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グルッと東名高速へ |
2011.04.24 |
お泊り出張の最終日。
この日は帰阪するのみ。 大阪から最初の目的地である輪島までに8時間も費やしたけど、今はそこよりも遠くに来ているから、大阪への帰還時間はもっと掛るに違いない。 「どうしようかなー。中央道を走るか、それとも、北陸道に戻るか・・・。」<相方 前日までの曇天・雨天模様の日々とは打って変わって、早朝から抜けるような青空で始まった、思いっきりのドライブ日和。 遊びで来たなら、帰還路も楽しみたいところですが、本来の目的はお仕事。 旅路では楽しい思い出もいっぱいできたけど、疲れはそれ以上に溜まってる。 明日から、平常通りのルーチンワーク+出張旅行の片付け+出張報告のまとめ等々、いつもに増してのお仕事山盛り(汗) ちょっと寄り道してのドライブは楽しかろうが、とっとと帰阪するに限る。 むしろドライバーの相方が疲れてくると、「わぁ!あの景色キレイ。」なんて言っても相手にされず、万年助手席の私は楽めるどころか、却って気を使う。 宿を出発した車は、上信越自動車道を目指し、坂城インターに入るとまずは北上し、更科ジャンクションで長野自動車道に入ると南下しはじめた。 相方は中央自動車道へ車を向かわせるような気配。 そして、最初の休憩地点は姨捨SA。 こちらはお能の「姨捨」の舞台として有名。 その出典は平安時代前半に書かれた「大和物語」らしいのですが、その当時には老人を山に捨てる風習は無かったという説があります。 何故なら、「大和物語」は天暦5年(951年)頃までに執筆されたと推定されていますが、その頃はまだ曲がりなりにも「班田収受法」が施行されていた時代なんですよね。 「班田収授法」とは、貴族はもちろん奴隷も含む全ての国民は、6年毎に作成される戸籍を元に政府から田が分け与えられ、死亡すればその人の田は国に返される法律ですが、障害者や20歳以下の者、60歳以上の者に限っては、税が軽減されていたんです。 だから、一族に老人が多ければ多いほど税の負担は軽くなり、生活は却って楽になる。 その「金の卵」ともおぼしき存在を、山に捨てる筈が無いじゃない。 「姨捨」の謡曲では 「わが心 なぐさめかねつ 更級や をばすて山に 照る月を見て」 と謡われています。 姨捨一帯は、多くの棚田が築かれていて「日本の棚田100選」の第1号として認められましたが、棚田の一枚一枚に映しだされる「田毎の月」は、日本の三大名月にも数えられているとか。 でもって、姨捨SAから見える夜景は「夜景100選」にも数えられ、昼間でも一望のもとに善光寺平が見渡せる絶景地。 前以てそんな事を知っていたら、トイレへ行ってジュースを買うだけで終わるなんて、そんなに勿体ない事をしなかったものを・・・(涙) 次の休憩場は、中央道の辰野PAかな? しかし、次に車から降りたのは諏訪湖SAでした。 車の行き先が違うような気がする。 何で? 滅多やたらな遠回りになるんじゃないの? 相方は意味ありげにニヤッとするだけ。 ここではやや長めの休憩時間を取り、大好きな諏訪湖の写真はしっかりと撮って来ました。 諏訪湖を左に見ながら尚も南下。 諏訪湖が視界から外れた頃は、八ヶ岳連峰の姿がとても美しい。 長野県から山梨県に入り、そして、小渕沢。 「前に山梨から長野へ出張した時、オレは甲府、ソッチは松本と、 小渕沢で別れた時があったやん。 小渕沢から甲府の取引先へ出かけた時、景色があんまり綺麗やったから、 機会があったら是非とも見せたかったんや。」 その言葉が終わる間もなく、山際を走っていた車は大きなカーブを描き、 視界を遮っていた雑木林が脇にそれたその瞬間! 富士山がいきなり目の前に現れた。 「うっわーっ! 反則やん! これ!」 興奮のあまり、カメラを構えながら、変な事を口走っておった私です。 しばらくは、藪や防音壁の合間に姿を見せる富士山を眺めながら、いつのまにか双葉SA。 相方と組んで仕事を始めてから、何度遠出をしてきた事だろう。 十数度もハイウェーのSAやPAを利用してきたけど、相方が案内所のお姉さんに道を聞く所を見たのは、今回が初めて。 「ツレに富士山を見せてやりたいんですけど、どのルートを通れば、ツレが満腹するほど富士山を見せてやれます?」 私は決して富士山フェチではありません。 でも、人知を尽くしてもどうしようも無い様な悩み事を抱え込んでいたり、仕事面で低迷していた時、生で富士山を見ると不思議と問題がが解決するんです。 その的中率は、何と100%! 所以、富士山の近くを通ると、どうしてもワクワクしてしまう。 相方の気遣いがとても嬉しかったです。 双葉SAのお姉さんが教えてくれた通りに、「甲府南」で中央道から降りると、国道358号線に入った。 道路の両側には灌木が茂り、周りがあまり良く見渡せない。 そして、名実共の山道に入り込んでしまった。 「わーわー。山吹の花がきれい。 桜が咲いてる。」 と騒いだところで、車はくねくねした道を走り、相方はハンドルを切るのに超忙しい。 まもなく車はトンネルの中に入り、そして抜けた。 トンネルを抜けると、そこは日本中から注目された事のある村であった。<川端康成風 現在は甲府市に統合されているけど、かつては「上区一色村」と呼ばれていた地区が、そこにありました。 市役所の出張所があり、保育園があり、しかもその看板には、元村であった頃の地名が明記されてました。 あのおぞましい事件はずいぶん昔の事になったけど、私の中ではまだ記憶に新しい。 きっと、この地域の一部の人々も同じだろうと思うと、心の中が少し痛くなった。 小さな集落を抜けると、またしても、しかも今度はヘアピンカーブの連続にて、相方に声をかけられる場合ではない。 そーいう時は私、出来る限り大人しくする事にしてます。 ただし、こんな所でスピードを出されると、普段の十倍以上は騒がしくなる。 だって、怖いんだもん。(ボソッ・・) また、トンネル。 トンネルって、どうも苦手だ。 だって、妙に怖いんだもん。 トンネルを抜けて、緩いカーブに沿って車が走り、見えたは「精進湖」。 懐かしい。 中学の修学旅行に来て以来だわ。 しかもその時も、バスの車窓から湖面を眺めたのみだった記憶が残ってる。 その頃を思い出して、思わずクスッと笑いをもらしかけた、その時、車は湖畔道に沿って大きく方向を変え・・・・ 私は、大きく息をのんだ! 「うっわーっ! 反則やん! これ!」 少し前もこんな事を口走ってたような気がする。 PC上の画像で見ると迫力1/10ですが、フロントガラス半分を占める富士の山蔭って、 あーた! すごすぎまっせ! 私を大興奮させた、富士山フェアはあっという間に終わり、灌木に囲まれた一本道になりました。 中学の修学旅行の際、この辺りをバスガイドさんは「青木ヶ原の樹海」と教えてくれたっけ。 「ねー。見たくも無い景色を見るって事、無いやろねー。」<超ビビリの私 「大丈夫や! マジで死ぬ気のヤツは、道路からすぐ見えるような所で首を吊ったりせんわ。」<相方 何となく、一安心。 しかし、この辺りは磁場が乱れているのか、微妙に頭が重い。 が! 樹海の真ん中から、富士が顔を出す。 やたらにホッとする私。(苦笑) 大きな地図で見る 本栖湖方面行きを示す看板を左に見ながら、青木ヶ原の樹海を通り抜けると、そこは富士の裾野。 ここから東名高速に入るまでの約一時間は、まさに富士山見放題祭。 私が今までで富士山を見たのは、大抵は新幹線に乗った時に30秒間ほど眺めたくらいで、それも滅多に無い。 それが一気に、新幹線乗車120回分を見せて貰ったのだから、もう言葉が無い。 紀行文のノンビリさ加減とは裏腹に、実のところ、相当に厄介な難題を抱え込んでの出張旅行でした。 むしろ、私は悲観的な思いを抱いたままに大阪を出立し、内心のモヤモヤを振り払えないままに帰路に着いたのですが、この2時間ほどで、仕事面に於いては、九割方はうまく行きそうに思えるようになりました。 富士の裾野に至った頃が、17時を少し過ぎた頃。 小渕沢で富士に対面した頃が、15時47分。 その時に見た富士よりも、ごく僅かに黄色みを帯びておりました。 ひょっとして私、最高に良い時間帯に富士の裾野を走ってる? 富士山裾野原野から見える富士山。 障害物が全く無いので、・・・・・・ しばし絶句。 こいのぼりと富士山。 もう、そんな時期になっていたのね。 日本の原風景を見たような気がする。 富士宮市に入りました。 ああぁ〜、富士山が車の後ろに回ってしまった(涙) 富士ジャンクションから、東名高速へ・・・ ここで富士山とはお別れなのね.。o○ とうとう、思いっきりの富士山フェチになってしまっている私を自覚(苦笑) 夕闇せまる東名高速道。 ふっ・・・、なんとも殺風景な眺めだぜい。 富士川SA。 富士山と再開。 少し赤みを帯びた富士山に、バイバイと手を振る代わりに、しっかりと激写。 今現在、私の携帯待ち受け画面は、この時に撮った富士山になってます。 そして、退屈な高速道。 あれからアッという間に日が暮れて、ずっと膝の上に鎮座ましましていたカメラは、後ろの座席に収まり。 日本平SA。 晩ご飯です。 去年の6月頃、静岡出張時に食べた桜海老が絶品でした。 あの時は、かき揚げを食べたけど、それはそれは美味しかったけど、高かったなぁ〜。 今回は、生の桜エビ。 桜エビの量は少なかったけど、贅沢気分を味わいました。
カメラの手ぶれ防止機能が切れてたみたいで、すんません。 東名高速から外れて、伊勢湾岸道。 日はとっぷりと暮れ過ぎて、ほぼ真夜中に近い時刻。 長嶋PAで小休止。 画像は無いけど、足湯がありました。 ずっと助手席にいながら、疲れは頂点。 ズーーーーッと私の専属ドライバーを自任しながら、社主として次の戦略を考えていた相方の疲れ具合は、私には測り知れない。 足湯のおかげで、疲れはだいぶ軽減しました。 そして、真夜中に帰宅。 走行距離にして、1600キロ近くの大旅行になりました。 富士山からのお告げは、まだ結果は見えない。<6月1日現在 でも、良い感じに動き出してますよ〜。 |
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「上田城祉」 | |||||
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