河野勲の岩国ノート

 〔21〕安全度外視 1984/3/11

有事のためなら事故も当然?

 3月六日、広島生協連の人約二十人と、“NO MORE HIBAKUSHA”製作上映委員会の人達がマイクロバス三台で基地見学にくる。十時三十分岩国に着く予定だが十一時になってもこない。寒い、腰の方が痛くなる。十一時三十分ようやく一行らしい三台のマイクロが見えた。「九時に出たのですが途中道路工事にかかって・・・」という。
 案内のコースは例のように正面ゲート。米兵家族住宅と進み昨年PS1の墜落現場にゆく。自衛隊のP2Jと対潜ヘリが頭上をかすめ海上に出て今回の墜落事故現場の方へ消えていった。
 PS1の格納庫前にはPS1が整然と尾翼をならべている。
 おそらく事故原因が明らかになるまで飛行禁止となっているのだろう。
 十三時に家に帰り、こたつにもぐり込む。腰の痛みがようやくやわらいできた。
 雑誌『航空情報』八十三年七月号の「海自航空83」をめくる。その中に「重用事故の特殊性」の中見出しで、「自衛隊機の事故に関するマスコミの報道で若干疑問を感じさせられるのは、自衛隊機と民間機の事故を同次元であつかっている節が見受けられることだ」、さらに「安全第一に徹して有事の際に役に立たなかったり、抑止力として有効に作用しないというのであれば、“文字通りの本末転倒”である」
 一口にいえば民間旅客機は乗客を安全に輸送するのが目的であるが、自衛隊機は軍事(戦争)が目的である。だからマスコミは自衛隊機の事故を同一にとりあげるな、ということになる。
 この度のPS1事故の原因はまだ明確でない。しかし昨年四月二十六日のPS1の事故は、五月五日の「こどもの日」に毎年基地が開放されるが、その日のショーのプログラムに組み込まれていた「PS1の超低空編隊飛行」の訓練であったことは確かである。もしこの訓練が無事故で終わっていたら、あるいは、五月五日、七万人の観衆の前で惨事が起こっていたかもわからない。
 PS1は飛行艇である。海から上り海に下りる。しかし毎日九時には定期便が岩国市の上空を西に日本海に向かう。また瀬戸内海は島また島である。この度の飛行コースも島の間をぬって事故を起こしている。
 『航空情報』の記述は基地の危険性を明確にした、といえる。

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