河野勲の岩国ノート

 〔25〕潮干狩り 1984/4/8

アメリカの土地で貝をとる・・・!?

 三月三十一日付の読売新聞は「スポット」欄で「チームスピリット84は二十九日、事実上終了した」と報道した。
 これを裏付けるように三月三十一日(土曜日)、四月一日(日曜日)、早朝から黒塗りのC130ハーキュリーズ、C141スターリフターの発進がつづいた。
 四月二日も朝七時二十五分からC130とC141の発進がつづく。午前中に新聞の切抜きと整理をすませ、十五時から自転車で基地沖へいく。昔の干拓の名残の中土手に自転車を置き、双眼鏡を肩に、海岸の突当たりのフェンスまで歩くことにする。
 黒塗りのC130が一機、エプロンにも同型機の尾翼が見える。

 IETXのプレートの爆薬庫群の北側でMAG(第十二飛行大隊)12のエプロンを見れば、A4、A6も相当帰ってきている。一月二十四日に交代した第三一二中隊のF4が南へごう音を立てて発進した。

 駐機していた黒塗りのC130も南へ発進高度を上げながら、東から西へ旋廻、中国山脈に消えていった。
 海は遠くまで干あがっている。潮干狩りの人たちがたくさんいる。漁業組合の腕章をつけたおばさんがおとな三百円、子ども百円の入漁料を徴収している。
 昨年四月のPS1の墜落事故の現場のところで、ヘリが三機帰ってきた。二機はCH46D、一機は韓国浦項の上陸演習で墜落した、CH53Dと同型機だ。
 突当たりのフェンスのところでも、おばさんが料金をとっている。しばらく土手に腰をかけ話す。
 「その金はどうするの・・・」 「わっちだって、金をとるのはいやじゃが・・・毎年稚貝を海に入れるからのう」 「さっき若い者が五人、金をくれというと、アメリカ合衆国の土地で貝をとるのに、何をいうちょるというて、払わんだった」とこぼす。
 突当たりのフェンスは土手から防波堤、捨石まで伸びている。だか干潮になると楽々とフェンスのなか(海上提供水域内)に入れる。おばさんはつけ加えた。「なんぼう占領されちょっても、漁業権はわしらにあるけえのう・・・」
 私は、大きな声で「おばさん、いまは安保があるから入れないが、安保をなくしたら自由に入れるよ」と強くいった。が、おばさんにはわかったか・・・。

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