河野勲の岩国ノート

 〔33〕A7コルセア 1984/6/10

事故の日、市街地上空を・・・

 五月三十日、朝、床のなかで「五・二七トマホークくるな!岩国基地包囲集会」の大成功を思いおこしていた。そのとき、F4ファントムが三機、ごう音をたて次つぎに南に発進していった。時計を見れば七時十分。
 九時すぎ、中国新聞のM記者と会う。「けさ七時十五分ごろ、RF4Bファントム(第三戦術写真偵察中隊所属)が姫子島(提供海域内にあって、米軍が射爆場か弾薬処理場につかっている)の南約八百メートルに補助燃料タンク三基を投下した」と話す。
 さっそく共産党地区委のN君の車で基地沖へいったが、その痕跡はみられなかった。
 あくる日の新聞は、事故のことを次のように報道した。
 「事故機は同時刻ごろ発進した三機のRF4の一機。同機は、離陸直後、油圧関係に故障が発生、着陸準備に入り機体を軽くするため、機体下に装着しているタンクを投下した」
 もし陸地へ投下していたら大変な惨事を・・・。私はかつてA6イントルーダーが今津川の帝人岩国工場の近く数メートルに補助タンクを投下したことを思い出し、スクラップブックをめくった。
 一九七四年、七月三十一日、中国新聞、「あれあもし0.1秒でもずれていたら、工場内に落として、爆発事故を起こしていたかもわからない。危険きわまりない話です」と根津隆総務課長の話を載せている。
 翌三一年、午後からジェット機の発進とタッチ・アンド・ゴーが激しくなる。機種はF4、A4、それに聞きなれない爆音が旋廻をつづける。余り激しいので十七時すぎ、近くの陸橋 三笠橋へ上がる。空母ミッドウェー所属(ミッドウェーは横須賀入港中)のA7コルセアが二機、滑走路を中心に楕円型に右旋回をおこなっている。旋廻はだんだんと広がり山陽本線を越して市街地上空に入ってきた(市街地上空は飛行しないことになっている)。高度は八百メートルくらいか。中国新聞の記者たちは望遠カメラをすえ付け撮影をはじめた。
 この写真は、六月二日、「岩国市街地を旋廻する空母ミッドウェー艦載機 A7コルセア」と説明入りで掲載された。
 A7がなぜ市街地上空を旋廻するのだろう・・・と話していると、基地にいったM記者が帰ってきた。
 「南から着陸しようとしたA4Mスカイホークが、着陸に失敗して滑走路は閉鎖されている」という。A7は約一時間後、南へ姿を消した。

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