河野勲の岩国ノート

 〔7〕沖合移設 1983/11/27

基地恒久化の懸念あり

 十一月二十三日、十四時ごろから基地沖へ行く。東北の風が強く、自転車がなかなか前に進まない。エプロンには迷彩をしたC130輸送機の垂直尾翼が二つ見える。南からかえってきたA4が二機、弾薬庫上を海上へ旋廻着陸する。
 川口から海岸の堤防に曲がると、基地の港のなかに新しく建てられた鉄製のヤグラが見える。
 昨日の中国新聞に「ボーリング調査始まる 岩国基地沖合移設」という見出しで、米軍岩国基地沖合移設にかんする環境影響評価基礎調査のうち、海底のボーリング地質調査が二十一日から始まったことを報道していたのを思いだした。
 双眼鏡でヤグラを見ると、油田の塔のようだ。風が強いためか人影はない。
 岩国基地沖合移設の歴史は、一九六七年六月二日、九州大学構内に米空軍機F4ファントムが墜落したことに端を発した。同年六月岩国市議会が「岩国基地移設に関する決議」を採択した。
 七三年には山口県議会が採択し、七七年には、自民党の沖合移設に関する小委員会で、防衛施設庁が予備調査の結果「技術的には可能」と報告した。八二年防衛施設庁は「滑走路を千メートル移設する方法が適当である」と結論を出し、今年度調査費約七千八百万円がついた。
 滑走路が千メートル沖に出れば、それだけ爆音が、墜落の危険が、沖に出ることは認める。しかしこれで根本的解決にはならない。むしろ基地の恒久化と拡張といえよう。
 核搭載機A6が北へ発進、海上へ旋廻し南へ消えて行った。MWWUには人影はない。しかしこれらを究明もしないで基地沖合移設が、基地問題の根本的解決と力説するところに問題がある。

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