河野勲の岩国ノート

 〔20〕PS1墜落 1984/3/4

 

もし弾薬庫の上だったら

 二月二十七日。月曜日。北西の風。小雪がちらつく。
 九時七分、C141スターリフター(Z輸送機)北へ発進。海上へ旋廻、上昇しながら西へ。チームスピリットへの物資輸送か。F4が十分間隔で発進する。
 十時、広島から大阪の女性(二人)が電話をしてくる。「岩国基地を見学して話を聞きたい」。職業は教師という。「午前中は町内自治会の仕事があるから午後なら」と、承諾する。
 十三時すぎ、共産党の事務所から「テレビでPS1がまた墜落したと報道したらしいが・・・」と電話がかかる。さっそくT新聞へ電話で確かめると「十一時二十五分ごろ四機飛び立ったうちの一機が大島の東和町の沖で墜落したらしい。詳しいことはまだわからない」とのこと。
 “またやったのか” “原因は何だろう”と考えていると、大阪の女性二人がくる。応接間に通し「いま岩国基地の海上自衛隊機が墜落したというニュースが入った」というと、彼女たちの顔はこわばる。
 「昨年岩国を訪れた大阪の中学生の文集を読み、広島へきたので電話をした」という。
 基地の概要、歴史、基地の核問題、岩国基地をトマホークなど話すが、話はマスコミ関係などからの電話で中断される。
 「大変な日にきましたね。基地へいきますか。歩いてはとてもだめだ。タクシーで約三千五百円くらいかかるが・・・」「いきます。ぜひ案内してください」
 まず正面ゲートへ。米兵は一人ライフルを肩に立っているが、赤い腕章をつけた自衛隊員が五、六人いて、出入者をチェックするものものしい警戒だ。
 “思いやり予算”でできた米兵家族住宅を見て殖産団地の展望台へ登る。
 迷彩をしたC141が三機、MAG12のエプロンには一機もいない。MAG15にはF4が七機駐機している。団地を下り北ゲートを通り滑走路の北へ。US1(PS1を改造した海難救援機)が南から下りてきた。
 弾薬庫の北側で車を止め「弾薬の見こうに松林が切り取られているでしょう。あそこにきょう墜落したPS1と同型機NO1機が墜落したのですよ」と話す。「もし弾薬庫の上だったら・・・どうなったでしょう?」という。

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