、
          縁戚関係にあるのだろうかと。
          ――透麗は、やはり雪が汀家の人間と知っているのか。だとしたら、何故彼女に近付くのか。
          この、夜も眠らないような時代に、陰陽師の腕比べもないだろう。考えただけで馬鹿馬鹿しい。
          大体、こんなに手軽に分かるような影小路家の情報に、どれ程の信頼性があるものか。
          不審な点が一つもないような透麗の経歴にしても、はたしてそれが真実なのか。あれだけ怪しい
          男が、「不審な点がない」など。

          影小路家が、汀家同様、陰陽師の家系だと知り、雪はあの透麗も、彼女と同様の宿命の下に生まれた
          人間なのかと考えた。影小路家が現在もその営みを続けているかは、不明とされているけれど――
          古来より、日本の歴史に少なからず影響を与えてきた存在……陰陽師。時として絶大な権力を持った
          それらの一族も、数、質ともに、次第になりをひそめるようになって久しい。時代の節目節目に頼られると
          同時に畏怖され、敬意を抱かれながらも疎まれ、繁栄の時にも、決して安住できる身分ではなかった。
          近代では戦前にも大規模な弾圧が行われ、今では陰陽師を名乗る者も希だった。逆に、自由が保障
          される世の中になってからは、新出の「占い師」と「神」が、種々増えたのだが。
          身を潜めた者、生業を捨てた者。その中で、今もってそれを生業とする汀家は、かつて東を霊的に
          統べる一大勢力だった。アナクロニズムとしか思えぬようなこの生業が完全に消滅しないわけには、
          やはりそういったものに頼る心が、人々の内からは消え去らぬということがあげられる。
          “自称”霊能者や陰陽師は、探せばいる。しかしどの世界でも、「本物」は少ない。それに、実際に
          大きな力を持っていたとして、それを完全に制御できず、いたずらにその力に振り回される者もいる。
          自分は神になったと錯覚して、鬼道に迷う者は、古今東西を問わず、常に存在してきた。
          陰陽師は、その名の通り陰と陽の気を操る。しかし「気」そのものには、善や悪はない。そこにおける
          陰と陽とは、エネルギーの質の違いに過ぎず、その色を染めるのは、人の心。それ自体は無垢な、
          可能性を持てあます赤子のような存在。陰陽師は、いわばそのバランスの自然律を、ほんのわずかに
          動かし得る存在であり、全くの無から何かを産み出すわけではない。

          雪は溜息をついて、資料をデスクに置くと、椅子に座った。
          いくら汀家が陰陽師としては古い血筋であるとはいえ、「陰陽師」などという存在そのものを知らぬ
          人間の方が多いと思われる現代に、汀家についての知識が有る者が、そうそういるとは思えない。
          だが、もし影小路家も、かつての通り、今も陰陽師であるとすれば、雪と汀家について知っている
          可能性は、高くなる。ただ、その肝腎の、影小路家が現在も陰陽師の生業を受け継いでいるのかが、
          謎のままなのだが。大戦時のどさくさに紛れて、情報が空白になっている。意図的なのか、事故なのか。
          戦後の動向が全く分からない。
          世界大戦中、宮廷のお抱え術者の中にも、戦争の敗北を占朴によって示した為、終戦まで幽閉された
          者がいた。軍部主導によって推し進められた近代合理主義とファシズムの中で、徹底的な霊能力者狩りが
          おこなわれたために、歴史ある陰陽師の家系の中には、その一子相伝にして秘伝の呪法が絶えてしまった
          ものもある。汀家は、既に数百年も前に都から離れ、地方に拠点を置いていたためか、さほどの追求は
          受けなかったが、睨まれていたことには変わりはなかったという。だが、影小路家はどうだったのだろう。
          現当主という透麗の家族構成にしても、父親は十年以上前に逝去、代々のしきたりなのか、母親の名は
          秘されており、完全なる長子相続のシステムらしいが、他に兄弟がいないとは言い切れない。
          その辺りは前時代的な秘密主義の香りを感じさせるが……。
          「大体、今の世の中に陰陽師なんて、ちまちまとマトモにやったらワリ合わないよ〜。インチキだったら
           もうかるだろうけど……ボランティアみたいなものよね。だから私なんて、占い師稼業でお茶濁して
           るんだけど」
          結局のところ、紙からは何も分からない。となると、やはり「彼」に直接聞くのが早いか。
          ――あの芝居がかった男のペースに負けないためには、こちらも悪ノリで対抗するしかない。



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