河野勲の岩国ノート

 〔36〕ベッドタウン 1984/7/1

そこも基地の延長か・・・

 二十六日、昨夜からの雨が断続的に強く降る。蒸し暑い。午後四時に岩国の南に隣接する由宇町の、共産党議員 福本氏がくる。
 由宇町は、最近は岩国のベッドタウン化が進み、会社を定年になった私の友人が相当住んでいる。その人たちに「赤旗」新聞の購読を紹介する約束をしていた。
 由宇へゆく途中、先日、死亡を知ったH氏のところへ寄り、線香を手向ける。「今日が四七日、いまお寺が帰った」と奥さんがいう。
 H氏はこの部落の自治会長を長く務めていた。腸ガンだったとのこと。まだ六十七歳だった。おしい人を亡くした。
 由宇町に着く。まず同じ職場にいたN君のところへ。ついでU君。労働組合では彼が副委員長。私が書記長を長くやった関係だ。いまは孫の守りが日課だという。しかし組合の話しになると目が輝いてくる。奥さんも出てきて話に加わった。やっと購読の約束をとりつけ、つづいて中学時代の同級生M君(町議)の家へゆくが留守である。宣伝紙に来訪した旨をメモに書いてはさみ、ポストに入れておく。
 帰りに福本氏の家に寄る。田園地帯を抜け岩国側の小高い山の中腹だ。雨にぬれた緑一面、街の真中に住む私はむせるようだ。「静かでいいですね」というと、奥さんが「家のまわりは全部庭みたいなものですよ。でもムカデやマムシがでるのです」という。
 そのとき、突然、家の裏山からF4のごう音が海上へ向かって左旋回していった。福本さんが話す。「由宇沖は米軍機が基地の滑走路に向かうコースに入るところのようです。大島の上空から入ってくる米軍機、韓国、日本海訓練海域から帰ってくる米軍機が、由宇沖で着陸コースに入る」と。
 奥さんも「先日は先が下に曲がったジェット機が三分おきくらいで基地に向かって下りてゆくのが一時間くらいつづきました」という。
 先が下に曲がったジェット機とはF4のことと思う。F4が五機か六機で旋廻訓練をおこなえば三分間隔くらいで由宇沖を通過することになる。
 話しながら港の方を見ていると機首と尾翼を赤く塗った海自のUS1が高度を七百くらいで雲の下を基地に向かった。
 帰りの車の中で一度由宇に来て監視をすることを約束する。

BACK☆☆INDEXHOME☆☆NEXT