冥王神話 NEXT DIMENSION
「Part9 結界」 感想
(2007年8月2日発売・週刊少年チャ○ピオン36・37合併号掲載)



(注意)
このツッコミはネタです。実在の人物・団体等とはいっさい関係ありません。
・強度のツッコミが苦手な方は閲覧の際に副作用として痒み・発疹・アレルギー反応が出ることがありますので十分ご注意ください。





■内容以前の感想



 袋とじじゃない!ということに恐らく誰もがまずは驚愕したであろう今回の冥王神話。本編1ページ目には原色の太いゴシック体でこんな文字が書いてありました。


巨弾 18ページ!!


 そうなんです!今回はページ数が18ページもあるのです!そしてそのせいなのかどうなのか、今回の連載では、場面→場面のつなぎがちゃんとつながるようになってました
 いや、今までは場面や文脈とかが突然飛びすぎて「何事!?」という箇所が結構あったのですが(笑)、今週はネームがスムーズになってかなり読みやすいです。いや、それが普通だろというツッコミは置いといて。

 では以下、漫画の内容について。




■論点その1
――「最強と謳われた2人の伝説の黄金聖闘士」の業績が今のところ心優しいスケルトン3名の虐殺のみであるという点について。(p.1)


 ぶっちゃけ原作シオンをひいきにしているツッコミ人としては非常につらいのですが、「part1」と「part2」の感想で述べたシオン&童虎のショボキャラ化予測は、今のところことごとく的中していると言わざるを得ません。
 このマンガの自称シオンと自称童虎の二人の人物、目下のところ、「最強と謳われた2人の黄金聖闘士」とはとても思えません。むしろ「最強から最も遠い黄金聖闘士」みたいな雰囲気です。

 だってこの2人に殺害されたスケルトンの人々は、前回の連載で天馬くんを苦しませないためにあれだけ色々と頑張っていたというのに(笑)、こいつら1秒の哀れみもなかったよ?情けのカケラもなかったよ?めっちゃ全力でぶっ殺してたよ?「まあよかろう たかが青銅の子供ひとり 生きたところで死んだところで戦いに大した違いにはならん」とか何とかジャンプ連載時に言ってた人間と、同一人物だなんてとても思えなかったよ?

 それともまさかこの黄金聖闘士2名、黄金としての業績がこれまであまりにもなさすぎたから、業績稼ぎのために全力でがっついてスケルトン殺害に走ったとでもいうのだろうか。
 うう。ショボすぎる……。




■論点その2
――光速単位で行動すべき人間たちの行動があまりにもトロい点について。(pp.1-5)


 「うう…アローンを…アローンを助けに行かなきゃ…」
 「バカを言え」
 「すぐにここを撤収しなければあぶない」
 「なぜなら」(以下略)

 ……とか延々延々しゃべくってる暇があったら、今すぐそいつ(天馬)の首根っこ掴んで問答無用でテレポーテーションすればいいだろ!

 という点が気になって気になって仕方ありません。(笑)
 これ本当にあのウロタエルナコゾーのひとと同一人物なんだろうか。




■論点その3
――あまりにも結界の効能が長々と強調されている点について。(pp.1-5)


 そもそもなぜ上記のような事態が起こってしまっているかというと、登場人物が延々とハーデス城の結界について質疑応答をしているせいなのですが。
 いやもちろん、結界の説明自体は必要なことだと思います。黄金聖闘士の特権性を構造的に守るためにも不可欠なフォローだし。
 しかしどうも、今回のネームだと、結界のことがあまりにも強調されまくっているような気がします。ジャンプ連載時に一度やってしまったネタだというのに。読んでるひとも全員知ってる話だろうに。特に新しい設定が加わったわけでもなさそうなのに。
 どれほど強調されてるかって言うと、なんせ今回のタイトルも、「結界」。

 もしや御大は、DVDハーデス十二宮編で結界の説明が削除されていたことが、そんなに気に入らなかったのでしょうか。(笑)
 いや、たしかに私もあそこのシーンはちょっとドウナノヨって思ったけども。まるでアイオリア・ミロ・ムウが実力でラダマンティスにボロ負けしてるように見えちゃってたし。
 でも、何もここまで強調しなくても!(笑)

 あと瑣末なことなんだけど、「結界の中では聖闘士の力はゴールドでさえ幼児並みにおちると言われている」とかいって説明してるそこの童虎さんは、

 せめてゴールドくらい漢字でしゃべっていただきたい。




■論点その4
――「バカバカしくてもオレはアローンを助けに行くんだ」と怨讐に燃える天馬くんについて。(pp.5-6)


 「あのハーデス城とやらに アローンはたった今つれていかれたんだ 今ならまだ間に合う 今行かなければ もう二度とアローンは救えない気がするんだ」。

 いや、「つれていかれたんだ」って、スマンがどう見てもそいつ、自分からついて行ってるようにしか見えんのだが!(爆笑)

 そしてそんな天馬くんの情熱に対して「バカバカしい」「青くさい」を連発するシオンと童虎ですが、大量の台詞割りが行われているその台詞のフキダシの形は一貫して、「シオン=定規使った直線形」、「童虎=フリーハンド丸形」というふうに区別して描き分けられています。なんとなく、御大の中で明確に「シオン=感情抑制・冷静型」「童虎=感情起伏・放出型」と定義づけられているらしいことが推察されます。
 (ちなみに「お前らのセリフの方こそバカバカしい」「青くさい」というシオンと童虎に対するツッコミは、紙幅の都合により省略します)




■論点その5
――天馬の説明によって今明かされる新キャラ・水鏡先生について。(pp.6-9)


 「たとえどんなにバカらしくともそれが自分で正しいことだと思ったら つらくても苦しくてもつらぬきとおせと先生はオレにおしえてくれたんだ」
 「だれだ?」「そんな青くさいことをお前におしえた男は…」

 いや、まだわかんないじゃん!女かもしんないじゃん!

 魔鈴さんとかシャイナさんとかが聞いたら怒るヨ。死ネバって言われるヨ。怖いヨ。(笑)
 とか言いつつ、「前世でも現世と全く同じで魔鈴さんそっくりのお師匠様でした」みたいなオチにしなかった点については、私は御大をこれ以上ないほど高く評価しています。前世のカーボンコピーみたいな現世なんてめちゃめちゃつまらんし。

 で、その天馬くんのお師匠様ですが、今回、天馬くん本人によってようやくご紹介に預かりました。その名も、

 「杯座(クラテリス)の水鏡先生」。

 ……。

 いや、何でさっきまで「クロス」も漢字でしゃべれてなかったヤツが、突然「杯座(クラテリス)」とか言い出すんだい!?
 あーびっくりした。もはやシオン&童虎の「なにい!?」っていう驚きが、そっちの驚きに見えてしまって仕方ありません。(笑)

 で、この新キャラの名前を聞いて、シオンっぽい顔をしたひとと童虎っぽい顔をしたひとが驚愕します。

 「知ってるの?」
 「フッ知ってるもなにも…」

 「水鏡とオレたちは刎頚の友だ」

 ふんけいのともブハアアア!
 そんな設定が今頃になって!!
 (注)刎頚の交わり=その友のためならたとえ首を切られても後悔しないほどの真実の交友。(広辞苑)

 いや、でも、なんかその割には「そういえば少し前から行方不明になってたんだよね水鏡って」とかサラリと言ったきりで、どう見ても探そうとしたことさえなさそうなんだけど、この人たち。ねえ。そこんところどうなのよ。




*ちなみに気になる点その1:

 「幼い頃からオレたち三人は聖闘士の修行をつんでいた」と言って、水鏡とシオンと童虎がランニングしている回想シーンに、聖域の石段と火時計が描かれているという事実。
 シオンと童虎って、修行地はまさかの聖域だったのでしょうか。確かにプロフィールには「修行地不明」って書いてあったけど。うーん。




*さらに気になる点その2:

 「水鏡はオレたちよりも仁智勇にすぐれ あっという間に白銀聖闘士に昇格したほどの男だ」という事実。

 なるほど白銀聖闘士。つまりミスティ並みということか。

 ごめん、それって、すごいの?

 どう考えても「あっという間に黄金聖闘士」じゃないあたりが、現代のムウやアルデバランやデスマスクたちよりかなり劣っているような印象を我々に鮮明に植え付けてくれる上に、しかもこの論理に従うならば、「その人物よりもさらに劣っていたシオン&童虎」という最低最悪な図式が今ここに出現してしまうんだけど。
 いやあ、この連載のシオンと童虎って呼ばれてる人々は随分と雑魚キャラ設定の黄金聖闘士なんだなあ!(血涙)




*そして確信している点その1:

 絶対に次回でこいつ(水鏡)がハーデス軍に洗脳された新たな敵となって現れる。
 このカシオミニを賭けてもいい。(二度目)




■論点その6
――ここに来て突如出現した新キャラ・フェルメールについて。(pp.9-14)


 ええっと、天貴星グリフィンの……

 「ミーノス」じゃ無いし!!!(大爆笑)

 何気にここに来て、某マルチアングルデュアル連載漫画の登場人物はどうやら原作者脳内とは完全に無関係なのではないか、という疑惑が出てまいりました。
 いや、別に私個人としてはこちらの設定(名前がミーノスじゃない)の方が普通に納得が行くので、特に衝撃を受けているわけでは全くなく、むしろ、「良かった…」というか、「やっぱり…」という感じなのですが。(笑)

 実はこの御大のバランス感覚は昔から、割と私は好きなんです。パンドラも天貴星もちゃんと違う顔あるいは違う名前にして、それぞれのキャラの独自性=アイデンティティをきちんと確立しているあたりとか、計算してやってるかどうかはわからないけど、このへんは漫画家としての御大の絶妙のカンだと思います。(これ、すごく褒めてます)

 何がって、前聖戦の彼らが、現代のパンドラや天貴星とはあくまでも違う時代に違う人生を生きた違う人間なんだっていう、当たり前の、しかし人間の存在意義にも関わる根本的な重要事項を、御大はかなりはっきりと意識しているっぽいところが流石だと思う。それぞれのキャラの存在がオンリーワンなんだなあと感じられて、すごくいいと思う。さすが「キャラ立ちの車田」と言われるだけのことはあると思う。
 だから逆にもし仮に、ここでパンドラさんとか天貴星さんとかが現世と全く同じ顔・同じ名前になっていたとしたら、今ごろ私はこの連載に対して、かなりがっかりしていたと思います。(そうならずにすんで非常に嬉しいです。)




■論点その7
――フェルメールvsシオンと童虎。(pp.14-18)


 「さ…三巨頭って強いの?」
 「黄金聖闘士と同格だ」

 なんか、あくまでも私の個人的な感想なんですけど、「○○と同格だ」っていう言い方はなんとなく、ピラミッド型の身分制度がものすごくきっちり決まっている社会の言語を思わせます。もしくはゲームの設定。
 「同格」っていう言い方を用いる以上、そこでは人間のあいだに、かなり固定的な「格」があると考えられているってことなんだろうけど、三巨頭と黄金が同格だなんて、いったいいつ誰がどうやって検証したんだろう?

 今思い返してみれば、シオンと童虎が青銅から黄金に「昇格」するところから物語が始まるあたりも、どうも聖域の内部の階級制度が(原作者によって)かなり強烈に意識されてる気もします。
 水鏡先生の素晴らしさを表現する時に、他でもなく「あっという間に白銀聖闘士に昇格した」という言い方が選ばれているあたりにも、人間の強さや価値を「肩書き」や「格付け」によって表わそうとする傾向が、はっきりと見て取れるような気もします。

 なんとなくこれは個人的に、「お前なんか青銅のクセにー!」というセリフが連発されていたジャンプ連載初期の頃と、同じ匂いを感じます。ジャンプ連載中期以降は、この階級制度的な描写は消えていたような気がするんだけど、ここに来てどういうわけだろう。御大の中では意外と大事な設定だったりするのだろうか。

 で、まあとりあえず、そんなこんなで戦いが始まるわけですが、しかし天馬をかばって代わりに戦いに出て行くシオンと童虎は、当然天貴星にかなうわけがありませんでした。
 ……だってハーデス城の結界以前にそもそも、「黄金聖闘士になれなかった白銀聖闘士よりもさらに仁智勇で劣っていたシオンと童虎」という設定が、ついさっき明らかになったばっかりだものねえ。ストーリー展開的に、こいつらがここで勝てる訳がないよねえ。


<完>


(たぶん続く)



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Written by T'ika /2007.8.15