河野勲の岩国ノート

 〔46〕戦争展(下) 1984/9/16

一坪三十五銭の証文

 「戦争展」での私の係は、「基地の街 岩国」コーナーであった。
 右側から基地の年表を掲示。つづいて、岩国基地の編成表、真ん中に岩国基地の概略図、その両側に第十二飛行大隊と、第十五飛行大隊に所属する航空機のパネルを掲示。つついて岩国へ常時飛来するC141、KC130など六枚の航空機のパネル、その下に岩国市街図、横にはMWWU1の作業風景(ライフルを突きつけられ日本人が作業しているところ)、その下に昨年三月、MWWU1がグアムへ移駐したときの写真(赤旗写真部 田中記者撮影)を掲示した。

 前の机には、岩国への核持ち込みの疑惑を報道した。スクラップブック三冊を開いて置き、開催日の朝でき上がった「思いやり予算」で造られた兵舎、米兵家族の住宅を中心にした写真、左横の陳列ケースには、核兵器取扱要員名簿、コマー証言(いずれも当時の宮本委員長、不破書記局長が国会に提出した原本)とその一部を拡大コピーして並べた。MWWU1がグアムに移駐した先がブラボーエリヤという弾薬貯蔵地帯のなかにある核兵器庫のすぐそばであることを証明する、朝日新聞記者の石川巌氏の「核をたずねての旅」の原本とその一部を拡大コピーしたのを並べた。そのつぎに、昭和十八年(第二次土地取り上げ)の一坪(3.3平方メートル)につき三十五銭で買い上げたという岩国市の印鑑を押した書類を展示した。

 私は、展示物に従って時どき説明をおこなった。第一日、家に昼食に帰ってくると、年表が途中から西暦と昭和が一年ずつずれていると参観者に指摘され、直しておいたとのこと。

 第二日の十時半ごろ、川下(基地のあるところ)のTさんの顔が見えた。陳列をじいっと見ておられる。私はそばに寄ってあいさつをした。Tさんが海軍が土地を買い上げた書類を指して、「河野さん、この書類はよくありましたね」と、前置をして次のように話された。

 「私の親父に聞いた話ですが、呉から大佐ぐらいの海軍の偉い人が四、五人きて、該当する者をいまの川下支所(当時は川下村役場)の二階に集めて、こういったそうだ。“みなにいまから話す。長い間、天皇陛下がみなに貸しておられた、土地がこのたび必要になった。そのため返してもらう。むろんただではない。それなりの補償はする” と」
 その証文が一坪三十五銭。当時、酒が七十銭から八十銭、労働者の日当が一日一円であったと思う・・・。

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