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上田城址 

2011.04.23

朝から断続的に雨。
この日は打ち合わせがあったり下見や視察等々で、広範囲に走り回っておりますが、守秘しなきゃいけない部分が盛りだくさんなので、ほとんど割愛。
でも、それじゃあ余りにも味気ないと思うので、私的見地で珍しいと思った景色だけを公開。



長野オリンピックスタジアム。
これは、長野に来ないと見られない。
大変珍しい形の競技場です。





千曲川。
雄大な河ですが、こんな繊細な景色を見せてくれる地点もある。
この景色は、この場所でしか見られない。





これも千曲川。
やっぱり大きな川やなぁ。。。と思います。






「ねずみ」・・・見ての通り地名です。

この地方の名産に「ねずみ大根」というのがありますが、辛味大根と同等に辛く、しかも水分が多い。
それを利用した郷土料理が「おしぼりうどん」なのですが、それがどんなものかも知らず「せっかくここまで来たのだから」という理由で食べてみました。
すりおろした「ねずみ大根」のしぼり汁に、好みの量の信州味噌を溶き入れ、そのツユでうどんを食べるつけ麺でした。
昆布やカツオなどは全く加えない、味噌の旨味と大根の味のみが「おだし」といえる素朴な料理でしたが、癖になりそうなお味でした。

何故、その画像が無いか・・・?
だって、お腹が減っていたんだもん。


角を曲がる時、急に目の前に現れて、しかもすぐに通り過ぎてしまった。
「あー、しまった! 撮り損ねた。」
「えのきだけ発祥の地」という碑文が、集落の片隅にありました。

すぐ傍にあった農家の軒下に、ボトルの山。
きっと、このボトルにおがくずなんかを詰め込んでエノキダケを栽培しているんでしょう。
キノコ好きの私、普段は滅多に見られないこんな場面を目の当たりに出来て、ちょっと嬉しくなりました。


人通りの少ない田舎道なのに、何故か無駄とも思えるほどの長い信号待ち。
信号待ちの間に、つくしを見つけました。
これの卵とじが大好きです。
「また、食い物の話かよ。」
「アンタの食い気には負けてるわぃ。」


田んぼの中のお地蔵さん。
こんな素朴な景色が好きです。
この時すでに、私は何処にいるのかさっぱり分からない。





ぶどう畑。
目の端に「塩尻ワイン」の看板が見えました。
良いお天気だったら、中央アルプスの壮大な山並みがドドーンと見えたかも知れません。
ここで生産されるワインの一部は酸化防止剤などを全くの無添加で熟成され、10年物20年物と呼ばれるヴィンテージワインの候補生になります。


色々あったけど、この日のお仕事、無事終了!!

   


車から降りると、腰の辺りがアタタタタッ。
相方の方はもっと大変で、取引先との交渉・折衝等々、お仕事は盛り沢山。
おまけに、スピード恐怖症ですぐキレる私のお守りと、社用車の専属ドライバー役などを引き受け、それはそれはお疲れ度合いは拝察するにはあまりある。
その労をねぎらうために、戦国時代フェチ@相方が希望していた、上田城跡見学に出かけてきました。

上田城跡公園は「上田城千本桜まつり」の真っ最中にて、この日の夜には大きなイベントがあるらしい。
この時期、大阪では晩生咲きの八重桜でさえ既に散り果ててますが、上田市では桜の真っ盛り。
むしろ、散り初めの段階で、一番の見頃でした。
朝から降り続いていた雨は、この頃には上がり始めていて、夕刻になっていても桜の花は色鮮やか。

公園内の駐車場に車を停めると、警備員の方が近づいて来た。
周りを見渡しても、駐車料金に関する記述を記載した看板は目に入らない。
ギャッ! 駐車料の徴収か?

「あの〜。。 時々『なにわ』ナンバーの車を見かけるんですけど、大阪のどの辺りのナンバーですか?」
「大阪市内です。 昔は大阪府の北半分は『大阪』でしたけど、数年前から大阪市内だけ『なにわ』に変わったんですよ。」
警備員さんは納得すると、早々に持ち場に引き上げて行かれました。
警備員さんの用は、それだけだったらしい。

ここでは駐車料金は要らないと知った途端、上田市ってエエトコやなぁと思えてくるから、私もかなりゲンキンな類だと思われ(苦笑)。

上田城は真田昌幸によって築城された平城です。
現在の上田城跡公園となっている所は二の丸跡で、かつてお城だった敷地内には市営球場、市民会館、市立博物館などが建てられています。
資料を見ると、元の城はもっと規模が大きかったようで、城の南側は千曲川に接し、北側と西側に矢出沢川を引き込んで、周りを川で囲んでしまい、唯一の攻め口である東側にも蛭沢川や湿地帯などがある、とても堅固なお城でした。
それをお城関係の専門用語では「総構え」と呼ぶらしい。

天正13年(1585年)8月、上野沼田の領地を巡った諍いから、徳川軍との戦になりました。
真田昌幸側は約1200人の兵力だったのに対し、徳川軍は7000人で、指揮官も鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉というツワモノ揃い。
籠城を決め込んだ真田方に、徳川方は一気に攻め込み、二の丸まで押し寄せてきましたが、真田方の反撃に遭って撃退されてしまいました。
更に後退する時に城からの追撃を受け、1300人もの徳川兵が犠牲になったと伝えられています。
それに対し、真田方の死者は40人程度だったとか。

二の丸と本丸を囲む堀は馬蹄形になっていて、しかも、高い石垣があるわけでも無く、パッと見た目には脆そうに見えます。
大阪城のすぐそばに住んでいて、ワンコのお散歩コースを大阪城としていた私には、上田城の二の丸・本丸はとても狭く思える。
7千人もの兵が攻め込んできたら、アッという間に落とされそうに見えるんだけど、ここにはきっと私の想像を超えるカラクリがあったに違いない。

それにしても、桜が見事です。

桜の花びらが宙を舞い、堀の水面にも散り敷いて、この日が一番の見頃だったような気がします。
桜を堪能して駐車場に戻ると、派手なのぼりが十一本。



ま、確かにここは真田幸村の生まれ故郷ではあるけど、「真田十勇士」は別物なんじゃない?

そして、ホテル近くの居酒屋で夕ご飯。

お酒は岡崎酒造「亀齢」の吟醸。
信州は水が良いから、お酒も美味しい。
肴は、ミニ大根とイノシシ肉、その他色々。


「お仕事で出張」を口実に、おけんたいで三日連続飲んでましたな (f^^) ボリボリ

大変ゴチになりました。m(_ _)m


「白馬から善光寺平へ・・・」  「グルッと東名高速へ」 
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