河野勲の岩国ノート

 〔42〕多忙な夏 1984/8/12

行進、基地の案内、講義・・・

 七月二十七日、山口大学の「平和キャラバン」が山口市宮野の江良墓地にある「原爆死没者の碑」の前を出発した。
 この平和キャラバンは十四年前からつづけられているもので「核兵器の廃絶、世界平和」を訴えて山口から広島まで約百七十キロを歩き通すものである。
 ことしも六月の下旬、協力の要請があった。このキャラバン隊の第一回は、いま岩国民商の事務局長で「岩国へいわ村」の村長 佐々木君たちだったと思う。私はたしか今津の八幡山から「基地を展望」して説明した記憶がある。

 それから十四年、私は毎年彼らとつき合ってきた。ことしは八月三日の夜、大竹市のカトリックの幼稚園で基地の話をした。

 私の日程は、七月三十一日、平和行進を通津駅で受け継ぎ八月一日岩国市内を行進。八月二日の午前中、平和行進を岩国駅から歩き、大竹で広島県に無事に送る。同日午後五時からは「岩国基地の核問題」を中心に財団法人、広島国際文化財団が招待した、ニュークリアータイムス誌編集長ミッチェル氏ほか三人の米人記者のインタビューに約二時間応じる。
 彼らは原水禁運動に政党が関連しているか?と執ように質問してくる。また安保についても相当考え方が違っているようだ。
 八月三日は午前中大阪府立大の学生がきた。私の家でいつものように基地の話をして現地を案内する。午後三時には毎日新聞西部本社の記者が岩国基地の取材にきた。そして午後七時半、ユネスコの車が私を迎えにきた。
 彼らが宿泊する幼稚園は暑い。私を囲む形で一行約三十人が座る。幼稚園児の腰掛は小さい。
 まず真っ黒に日焼けした隊員一人ひとりが自己紹介する。山大が中心だが、宇部短大、立命館大、京都教育大もいる。
 約一時間、基地の概要、基地の歴史、写真と地図でMWWU1を中心に核問題を話し、最後に核巡航ミサイル・トマホークの米艦船へ配備と岩国、とくに空中発射の巡航ミサイルAGM−109がA6Eイントルーダーに搭載されている『航空情報』の写真を見せ岩国基地の危険性を話した。
 八月四日の朝は兵庫原水協がバス五台できた。さらに八月七日には全損保の組合員約三十人に基地の案内をする。
 毎年ではあるが、暑くて多忙な夏である。

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