河野勲の岩国ノート

 〔24〕自衛隊官舎 1984/4/1

米軍兵舎とはあまりにも違う

 毎年一回はかぜをひく。今年はなかなか治らない。熱はあまりないが、鼻水が止まらない。ティッシュペパーの代わりにガーゼのハンカチをポケットに入れている。
 そんな体調のなかで二十五日は、山口市で開かれた全医労中国ブロックの研修会に「平和問題」の講師で出席した。
 翌二十六日には朝九時すぎに、神戸原水協のF氏の紹介で、神戸の高校の先生が二人、基地調査にきたのを案内する。
 二十八日、広島で開かれている、全国大学生協連合会「平和ゼミナール」の三十五人が、十時に岩国にきた。まず東供用会館で約一時間、基地の概要、歴史、岩国基地の核問題、トマホーク配備と岩国基地などの話をして、バスで基地調査に出かける。
 コースはいつものように正面ゲート、おもおいやり予算で造られている兵舎と米兵家族住宅へ案内する。
 「この住宅は土地は別で一戸三千五百万円かかっている」と話すと、異口同音に「ヘェ・・・」と答えがかえってくる。
 バスが待機しているところへ帰ってくる。側には十軒ばかり木造平屋建てのお粗末な住宅が並んでいる。若い奥さんが布団を干していた。
 「奥さん、もうお宅は防音工事は終わっているのですか」ときく。「いいえ、ここは防音工事はやられないのです・・・」。私はかさねて、「なぜです。こんなに基地に近いのに・・・?」という。「ここは自衛隊の官舎です。だから防音工事はやられないのです。でも近いうち転勤しますから」。
 バスにのり、次のコース殖産団地の展望台に向かう。途中、いまの対話が参加者の中で話題になった。「目の先に一戸三千五百万円もするデラックスな米兵の家族が広い芝生の庭で生活しているのに、矛盾を感じないだろうか」「自衛隊そのものには問題はあるが、災害などでは役に立っている。あれではかわいそうだ」などいろいろな意見が出た。
 実は私も、自衛隊の官舎が防音工事の対象となっていないことを初めてしった。
 北ゲート、滑走路の北側、機体を黒く塗ったC130ハーキュリーズがバスの頭上をかすめ、いったん海上へ出て、西へ旋廻していった。おそれくチームスピリット84への輸送であろう。

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