河野勲の岩国ノート

 〔40〕新婦人の学習会 1984/8/1

郷土の危険に顔色が変った

 七月二十三日、岩国の新日本婦人の会が「岩国基地学習会」を開催した。
 全国母親大会に代表派遣することについて討議するなかで、「私たちは、基地の街に住んでいながら、岩国基地のことをどれだけ知っているだろうか。毎日ジェット機がごう音を立て飛び立つ。街では米兵や家族に出会う。だが基地の性格や、基地があることでどんな危険なことがあるのか、意外と知らないのではないか。一度学習しよう」ということになって、学習会が開催されたのである。
 講師となった私は、約一時間、基地の概要と性格、歴史、基地の核疑惑とその根拠、もし戦争になったら岩国市はどうなるか、など話した。
 私の話を聞く人は、ほとんど日ごろから知っている人たちである。学校の先生、週に二、三回「奥さんおる・・・」と、大きな声で私の家内を訪ねてくるY夫人もいる。
 話しが進むにつれ夫人たちの目が輝き顔色が変ってきた。私はいままでに遠くは北海道、東京、大阪、岡山、隣の広島の人たちにも同じことを話してきた。
 感触がちがう。彼女たちは岩国の人間である。岩国で家庭を守り岩国で子どもを育てている。当然わかればわかるほど、岩国基地の危険なことが、身をもって感じられるのだ。
 昼食を食べながら、質問にこたえたり、戦争の体験を話し合う。
 空襲警報が鳴れば、防空ごうへ入った。糠(ぬか)のダンゴを食べた。「ぼうくうごうってなあに・・・」参加した子どもが母親にたずねる。この子たちには決して「防空ごうの体験を味あわせてはならない」と思った。
 四台の車に分乗して、まず殖産団地の展望台へ登る、双眼鏡を回し見ながら、南の方から施設の説明をする。先日、飛行機マニアが、近いうちA7Eがフィリピンにいくらしいと話していたが、MAG12(第十二飛行大隊)のエプロンにはA7Eの姿が一機もいない。MAG15(第十五飛行大隊)にはF4が約十機いる。外来機駐機場に濃緑色に迷彩をした、C130が二機不気味に駐機している。
 その後、後ろの山からF4が二機、高度二千メートルくらいで現れ、高度を下げながら海上を右旋回、滑走路に進入しタッチ・アンド・ゴーをくり返しはじめた。
 米兵住宅、正面ゲート、フェンスにそって北ゲート、滑走路の北へF4が三機ごう音をたて南へ発進する。海岸の堤防で参加者の一人、Aさんが「岩国ノートに“小さくなっていく姫子島”というのがありましたが、あの島ですか」と島をゆびさした。

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