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2−4
「――慧ちゃん、もう良いわ。大丈夫だから……」
呪を唱え続ける慧の手を、そっと握って雪は言った。慧はそっと目を開けると、彼女を見つめて
優しく微笑んだ。
「……心配だからね。まだ手を離したくないし」
「ばか……無理しないで。まだ仕事、終わってないんでしょ? それなのに、私の為にそんな」
雪は、慧の手に支えられながら、ベッドの上で体を起こした。
「雪ちゃんとは、何も代えられないよ。それより、一体どうしたんだい? よりによって、そんな場所に
自分から迷いこむなんて」
雪は、改めて慧に言われると、流石に恥ずかしく、情けなかった。
「気が立ってて気付かなかったなんて……子供みたいね。でも、まんまとワナに引っかかったって
方が正しいのかな」
「……誰の?」
やはり、ポイントは外さない。雪は、ふぅと息をつくと、肩をすくめた。
「ハッキリはしていない。けど、例の、妙なお客派遣業者だと思う。タイムリーに考えてね。
そいつの式らしいのを追ってて……気が付いたら、逢魔が刻に捕まってた」
「正体は突き止めたのかい?」
「ううん。……心当たりはできたけど、確信は無い」
「――手伝うよ」
「いいわよぉ、私のことなんだから」
雪が何てこと無さそうに笑うと、慧が、突然彼女を抱き締めた。
「慧ちゃん……?」
日頃穏やかな彼を思うと、ちょっとびっくりの突発的な行動だった。
「お願いだ雪ちゃん……独りで無茶をしないでほしい……! 君はいつだって僕に内緒で、
何でも独りで……今日だって、本当はもっと何とかできたはずだろう? なのに君は、
螢君を巻き込まないために、危険を冒してまで……」
――彼には、すべてお見通し。雪も、溜息しか出なかった。
「本当は、ずっと君の側にいたい。君が自分の身を護ろうとしないのなら、僕が……」
ずっとこのまま、彼の腕に凭(もた)れていたいような気もした。彼に護られて……。
でも、きっとできない。雪は、燃え上がれない感情が悲しくなる。
「慧ちゃん……有り難う。本当に嬉しい。でもね、私……私ね、螢には呪を使わせたくない。
陽でも陰でも。そう誓ったの、自分の命にかけても」
ここに自分を抱き留めてくれる腕があるのに。ただ彼女自身が、それを受け入れない。
もどかしさ、苦しさが、自分の矛盾を責め立てる。
「分かってる。でも君の人生も君の命も、君のものだ。螢君だって、時が来れば、自分で自分の
身を護らなくてはいけなくなる」
「分かってる……分かってる、でも今は……私が護らなきゃいけないのよ、あの子は……
身に余る力に引きずられて壊れてしまう、そうなったら私、生きていけない……たとえ慧ちゃんが
支えてくれても……」
ひどいことを言っていると、知らないではなかった。しかし今慧を傷つけても、彼の手を取ることは
できなかった。幼い頃から共に育ち、いつしかほのかな想いの芽生えに気付いた頃――その頃から
既に、雪は何とはなしに予感していた。きっと……彼と一緒になることはないと。彼の優しさに触れる
度に、心痛む程の震えの中に、その悲しい予感は募っていった。優しいから。彼は優しいから、
その優しさの中に溺れてしまいそうな自分を予見し、彼の優しさに身を委ねることを恐れた。
切なさに、胸が痛んだ。受け入れられないのならば、拒絶すれば良い。なのに、こうして中有を
漂うような曖昧なまどろみから抜け出せない。慧を完全に失いたくはない。そんな自分の身勝手さが、
許せない程に辛く、彼女を苛んだ。御免なさい、御免なさい――心の中で繰り返される言葉も、
口に出しては負けてしまいそうで、声にならない悲鳴のように、頭に響く。その叫びが聞こえた
かのように、慧の腕が、ぎゅっと強くなった。
「良いんだよ。君が螢君を護りたいと思うように、僕は雪ちゃんを護りたい。だからせめて、
どんな些細なことでも良い、君の為に何かしたいから、いつもこうしているんだから」
涙ぐみそうになった眼を、手の甲でぬぐい、雪は、そっと慧の腕から離れた。
「それならお願いしたいことがあるの」
いつもの、悪戯なような、真剣のような――誰にもなかなか素顔は見せない雪に戻っていた。
重苦しい上着を脱ぎ捨てるような、一瞬の刷新だった。慧も、それに何か寂しさを感じながらも、
それがまた彼女の回復を示すことでもあり、休心した。
「慧ちゃん。影小路って名前……聞いたことない?」
その名を聞くなり、ひそめられた眉から、心当たりのあることは明らかだった。
「知ってるのね」
「聞いたことがある程度だけど。本家に戻れば、詳しいことは調べられると思う」
「何者なの?」
「まだ存続しているのかは知らないけど……確か旧華族だね」
成程……と雪は頷いた。『男爵』の呼び名は、ダテではなかったらしい。
「そんなやんごとなき血筋のお家が、どうして汀家の情報ファイルに入ってるの?」
「陰陽師だからだよ」
「――は?」
雪は自分の耳を疑い、まじまじと慧の顔を見直してしまった。
「いま……何、て?」
「宮廷の陰陽師だったと思う。表向きは、ただの華族だけど」
「『表向き』って、まさか……」
――外法師。雪の視線に、慧は頷いた。
「つまり呪殺とか……」
「勿論、吉凶を占うこともしていただろうけど。……正統陰陽道を掲げる汀家だからといって、
どちらも同じ呪うものだということは隠しはしないけど、それを専門にやっていたとすれば、
それは呪禁師(じゅごんし)。闇の一族だよ。陽の当たるところは歩かれない連中だ。
だけど精々戦前の話だと思うから、今もその家が続いているかは……」
「それだけ分かれば、取りあえず充分よ。流石、慧ちゃんね」
少しスッキリしたような雪に、慧はハッと眼を細めて、
「まさか雪ちゃん……今度の相手が、『影小路』だっていうのか?」
雪は特に隠しもせず、
「本人はそう名乗ったのよ。でもそいつが仕掛け人かどうかは、まだ憶測の域を出なかったけど。
まさか陰陽師だなんて、そんな風には見えなかったから。私にちょっかい出してくるのも、汀家の
名前を出してくることもなかったし……。ただ、今の慧ちゃんの話を聞いちゃうと、偶然の一致にしろ
何にしろ、気になるわね」
雪は溜息をついて、枕に寄りかかった。そして頭をクシャッとかくと、
「でも、分っかんないなぁ。私を汀家の人間と思ってちょっかい出してるなら、筋違いも良いトコだし。
何でお客を送り込んで来たりしたのかな。まるで、無理矢理私に仕事をさせようとしたみたい。
私が邪魔なら放っておけば良いのに。営業妨害ってのとも違うしなぁ」
汀家へケンカを売るのであれば、現当主は慧だ。雪は事実上、汀家とは縁を切っている。
「確かに、紛れもなく汀の血は引いちゃってるけどさぁ。先代当主の娘だし……でもあの家とは
縁を切ったんだし、今更私に何か有ったところで、汀家に何の影響があるわけでもないし。
何考えてんだか」
あの、何もかもが飾り立てられ美しいのであれば、虚飾と知っても愉しむような男のことを思うと、
雪は、その本心を探ることも、愚かな所業のように思われた。愉しんでいる。ただそれだけなのかも
知れない。ちょっと退屈をしのげるような玩具を見付けたから……
「――あまり大仰に考えないでね、慧ちゃん。まだあいつがやったっていう証拠も、確信もない
状況なんだもの」
「彼というと、男なのかい?」
「えぇ。慧ちゃんより、ちょっと上だろうな。“薔薇龍”っていう高級飲み屋に遊びに行ったら、
そこの持ち主だっていうから仰天よ。お貴族っぽい男だとは思っていたけど」
慧とは、全く正反対と言って良い性格の透麗。彼もまた優しげな外見はしているが、どうも
それが信じられない。冷酷さとは違う、冷たい微笑が離れず、しかしそれすら人を惹き付ける
魅惑に満ちている。
「じゃあ、本家に戻ったら、できるだけのことを調べるから」
「お願いします」
「取り越し苦労だと良いんだけど。どちらにせよ、あまり深入りしない方が良いよ。もしその男が
汀家のことを知った上で君に近付いてきたのなら。……雪ちゃん?」
慧が彼女を見ると、にっこり笑う彼女の表情は、すっかり元の調子に戻っている。ちょっと意地悪な、
でも何処か甘えた様子で。
「……さぁね。それは自分で考えて決める」
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