河野勲の岩国ノート

 〔37〕黒い鉄門 1984/7/8

正面ゲートが変った

 七月一日は第一日曜日だ。毎月の第一日曜日は自治会が八時から駅前の自転車置場の清掃をおこなう。これに参加された方には、謝礼の意味で一人約五百円ほどの品物(せっけん、タオルなど)を差しあげる。その役目を会計担当の私がやっている。「このたびは何にするか?・・・」その都度苦労する。このたびはナプキン四枚にした。
 ひと休みしていると、大島郡(岩国の南にある島で大島町、久賀町、橘町、東和町の四町よりなっている島)の民青同盟の諸君が基地調査にきた。
 私の家で約一時間、いつものように基地の概要、歴史、核、とくに巡航ミサイル、トマホーク配備と岩国基地について話し、大島上空は米軍機が南に発着するコースの下にあるので爆音が激しいだろうと結ぶ。「たいへんです。ときには操縦士の顔が見えることもある」という女性の発言。「先日は脚を出したまま三分おきに旋廻した」という橘町の男性。「大島も岩国基地の一部だ」話しながら基地に向かう。 
 まず正面ゲートへ。国道188号を左に曲がり基地正面ゲートまで約四百メートルが国道189号である。山陽線の踏切を渡る。「正面ゲートが無い。道路は一直線に基地に入っている」・・・。
 正面ゲートは左に基地に出入りする労働者や米兵をチェックする事務所が左側にあり、突き当りには米兵のMPと海上自衛隊の警備員が詰めるボックスがあった。また、事務所の建物には赤で毒々しく「MCAS IWAKUNI」(米海兵隊岩国航空基地)と書いてあった。
 去る五月五日の基地開放日にゲートを通るとき工事がおこなわれていることには気が付いたが、このように模様が変っているのには驚いた。
 建物の跡には盛り土され芝生が繁り高さ約一・五メートル、幅約二メートルの御影石のような物に、基地を示す英語が掘り込まれている。今までの毒々しい「MCAS IWAKUNI」とはまったく違う。MPが立哨する場所も約三十メートル左後方に、下り前には芝生を植えた分離帯ができている。
 いままでの米軍基地の正面ゲートの面影はどこにいったのか。まるで公園か動物園の入り口のようだ。
 なぜ基地はいままでのイメージを変えたのか?だがよく見ると英文で掘り込んだ立石の盛り土のうしろには目立たないように非常の際閉める鉄の門が黒ぐろと光っている。

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