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「――『男爵』とかいうバカみたいな通り名の男に、あなたの恋人が逢いに来たと伝えて。
私は会員じゃないから、中には入れないの。彼が会いたくないというのなら、このまま帰るわ」
「涯見雪様でございますね。お待ちしておりました」
しぶ〜い中年の案内人に先立たれ、平民の雪は、“薔薇龍”の奥へと招き入れられた。
あの男に言われるままに来てみたものの、『男爵』が何者であるのかは、いまだに一向の見当も
付いてはいなかった。しかし、「待たれていた」のであれば、悪い気もしない。
「あなたってば、そんなにお優しい顔をして、本当につれない方なのね……憎らしい人」
「おや、マダムのご機嫌を直していただかなければ。ご所望は?」
光り物の衣装に埋もれそうなザマスな厚化粧夫人と、立ち姿も涼やかな男が、行く手にあった。
「まぁ。でしたら今度こそわたくしの招待を受けていただくわ、『男爵』」
――ホストだったのか、あのオトコ。
天鵞絨(ビロード)に宝石箱をひっくり返したような薄闇に、あの男がいた。どうやら彼にご執心の
有閑マダムに捕まっているところらしい。
「鷹司の絢子様が、あなたとのことを何やら仄(ほの)めかしていらしたけど、どうせ出任せでしょう?
あぁ、嫌だこと……」
夫人が彼の手を引いて、自分の隣に座らせようとする寸前に、案内人が雪を残したまま歩み寄った。
「――失礼いたします、オーナー」
雪は、げっ、と背中を殴られたような声を出しそうになった。店主(オーナー)、こんな若造が……と
思う間に、案内人が男の耳元にヒソヒソ。彼は軽く頷き、
「……マダム、申し訳ございませんがちょっと失礼いたします。どうか今夜もごゆっくり」
「行ってしまわれるの? もう……今度は本当にお連れしてよ?」
なかなか手を離そうとしない夫人を邪険にすることもなく、あくまで優婉な笑みでするりと手を解き、
男はその場を後にすると、雪の方へと歩み寄った。
「ようこそ……お待ちしていました」
限りなく優雅な手が、彼女の手を迎えた。
どうぞ――と通されたのは、どうやら彼のプライベート・ルームだった。
「今宵も一段と麗しい。まずは再会を祝して」
相変わらず頭のネジがふっとんだような言葉を、ごく自然に口にする。男はソファーに座らせた
雪の背後から、黄金色のワインを注いだグラスを差し出した。
「では改めて……ようこそ、“薔薇龍”へ」
チリン、とグラスが鳴る。
「あなた、オーナーですって?」
「お気に召しましたか? こちらは」
「華麗にして醜悪破廉恥な仮面舞踏会(マスカレード)とでもいったところかしら」
辛辣な口調も心地よい刺激であるかのように、彼は、
「そうでしょうね。世界中の何処よりも、この都市にこそ相応しい、快楽の瞬きのような夜を繰り返す
不夜城です」
雪はグラスを揺らすと、背後の彼を振り返りもせずに問いかけた。
「そろそろ、名前くらい名乗ったら? 『男爵』もイカレたあなたらしい呼び名だけれど、一歩間違えると
ホストの源氏名だし」
すっ……と冷たいものが、彼女の首筋に触れた。
「お返ししましょう」
いつぞやの夜、彼女が彼に投げつけた小柄(ナイフ)だった。雪は無言で、それを受け取った。
男はゆっくり正面に回ると、バルコニー寄りの壁まで歩き、振り返った。
「申し遅れて失礼いたしました。影小路透麗(ゆきつら)といいます」
「――あんまり変わらないのね。アヤシゲでお耽美なお貴族様みたいな名前」
彼は微笑して、
「自分で選んだ名前ではないので、何も申せませんが」
「良いんじゃないの。似合ってるわ」
クイッとグラスを空けると、雪は立ち上がった。
「で、エラく育ちが良さそうな割には手癖の悪い『男爵』」
「透麗で結構ですよ、雪さん」
「――何故、私にちょっかい出すの?」
「ロマンに欠ける表現ですね……ここに一人、男がいる。そして美しい女性がいる。どんな謎があると
お考えですか?」
「言ったでしょ。口の中でも外でも……あなたの舌は信用できないの」
気を付けないと、この男のイカレたペースに呑まれる。雪は少しピリピリしていた。
「あなたを欲しいというのは真実ですよ」
「理由は?」
透麗は、厳しい口調の雪にも、あくまで崩さぬ優美な体勢。彼女の座るソファーの肘掛けに手をつくと、
「語り明かしましょうか?」
「そんなバカ話、付き合って聞く気は無いわね」
切れ味の言い雪の言葉に、透麗の口元がほころんだ。
「本当に……不思議なのはあなたの方ですよ、雪さん。どんなに崇拝者が現れようと、誰一人として
あなたの心を掴める者はいないし、あなた自身、そんな者を欲してはいない。おそらく今のあなたに
とっては、御自分の安息に恋人など必要なく……弟君だけが大切なのでしょう」
螢について言及されると、雪は黙り込む。うかつなことを喋るまいとする警戒心は、しかし男の予想した
リアクションだった。透麗は、視線を逸らす雪の横顔に囁いた。
「そんなに大切ですか? 確かに、愛らしい少年だ」
「あの子は体が弱いから……私が保護者として責任を持って養ってるの」
「弱い? そうでしょうか。私には、彼は何やら、とてつもなく大きな力に護られているように思えますが」
「――あんたの本当の目的は、螢なの?」
雪が振り返ると、二人の距離は、数センチ。今にも食ってかかりかねない雪。そんな彼女に対しても、
透麗の微笑は、揺るぎもない。
「いいえ。だが螢君を手に入れてもあなたを手に入れることはできないが、あなたを手に入れれば、
螢君をも手に入れることになる。そんな風には思います」
何か言おうとする雪の唇に、彼がスッと指を当てた。そして彼女の手を取ると、夜景も美しく映える
バルコニーへと導いた。
「ご覧なさい。美しいでしょう? 歓喜に咽(むせ)ぶ人々に溢れ、輝いている。この都市は、
いまが最高潮です。燃え尽きる寸前に、比類無い輝きに身をうねらせる超新星――後はもう、
萎えるだけだ」
彼は、うっとりと、夜景を眺めて言った。そして雪を見るその瞳は、刹那に喘(あえ)ぐ都市の灯よりも、
深く、美しい。雪も思わず、その瞳に引き込まれそうになる。
「……とても悲しいことだとは、思いませんか?」
「滅びを知らぬものなどないわ。……仕方のないことよ」
素っ気なく言ったつもりの言葉も、透麗につられ、微妙な感傷の色に、その糸を染めていた。
それに気付いたからか、透麗は彼女に手を伸ばした。
「同じ滅びるにも……もっと美しい破滅の仕様があるでしょう」
彼女の髪に手を差し入れ、その額の生え際に口付けた。雪が、ついっとガラスに向くと、
その後ろから腕を回す。
「老いさらばえる人間と同じく、虚しく時をいたずらに重ね、萎えていく生命と――その最高潮に
おいて、自ら滅びに身を擲(なげう)ち、最期の瞬間まで享楽の輝きに満たされて破滅する生命と。
……あなたは、どちらを選びますか?」
「取りあえず今は、死ぬことは考えてないわ。それ相応に身を慎んで生きれば、まともな死に方が
できるでしょ」
「あなたは、本当に、そんなものを望んでいるのですか?」
「え?」
耳元で囁かれた言葉に、雪はゾクッと身を震わせた。
「偽善の禁欲に生き、干からびて死ぬか自殺するような聖職者擬(もど)きの生き方の、何処が
面白いんです。それよりも、色鮮やかな罪に彩られ、その永遠の美の名の下に、神の怒りに触れて
滅ぼされる方が、綺麗だとは思いませんか? ――私達は、驕(おご)り高ぶって咲き誇っても、
翌日には燃えさかる炉の中に投じられ灰となる華のように、永遠の業火に焼き尽くされようとも、
その炎にすら喘ぎながら自らの罪業に溺れ、真っ白な灰を残すまで、夢に酔い続けられる」
「あなた……思想が破滅主義者的だわ」
呆れ返ったように雪が言うと、透麗は動かぬまま、ガラスに映った彼女を見て呟いた。
「あなたは……私がそれを実行すると言ったら、どうしますか?」
「この都市を壊滅させるとでも言うの? 別に。どうもしないわよ」
「この都市を私の手から護りますか?」
「あいにく埼玉県人だから、この都市に義理はないの」
「私はあなたを選んだんですよ。雪さん」
透麗は冗談を言っているつもりなのか本気なのか、クスクス笑っている。
「共に破滅への道を、より長く愉(たの)しむための伴侶……或いは、敵対者として」
「なに言ってんだか……。悪いけど」
雪は、彼の腕を振り解いた。
「私、あなたの酔狂に付き合う気はないわ」
これ以上付き合っちゃいられない……とでも言うように、その手を離れ、ドアに向かう。
「あなたにも、護りたいものはあるでしょう?」
透麗の言葉に、雪は目を見開いた。
「雪さん。私達がお互いにとって、どれだけ相応しい伴侶であり、敵対者であるか――
いずれあなたにも分かるはずです」
雪は静かに息を吸うと、抑えた、しかし鋭さを隠さない声で言った。
「言ったでしょう……? 螢に何かしでかしたら殺すって。あいにく、あんたと違って冗談じゃない。
……本気よ」
その勇ましくも猛々し言葉を、透麗は歓迎するかのように頷いた。
「男と女の殺し合いほど官能的(センシュアル)な場面は、なかなか無いでしょうね」
「あんた……ホント、どうかしてるわ」
雪は、戸惑いを覚えさせるほどに優艶な男の笑みに、もう腹を立てる気も起こらなかった。
「酔ってるんですよ。この美しい都市の罪や……あなたのように艶(あで)やかな華の毒に」
――これ以上この男のペースに巻き込まれるつもりのない雪は、ハッと溜息をつくと、再び背を向けた。
「さようなら……雪さん。またすぐに、お目にかかりますよ」
聞こえたか、聞こえないか。聞いたか、聞かなかったか。
ドアが閉じられた後、透麗は溜息をついた。失望ではない。
「雪さん……あなたも螢君も。その光は、隠すには美しすぎるんですよ。だのにあなたは、どうしても
隠し通すつもりですね」
困ったことだ……と言うように、また溜息をつくと、彼は夜景を見下ろし、微笑して呟いた。
「そんなことは無意味だということが分かるように…お手伝いしましょう。汀家秘蔵の巫女姫」
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