河野勲の岩国ノート

 〔27〕県営岸壁 19834/4/29

米韓演習帰りの物資が・・・

 私は原稿を書き終わると、まず娘にみせる。娘は“仮名づかい” “常用漢字にない字”を訂正してくれる。
 ポストに投函(とうかん)するのは水曜日の夜まで、もし木曜日になれば速達にする。 
 先週の「岩国ノート」は四月十八日(水曜日)、二十一時過ぎに投函した。
 ところが日曜日の新聞には「都合により『河野勲の岩国ノート』は休みます」と掲載された。
 それまでに「赤旗」中四国総局や郵便局からいろいろ電話があった。
 さっそく、読者のN氏が「かぜが?」と電話してきた。「いや・・・かぜは引いたままだが、原稿は送ったが行方不明になったらしいのだ。いまごろは、郵便物は、岩国から徳山へ送られ、徳山から広島へ送られるのだよ。これも臨調行革のあおりかもしれない」と答えた。
 「岩国ノート」(bQ7)の内容は、〜四月十三日に海兵隊がチャーターした貨物船(アメリカン・タイタン、13.053トン)が岩国港の県営岸壁に接岸して、チームスピリット’84に参加した車両や物資を陸揚げして、トレーラーで基地に搬入した(いままでは基地沖提供水域に停泊してはしけや上陸用艇などで基地に陸揚げしていた)こと。
 〜十七日にP3Cで海兵隊の参謀長が夫人同伴で基地を訪問したこと。〜同日E3A・AWACS(嘉手納所属、空中早期警戒管制機)が滑走路の南より侵入、低空で滑走路を通過、海上へ旋廻しながら高度を雲の上までとり、ふたたび南より侵入、低空で滑走路を通過することを十数回くりかえしたこと。この三つのできごとがどのような関連をもつか分からないが、これを中心に書いたものだった。
 二十四日朝、「赤旗」のK記者がくる。「岩国ノート」の原稿が行方不明になって掲載できなかったことをわび、昨日から「事故原因不明」のまま訓練を再開したPS1について意見をきく。私は「またいつ墜落するかもわからない」と答える以外になかった。
 K記者は私の自転車で基地沖へ取材へいった。十二時過ぎ彼から電話がかかってきた。「きょうも県営岸壁でアメリカ船が物資を揚げているらしい。きませんか」と。さっそくN君の車で県営岸壁へゆく。
 船名は「アメリカン・モナク」(13.053トン)、前のと同型船である。陸揚げの物資は戦場を駆けめぐった跡の残るトラックや梱包(こんぽう)した物である。
 基地沖の提供水域に停泊して、はしけなどで陸揚げするよりは、県営岸壁を使用するほうがはるかに能率的である。
 港湾当局は危険物で無い以上拒否する理由はない、というが、このまま認めれば、岩国港全域が軍港化されるおそれがあるといえる。

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