河野勲の岩国ノート

 〔41〕平和行進 1984/8/5

その日も艦載機コルセアが・・・

 平和行進「長崎〜広島コース」の山口県最後のコース岩国は八月一、二の二日間実施された。
 八月一日は、山陽本線通津駅前を午前九時に出発した。先頭に横断幕持った小学三年生と六年生の少年、少女。それにつづいて沖縄原水協の学生、日本山妙法寺の団扇太鼓。その後に約五十人の地元参加者がそれぞれの団体旗をなびかせて進む。行進は午後三時。対市交渉を終わって三笠橋の交差点にさしかかった。そのとき、海上から左旋回して滑走路に入る、A7Eコルセアが一機高度を下げながらビルの影に姿を消した。前回の「岩国ノート」で書いたようにA7は全機フィリピンにいっているはずである。昨日、ミッドウェーの艦載機が、岩国基地を使って着艦訓練をやるという情報が入っていたがそれではないか。
 行進は午後三時四十分、岩国駅前で一日の日程を終わった。数人が私の家で街頭カンパの集計などをおこなうがその間もA7の旋廻がつづく。夜になり午後八時からふたたび着艦訓練に入る。機影は見えないが爆音はA7で、二機でおこなっている。
 二日、「中国新聞」は尾翼に「NF」のテールコードがはっきりわかる、A7コルセアの写真を大きくのせ「攻撃機が着艦訓練」の見出しでつぎのように書いている。
 「米海兵隊基地で一日、米空母ミッドウェーの艦載機A7コルセア攻撃機が滑走路を甲板に見立てておこなう着艦訓練を始めた。同機は通常、米軍厚木基地で訓練している」
 さらに「米軍が岩国市への通告によると、着艦訓練は十日までの午後三時半〜同四時半と同七時半〜同九時。このうち四日の夜間と五日は実施しない」。
 さらに「訓練に対し、革新団体の代表らは“艦載機の訓練基地化の布石で、騒音公害がさらに広がる”と反発。これに対し米軍筋は“三沢基地での予定であったが、天候の都合でできなかったため”などと説明しており、同市の山本康雄助役は“代替基地にするとの報告は聞いていない。もし要請があっても拒否の姿勢を示す”といっている」。
 二日、平和行進を広島県へ送り少し休んでいると、午後二時五十分ごろからA7が着艦訓練に入る。私は市の基地対策部へ申入れる。しかし部課長が出張中で係長が出た。「市民のなかに爆音について不満の声が強い。部課長が帰ってきたら善処するよう」と申入れた。

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