河野勲の岩国ノート

 〔19〕スクラップ 1984/2/26

15日で1冊 いま171冊

 先日、徳山のKさんから電話があった。「河野さんの“岩国ノート”を切り抜いているが、最初のほうが無いからコピーして送ってくれないか」と。さっそく送るといったが、いろいろ忙しくてきょうようやく送ることができた。
 どの号までが無いのかわからないから、前号の十八回まで全部をコピーした。
 ところで、私は一九七一年からスクラップづくりを始めた。それ以前も必要な新聞記事は切り抜いていたが、いつのまにか無くしたり、そのときの物だけに終わっていた。
 「基地監視ノート」も初めから十分なものではなかった。ノートがしだいに軌道に乗り始めると、これを裏付ける新聞の切抜きが必要になってきた。現在百七十一冊目だ。
 朝 起きて約一時間、新聞(「赤旗」、中国、読売、必要なら朝日、毎日は駅に買いに行く)に目を通す。「部隊の交代」や「着艦訓練の日程」などはノートに記入する。その日に読んでおく記事は、できるだけ読む。翌日ふたたび一面から目を通し必要な記事や論文、主張を切り抜く。切り抜いたらすぐ、ブックに張る。約十五日で一冊できあがる。
 一冊できると、岩国基地に関係する記事は索引簿に記入する。
 索引簿は、スクラップブックのナンバー、ページ、年月日、新聞名、記事の見出しを記入する。索引簿の一部を紹介しよう。
 《NO.142、三十八ページ。八二年三月十四日、中国新聞「核疑惑部隊MWWU−1、岩国基地から撤収グアムで訓練拡大、米軍発表」》 《同朝日、「核疑惑部隊が移動、米軍岩国からグアムへ」》
 いま索引簿をつくっているのは、岩国基地関係だけだが、他の記事も種別して索引簿をくつりたい。しかし、なかなか私だけではできそうにない。
 突然、平和委員会のM君がきた。「河野さん、MAG−12はほとんど韓国へいったらしい。川下(基地のあるところ)の街は米兵がいないから閑古鳥が啼いている」という。先日F君の車で団地の展望台から基地を見たときMAG−12のエプロンにはA6イントルーダーが一機だったが、その時点で出撃していたのではないか。

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