河野勲の岩国ノート

 〔4〕基地の説明役 1983/11/6

高校生は“これが安保か”と

 十月三十日、日曜日。晴れ、東北の風が弱い。
 九時四十分の電車で埼玉県西浦和高校より二十五人、基地見学にくる。まず、「東供用会館」で約一時間、基地の概要、性格、歴史、核疑惑の根拠について話す。(会館は正式には学習等供用会館といい防衛施設庁が基地公害対策の一環としてつくった集会場ですでに岩国市内には二十戸できている)
 そのあと、バスで、予定のコースである正面ゲート、殖産団地の展望台、米兵家族の住宅、北ゲート滑走路北側へと案内をする。日曜日なので米軍機の発進はないが黒塗りのC141スターリフターが駐機している。
 突然金属製のジェット機音が私の説明を中断さす。エンジンテスト場でA6Eイントルーダーがエンジンテストをおこなっているのだ。

 初めて見る米軍基地。高校生の顔は引き締まっている。「これが日米安保条約か」一人がつぶやいた。

 十一月四日、千葉県浦安高校から約五十人、バス一台。二十七日には広島県の新婦人約二十五人がくることになっている。
 私もこの十四日で六十二歳になるが、説明会と現地説明に要する時間は約三時間、疲れがないといえばうそになる。行動が終わって別れるとき、「頑張って下さい」と励まされる。
 十一月二日、水曜日。晴れ、東北の風、十四時、基地沖にいく。十四時三十五分、A6E二機、北へ発進。広島県へ高度を上げながら消えていく。十四時四十分、空母ミッドウェーのE2Cホークアイ北へ発進、海上へ旋廻東へ。

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