5.

 「突然すみません。少々、意見を頂きたくて」
 庭先にライラックの立ち木を植えた小さな石造りの建物の、表玄関の扉はややあって開いた。中から応対に出て来た家主のほうを振り返り、ムウは穏やかな微笑で丁寧に会釈する。
 青天の霹靂。
 思いもかけぬ展開に淡群青の瞳をみはり、琴座の白銀聖闘士は驚天動地の様子であった。無理もない。予期せぬ客にも程がある。
 「僕の意見を、ですか?」
 聞き間違いではないのだろうか。鳩が豆鉄砲を食らったような心境で、思わずオルフェは問い返す。一体この人が自分などにどういった用向きなのか、死ぬ気で脳漿を絞ってみても、心当たりすら全く無い。そもそも聖域に暮らす殆んどの人間にとって、白羊宮の守護者は公私ともに身近な存在とは言い難かった。何より黄金聖闘士だという時点で既に気安くないのだが、それに加えてこの牡羊座の場合、本人の経歴が余りにも異色に過ぎる。確かオルフェが聖闘士になった頃にはもうどこかインドだか中国だかあちらの方へと引き籠もっていて、その消息もごくごく稀に、噂の中で語られるのみ。しかも当時聖域への反逆者だった牡羊座については存在自体がある種の禁忌でさえあり、話題に上らせることそのものも、タブーに近かったのを覚えている。……今にして思えばその『反逆者』の方こそが、真実を知る人であった訳だが。
 そんな歴史が現在の彼の輪郭を形づくったのか、それとも元々そのような性質であったのか。時おり遠くからちらりと見かけるようになったここ最近の白羊宮の聖闘士は、まるで孤高の仙人のような、早々と老成した隠者のような、浮世離れした静けさを常に纏わせて、過ちとも悩みとも一切無縁の、異世界の種族のように思われた。さらに本人の性格自体もどこか謎めいた部分が多く、西洋のものとも東洋のものともつかない不思議な容貌も相まって、近寄り難さでは群を抜いている。十三年の不在に加え、直近の数年はオルフェ自身が聖域を離れていたことも手伝って、接点の類も全く無い。
 ――そんな人が何故、自分のところに。
 並の聖闘士の基準からすれば、オルフェもかなり神経の図太い方ではあるのだが、やはり些かの緊張と共に身構えてしまうのは仕方ない。一体どのような用件なのか、想像力の限界を軽く超える。
 驚かせてしまって申し訳ありません、とオルフェの内心を知ってか知らずか、ムウは雨上がりの翡翠を思わせる神秘的な色の瞳でやんわりと笑んで、背負っていた布包みをはらりと解いた。
 「リラの弾き手ならば、こういう物にも詳しいかと思ったのです」
 中から現れた見慣れぬ楽器に、覗き込んだオルフェは思わず再びの瞠目をする。
 「これは凄い。見た所かなりの古式を残した撥弦楽器のようですが……心当りないな。相当珍しい物なんじゃないですか」
 「何やらそのようですね」
 感嘆しきりなオルフェの様子を興味深そうに見つめながら、涼やかな声でムウは応じた。艶のある落ち着いた中音域。意外と優しげな顔立ちをしている。
 「一体どこの楽器なんですか、これは」
 「ああ、……チベット、らしいんですが。……いちおう」
 「チベット?それはまたどういった経緯でその様な物を」
 「少々、人から頼まれまして」
 簡潔な言葉でさらりと答え、天駆ける黄金の羊は口元で優雅に微笑する。完璧な造形。正確には『人から』頼まれたと言っても良いものかどうか、甚だ怪しいところではあるのだが、勿論オルフェには知る由も無い。
 「正直こちらの方面は素人なので、差し支えなければ絃の張り方など、詳しい人に伺いたいのです」
 「ああ、ではもし参考になるようなら僕のリラを見ますか。絃なら基本は同じはずですから」
 「是非」



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Written by T'ika /〜2014.7.7