河野勲の岩国ノート

 〔28〕基地に生きる 1984/5/6

その婦人は61歳だった・・・

 四月二十四日の中国新聞は「殺人の米兵書類送検、岩国署」の見出しで次のように報じた。
 「岩国署は二十三日午後、岩国三角町、米海兵隊岩国航空基地海兵師団第一本部中隊、兵長キース・E・ウォーカー(二〇)=米国カンザス州出身=を殺人の疑いで岩国支部へ書類送検した。
 調べではウォーカーは、三月三十日午後十一時ごろ同市車町二丁目の外人バー街の路上で同町二丁目、無職岡本志津子さん(六一)に誘われ、岡本さん宅に行ったが、デート代をめぐって口論となり、岡本さんの左首筋や背中など数ヶ所を持っていた折りたたみ式ナイフで刺し殺した疑い」
 私は六十一歳とという岡本さんの歳が!?
 中国新聞は四月五日の「記者ノート」の欄(田中記者)でこうふれていた。
 「被害者の女性は六十一歳、外人バー街で米兵相手の商売を続けて三十年、朝鮮戦争景気にわいた昭和二十五年後半からこの街にいたという」
 「バー街へ新たに流れ込む女性たちは少ない。現在では大半は五十代以上といわれる」
 「貯金して店を持ったり、米兵と結婚した人もいるが、一方、健康を害し入院し、生活保護を受ける人も多くなった」
 「朝鮮戦争も知らない戦後生まれの駆け出し記者として、生まれる前から根を張ってきた基地の一面を見た思いで、戦争というものを改めて考えさせられた」
 朝鮮戦争、台湾海峡、ラオス、そしてベトナム戦争、一時は米兵相手の女性は二千とも三千ともいわれた。基地の周辺は夜八時を過ぎたら男でも一人歩きは危険であった。
 岡本さんと米兵とのカネのあらそいは、約二十ドル(約四千五、六百円)のことだったときかされたとき、私は身につまされる思いがした。
 私は岡本さんと同じような一人の婦人を知っている。彼女はいま六十四歳。もう働いてはいないが、朝鮮戦争、ベトナム戦争の硝煙のにおう米兵を相手にしてきた人である。
 先日、彼女と街で会った。「河野さん、テレビで見たよ。頑張れよ」という。おそらく、高校生に基地の案内をしたときのことだったと思う。

BACK☆☆INDEXHOME☆☆NEXT